『戦争と平和』(四)トルストイ/望月哲男(訳)光文社古典新訳文庫2021-12-11

2021-12-11 當山日出夫(とうやまひでお)

戦争と平和(4)

トルストイ.望月哲男(訳).『戦争と平和』(四)(光文社古典新訳文庫).光文社.2021
https://www.kotensinyaku.jp/books/book337/

続きである。
やまもも書斎記 2021年12月4日
『戦争と平和』(三)トルストイ/望月哲男(訳)光文社古典新訳文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/04/9445298

四冊目である。ここにきて物語は大きく展開する。戦争……祖国戦争……である。

だが、はっきりいって、今一つ戦争の戦闘場面がよく理解できなところがある。文章としてはきわめて平易な訳文になっているし、分かりやすい描写ではある。が、たぶんこれは、時代の違いということなのであろう。現代の我々のイメージする戦争というと、第一次世界大戦以降の国民国家の軍隊の戦争ということになろうか。(近年では、これがテロなどをふくめて考えることになっていると思うが。)

ナポレオンの時代の戦争とは、こんなものだったのだろうか……と、勝手に想像で考えて読んでしまうところがあるのは、いたしかたないことかもしれない。

また、今回、『戦争と平和』を読みかえしてみて感じる大きなこととして、戦争、あるいは、歴史というものに対するトルストイの理解、説明といった部分よりは、ナターシャやマリヤ、アンドレイやピエールといった、架空の登場人物たちの動きや心理に、共感したりしながら読んでいることである。

以前に若いころにこの作品を読んだときには、壮大な歴史物語というように感じていたかと思う。おそらく、そのように感じさせるところもあるにちがいないが、それよりも、一九世紀初頭のロシアの人びと……それは、その当時にあっては貴族階級の人間に代表されるということになっているのだが……の、心理のドラマと、歴史の流れのなかで翻弄される姿を、読んで感じ取ることになっている。

歴史的な予備知識がないこともあり、また、解説や注を読んでも理解が及ばないこともあり、小説の歴史的背景が、具体的にイメージできない。だが、読んでいて、アンドレイやマリヤなどの登場人物が、実に生き生きとしていることを感じる。このような小説のなかの架空の人物たちのドラマとして読むと、これは実に面白い小説である。(そして、強いていうならば、どうも作者の歴史についての講釈の部分が、冗長に思えてならないこともある。)

2021年10月21日記

追記 2021年12月18日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年12月18日
『戦争と平和』(五)トルストイ/望月哲男(訳)光文社古典新訳文庫
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/18/9448741

『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第6週」2021-12-12

2021-12-12 當山日出夫(とうやまひでお)

『カムカムエヴリバディ』第6週
https://www.nhk.or.jp/comecome/story/details/story_details_06.html

前回は、
やまもも書斎記 2021年12月5日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第5週」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/05/9445550

この週はいろいろと見どころがあった。

岡山にもどった安子は、おはぎを作って売る。昔の「たちばな」を思い出すところがある。その行商の途中で、米軍の中尉と出会って、英語で話しをする。安子の英語は、無事に通じた。その後、クリスマスイブの日、中尉と再会した安子は、進駐軍の施設につれていかれる。そこで、中尉と話しをし、そしてそのごパーティーに出ることになった。

印象に残っているのは、安子と中尉の英語の会話である。稔が死んでしまったこと、稔のすすめで英語を勉強していることを、安子は涙ながらに、英語で語っていた。普通の日本のドラマで、英語のシーンが、これだけ長くつづことはあまりない。しかし、ここを、感情を込めてうまく表現していた。

それから、パーティーの場面。ここで注目すべきは、なんといっても、世良公則の「オン・ザ・サニーサイド・オブ・ザ・ストリート」の熱唱である。かつての敵国の歌を、情熱を込めて歌うことに、戦争が終わったことが象徴されていたのかとも感じる。

ところで、英語の「きよしこの夜」がよかった。これは、私が、たぶん始めて覚えた英語の歌であったかと思う。今でも、その英語の歌詞を覚えている。中学校のころだったろうか。英語の時間でならったかと思うが、記憶がさだかでない。

気になる存在としては、女中の雪衣のことがある。ただものではなさそうである。それから、パーティーに紛れ込んで来ていた少年。再度、登場することがあるだろうか。

次週、戦争から算太がかえってくるようだ。岡山を舞台に、さらなる展開がある。安子とるいはこれからどうなるのか。楽しみに見ることにしよう。

2021年12月11日記

追記 2021年12月19日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年12月19日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第7週」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/19/9449039

忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段(後編)2021-12-13

2021-12-13 當山日出夫(とうやまひでお)

忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段
https://www.nhk.jp/p/ts/282VPZ4VY6/?cid=jp-timetable-modal-programofficial

前編は、
やまもも書斎記 2021年12月9日
忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段(前編)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/09/9446572

土曜日の放送。録画しておいて、日曜日の朝にゆっくりと見た。

見事であるといってよいだろう。斧定九郎を映像化して見せるならば、かくもありなんという作品になっていた。

このドラマの映像として良さは、一つには、江戸時代の歌舞伎の舞台に設定してあることだろうと思う。その舞台をドラマのなかで、どのように映像化して見せるか、ここに監督の腕の見せどころがある。舞台の映像化ということは、ある意味で制約にもなるだろうが、ここはそこを巧く生かしていた。芝居の舞台を、芝居小屋ごと映像化してどうみせるかである。

このドラマ、当然ながら、落語を踏まえてつくってある。それを、生かす脚本になっていた。前編で、川に身投げしたところで登場した武士が、うまい伏線になっている。

それから、上白石萌音がいい。ちょうど、朝ドラで『カムカムエヴリバディ』を放送である。朝ドラの役とはまたちがった良さがでている。また、唄と三味線がよかった。

江戸時代の歌舞伎の世界、忠臣蔵という設定、また、その当時の劇場……これらは、ドラマをつくるうえでは、場合によっては、ある種の制約になりかねないところであるが、そこを、考証を緻密にすることで、逆に設定としてたくみに使ってあると感じる。(まあ、近世芸能史を専門にしている人の目から見れば、いろいろと言いたいことはあるにちがいないとは思うが。)

ともあれ、久々に良質のテレビドラマを見たという印象が残る作品であった。

2021年12月12日記

『青天を衝け』あれこれ「栄一と戦争」2021-12-14

2021-12-14 當山日出夫(とうやまひでお)

『青天を衝け』第39回「栄一と戦争」
https://www.nhk.or.jp/seiten/story/39/

前回は、
やまもも書斎記 2021年12月7日
『青天を衝け』あれこれ「栄一の嫡男」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/07/9446073

この回で描いていたのは、日露戦争と慶喜のこと。

このドラマ、残すところあと二回である。その二回で、栄一の晩年のところまで描くとなると、どうしてもこのようにならざるをえないのかとも思う。とにかく、展開が早い。

戦争について、栄一はどのように考えていたのだろうか。思い起こせば、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、そして、第一次世界大戦と、栄一の生きた時代は、戦争の時代であったともいえる。昭和六年、満州事変で日中戦争がはじまろうかというときに、栄一は亡くなっている。

今の時代のドラマであるから、戦争について、肯定的に描くことはできないだろう。かといって、この時代に生きた人間の感覚として、まったくの理想的非戦論というも、無理があると感じる。ここで、栄一が戦争についてどう考えていたか、このあたりをどうにか描いていたという印象である。

日本の近代を、「坂の上の雲」を目指した時代と考えるならば、日露戦争ぐらいまでが、どうにか戦争を肯定的に描ける限界というところだろうかと思う。どうも、脚本も、かなり苦労して書かれたと感じるところがあった。

また、晩年の慶喜のことばが重要になってくる。人間は、戦争するときにはするものである……慶喜は、このように語っていた。栄一の亡き後の、日中戦争、太平洋戦争にいたる過程を思ってみるならば、そうなるべくして戦争に突き進んで行った日本ということになるのかもしれない。

次回は、晩年の栄一が尽力した、日本とアメリカとの民間外交の話しになるようだ。残りわずかである。楽しみに見ることにしよう。

2021年12月13日記

追記 2021年12月21日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年12月21日
『青天を衝け』あれこれ「栄一、海を越えて」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/21/9449605

ピラカンサ2021-12-15

2021-12-15 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日は写真の日。今日はピラカンサである。

前回は、
やまもも書斎記 2021年12月8日

http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/08/9446316

我が家の近辺に、三ヶ所ほど、この木を確認している。写したのは、我が家から一番近いところのものである。COVID-19のせいもあって、散歩に出ることも少なくなった。カメラを持って、なんとなく外を歩くということもない。例年のことを思って、そろそろこの木の実がなっているころかと思って、カメラを持って家を出て、撮ったものである。

この赤い実は、かなり遠くからでも目にはいる。以前は、散歩していて、この木のあたりで立ち止まって、観察していたものである。

写したの先月のうち。撮りおきのストックからである。

そろそろ身の周りに花が見られなくなってきている。紅葉も、もうほとんど散ってしまった。庭に出ると、千両と万両の赤い実が目につく。来年の春になって、山茱萸とか木瓜の花が咲くようになるまで、冬の景色がつづくことになる。

ピラカンサ

ピラカンサ

ピラカンサ

ピラカンサ

ピラカンサ

Nikon D500
TAMRON SP AF 180mm F/3.5 Di MACRI 1:1

2021年12月13日記

追記 2021年12月22日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年12月22日
紅葉
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/22/9449852

『黒牢城』米澤穂信2021-12-16

2021-12-16 當山日出夫(とうやまひでお)

黒牢城

米澤穂信.『黒牢城』.KADOKAWA.2021
https://www.kadokawa.co.jp/product/322101000890/

今年のミステリ(国内)のベストである。これは未読の本であったので、読んでおくことにした。

なるほど、この作品が、ベストになるだけのことはある。米澤穂信については、『折れた竜骨』『満願』『王とサーカス』など、読んできている。どれもきわめて完成度の高いミステリである。

設定は、荒木村重と黒田官兵衛、戦国の有岡城である。四つの連作短篇という形式をとっているが、そこは米澤穂信のことである、さらに仕掛けがある。歴史の結果として、村重は滅び、官兵衛は生き残るということはわかっているのだが、そのようなことを知った上で読んだとしても、この小説の舞台設定は魅力的である。そして、この舞台設定ならではの、魅力的な謎と謎解きになっている。

また、時代小説として読んでも面白い。戦国武将の生き方、何をめざし、何のために戦っているのか、その根本にかかわる心理の掘り下げが、米澤穂信ならではの、流麗な文章でつづられる。

この小説を読んで、NHKの大河ドラマで放送した『軍師官兵衛』とか『麒麟がくる』とか、おもわず思い出しながら読んでしまった。(このような読者は多いのではなかろうか。)

ともあれ、この作品が、今年のミステリのベストに選ばれたのは、十分に納得できる。

2021年12月14日記

映像の世紀プレミアム(19)「東京 破壊と創造の150年」2021-12-17

2021-12-17 當山日出夫(とうやまひでお)

映像の世紀プレミアム (19) 東京 破壊と創造の150年

これは、今年の四月の放送。オリンピックの前のころのことである。東京の今を象徴するものとしては、新しく建設された国立競技場。それから、COVID-19のために人通りの途絶えた町並み、ということになるであろうか。

映像記録が残されている、明治のおわりから、大正、昭和の戦後にかけて、東京という町の変遷を、歴史とともにおっている。これまで、「映像の世紀」「新・映像の世紀」「映像の世紀プレミアム」と、その時の放送、今年になってからの再放送と、たぶん、全部を見てきているはずであるが、これらのなかで、一番印象にのこるのが、この「東京」の回であったといってよいだろう。

最も印象的な場面は、昭和二〇年(一九四五)三月一〇日の、東京大空襲の映像。といっても、動画像は残っていないらしい。残っている記録としては、空が明るく見える夜景の写真のみ。しかし、私がこれまで見た「映像の世紀」のシリーズ全部を通して、もっとも印象にのこるシーンでもある。

かつて、若いとき、東京に暮らしていた。その町並みは、一九七〇年代以降のものになる。一九六四年の東京オリンピックで大きく姿を変えた、その後の東京である。だが、その東京の町を歩いて、この町が、明治からの歴史の上になりたっていること、あるいは、場所によって江戸時代からの名残をとどめている戸地であることも、なんとなく感じながら暮らしていたのを思い出す。

もう、東京に行くこともなくなってしまった。COVID-19のため、学会などは基本的にオンラインになっている。以前ならば、年に一~二回ぐらいは、学会などで行っていたものである。しかし、今の東京に行っても道に迷うだけかもしれない。特に渋谷あたりなどは、再開発されて、昔の私の学生のころの面影は無くなっているかと思う。

ともあれ、幾度となく廃墟となった東京の町。関東大震災、そして、太平洋戦争。が、そこから立ち上がってきたのが、東京という町であったことになる。

さて、岩波文庫で以前に出た「東京百年物語」(三冊)は買って持っているのだが、全部をきちんと読んだというのではない。探し出してきて、これを読みなおしておきたいと思う。

2021年12月16日記

『戦争と平和』(五)トルストイ/望月哲男(訳)光文社古典新訳文庫2021-12-18

2021-12-18 當山日出夫(とうやまひでお)

戦争と平和(5)

トルストイ.望月哲男(訳).『戦争と平和』(五)(光文社古典新訳文庫).光文社.2021
https://www.kotensinyaku.jp/books/book343/

続きである。
やまもも書斎記 2021年12月11日
『戦争と平和』(四)トルストイ/望月哲男(訳)光文社古典新訳文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/11/9447055

五冊目である。歴史上の出来事としては、大きく物語は展開する。モスクワの陥落と、そして、フランス軍の占領、そして、撤退である。

この大きな歴史の流れのなかに、アンドレイやナターシャ、そして、ピエールなどは、もてあそばれるかのように、運命的な出来事に翻弄されることになる。ここまで読んできて、やはり、この架空の登場人物を描いたところに、共感して読むことになる。

いいかえるならばであるが、どうも歴史上の出来事、また、その歴史というものについての、トルストイの講釈の部分は、はっきりいってあまり面白くない。たぶん、このあたりが、この作品についての、評価、好悪をわける部分かと思う。私としては、トルストイの歴史観に、あまり共感するところはない。というよりも、その饒舌に、いささかうんざりするところもないではない。

だが、大きな物語としては、アンドレイやピエール、ナターシャやマリヤの物語として読んで、これは非常に面白い。また、この巻では、重要な登場人物として、ピエールが遭遇することになるプラトンという人物がいる。

大きな歴史の変革のなかで、翻弄される登場人物たちを通じて、著者の人生観、世界観、死生観というものが、随所に見られる。これはこれで、読んでいてなるほどと感じながら読むことになる。

とはいえ、アンドレイの最期の場面など、なんとなくあっけない印象をもってしまう。

残りは、後一冊である。つづけて読むことにしよう。

2021年10月23日記

追記 2021年12月25日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年12月25日
『戦争と平和』(六)トルストイ/望月哲男(訳)光文社古典新訳文庫
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/25/9450616

『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第7週」2021-12-19

2021-12-19 當山日出夫(とうやまひでお)

『カムカムエヴリバディ』第7週
https://www.nhk.or.jp/comecome/story/details/story_details_07.html

前回は、
やまもも書斎記 2021年12月12日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第6週」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/12/9447336

このドラマのタイトルにもなっているラジオの「カムカムエヴリバディ」の放送が終わってしまった。残念な気もするのだが、これは史実に基づいて作ってある以上、しかたのないことなのだろう。では、これから、このドラマの登場人物と英語とはどうかかわっていくことになるのだろうか。

雉真の家のなかで、いろんな人びとの思いが交錯している。

義母の美都里がなくなった。戦争からようやく帰ってきた算太を、やさしくうけとめていた。その算太は、どうやら女中の雪衣に気があるようだが、完全な片思いという感じである。その雪衣が、とてもいい。勇のことを思っているけれど、これも片思いのままである。義父の千吉は、勇に安子との結婚をすすめる。勇は、はじめはその気はないようだったが、最後には安子にその思いを告げる。では、安子はどうすることになるのだろうか。安子とるい、それと、ローズウッドとの仲睦まじい関係はつづくのだろうか。

これら錯綜する人びとの思いのなかで、時間は過ぎる。

ところで、「おいしゅうなれ」のおはぎのおまじないの英語バージョンは良かった。これまで、祖父、父、安子と受け継がれてきたことばが、英語になってさらに受け継がれていく気がする。

さて、次週は、大人になったるいが登場することになるらしい。時間も一〇年ほど進むようだ。これから、安子はどうなるのか、いろいろと気になるが、楽しみに見ることにしよう。

2021年12月18日記

追記 2021年12月26日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年12月26日
『カムカムエヴリバディ』あれこれ「第8週」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/26/9450889

『人新世の「資本論」』斎藤幸平2021-12-20

2021-12-20 當山日出夫(とうやまひでお)

人新世の「資本論」

斎藤幸平.『人新世の「資本論」』(集英社新書).集英社.2020
https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1035-a/

話題の本ということで読んでみることにした。結論からいうと、私は、この本には賛成しない。その理由を三つばかり書いてみる。

第一には、人間観である。

人間の社会というのは、そんなに善良なものなのであろうか。むしろ、野蛮状態というべきかもしれない。これがいいすぎならば、無秩序と混乱といってもいいだろう。既存の社会のシステムが崩壊した後に、どのような安定した社会を作ることができるか、その道筋について、具体的に何もふれていない。たとえば、現在の中東情勢など見ても、そんなに今後の国際情勢を楽観的に考えることはできないと思う。

第二には、社会観である。

3.5%の人が動くならならば、社会は変革するという。はたして、これが一般的にいえることなのだろうか。そして、重要なことだと思うのは、3.5%の人びとの行動で社会が変わってしまうならば、一般の民主的手続き……選挙であり多数決を原則とする議決である……これは、どうなるのだろうか。まあ、現在の民主的な手続きは、行き詰まりを見せているので、それに変わる代替手段があり得るということかもしれない。だが、それが一般的、普遍的に適用できるという見通しは、まだ無理だろうと思うがどうであろうか。

第三には、中国である。

この本の中には、中国のことがほとんど出てこない。問題視されているのは、日本や欧米の諸国である。しかし、実際の国際社会のなかで、これから中国の存在感が大きくなることが懸念される。気候変動について、中国の責任は大きい。では、その一党独裁専制国家のゆくすえを、どう考えるのか。これも、3.5%の人びとが行動すれば、体制変革が可能というのであろうか。

以上の三つばかりを書いてみた。

無論、この本から学ぶところはいくつかある。特に、始めの方の気候変動への危機感などは、最重要の課題というべきであろう。また、マルクスの思想についても、晩年のマルクスがどのように考えていたか、これはこれとして興味深い。

晩年のマルクスから学ぶことは多くあるにちがいない。しかし、そこで留意すべきは、マルクスの生きた時代の科学、技術のあり方、人びとの生活様式のあり方、これは、二一世紀の今日とは異なっていることである。この点を無視して、ただマルクスがこう考えたで、それをもってくればいいというものではあるまい。晩年のマルクスの主張から脱成長のコミュニズムというのは、短絡していると思わざるを得ない。少なくとも、それほど説得力のある議論とは感じられない。

また、どうして最後のところで、精神論になるのであろうか。このあたりも気になる論のはこびである。以前に読んだ白井聡の本でも、最後は精神論で頑張れで終わっていた。最後は精神論で頑張れで終わるしかないということは、どうもその論理全体が破綻しているとしか思えないのである。

他にもいろいろと思うことはあるが、一読に値する本ではあると思う。

2021年12月13日記