『鎌倉殿の13人』あれこれ「佐殿の腹」2022-01-18

2022年1月18日 當山日出夫(とうやまひでお)

『鎌倉殿の13人』第2回「佐殿の腹」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/02.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年1月11日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「大いなる小競り合い」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/01/11/9455207

結局、頼朝は、北条を頼むことになる。歴史の結果としてもそうなであることは分かっているのだが、よく分からないのは、何故、北条なのか、というその理由である。だが、ここは掘り下げて描かないということなのかもしれないと思う。

この回で、平清盛、後白河法皇などが登場してきていた。中世の幕開け、源平の争乱の時代を描くことになりそうである。そのなかで、北条義時とはどのような位置を占めることになるのか、これから、このドラマを見ていきたいと思う。

ところで、気になることとしては、このドラマでは、女性は立て膝では座らないようだ。以前の『麒麟がくる』では、女性は立て膝で座っていた。(歴史考証としては、この方が正しい。)たしかに、現代の目で見て違和感のないように演出しているのだろうが、平安末期のころの女性の座り方としては、立て膝であってほしい気がする。(これは、ある意味では、伝統的な日本の人びとの生活がどのようであったかということともかかわってくるのだが。)

また、頼朝が温泉に入っているシーンがあったが、烏帽子をかぶったままであった。おそらくは、時代考証としては、これが正しい。古くは、よほどのことがない限り、武家、貴族の男性は、頭になにかかぶっているものである。寝るときもそうである。

最後の「紀行」のところで、『曽我物語』のことが出てきていた。さて、どうするか。『曽我物語』を取り出してきて読んでみようかという気になった。(岩波の古い古典大系に入っている)。『曽我物語』というのは、ことばがそう難しいという作品ではないのだが、筋がややこしい。また、その後の日本文学に与えた影響もきわめて大きい。重要な作品である。だが、近年は、あまり読まれない作品になっているようだ。

2022年1月17日記

追記 2022年1月25日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年1月25日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「挙兵は慎重に」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/01/25/9458705

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