『猫と庄造と二人のおんな』谷崎潤一郎/新潮文庫 ― 2022-01-27
2022年1月27日 當山日出夫(とうやまひでお)
谷崎潤一郎.『猫と庄造と二人のおんな』(新潮文庫).新潮社.1951(2012.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100505/
日本の文学作品のなかで、猫が登場するものとしては、やはり夏目漱石の『吾輩は猫である』が出てくると思うのだが、この作品は、それに次ぐかもしれない。
若い時に読んだ記憶はあるのだが、もうすっかり忘れている。久しぶりに読みなおしてみて、こんな小説だったのかと、得心がいったところである。また、若い時にこの作品の良さが分からなかったということもあるが、これはいたしかたないことかもしれない。
まさに、小説のタイトルどおりの作品である。登場するのは、猫、その飼い主である庄造、庄造をとりまく二人の女性……ほぼ、これでつきる。ところどころに、ちょっとだけ登場する人物がいるが、まあ、ほぼ全編、この一匹と三人の話しである。
それにしても、なんとも頼りない男であることかと思う。ふがいないというか、優柔不断というか、頼りないというか、ともかく、庄造という人物を見ていると、何故こんな男に二人の女性が惚れるのかと思ってしまう。が、そこは、男女の機微である。このような男女関係があっても、谷崎潤一郎の小説の世界としては別におかしくはない。
それよりも猫である。名前はリリーと付けられている。このリリーの描写、それから、このリリーを可愛がる、いや溺愛するといった方がいいか、庄造の様子が、まさに猫好きなら共感して読むことができる。谷崎潤一郎は猫をかわいがっていたということである。(谷崎研究の分野で、このあたりは詳細に分かっていることだと思うのだが、近代文学研究に疎い私としては、よく知らない。)
もし、猫が登場しない設定であっても、二人の女の間を行ったり来たりしている庄造という男を描くだけで十分に小説としてはなりたつだろう。それを、猫のリリーをからめてくることで、魅力的な作品になっている。そう長くない作品である。ほぼ一息に読める。
2022年1月25日記
https://www.shinchosha.co.jp/book/100505/
日本の文学作品のなかで、猫が登場するものとしては、やはり夏目漱石の『吾輩は猫である』が出てくると思うのだが、この作品は、それに次ぐかもしれない。
若い時に読んだ記憶はあるのだが、もうすっかり忘れている。久しぶりに読みなおしてみて、こんな小説だったのかと、得心がいったところである。また、若い時にこの作品の良さが分からなかったということもあるが、これはいたしかたないことかもしれない。
まさに、小説のタイトルどおりの作品である。登場するのは、猫、その飼い主である庄造、庄造をとりまく二人の女性……ほぼ、これでつきる。ところどころに、ちょっとだけ登場する人物がいるが、まあ、ほぼ全編、この一匹と三人の話しである。
それにしても、なんとも頼りない男であることかと思う。ふがいないというか、優柔不断というか、頼りないというか、ともかく、庄造という人物を見ていると、何故こんな男に二人の女性が惚れるのかと思ってしまう。が、そこは、男女の機微である。このような男女関係があっても、谷崎潤一郎の小説の世界としては別におかしくはない。
それよりも猫である。名前はリリーと付けられている。このリリーの描写、それから、このリリーを可愛がる、いや溺愛するといった方がいいか、庄造の様子が、まさに猫好きなら共感して読むことができる。谷崎潤一郎は猫をかわいがっていたということである。(谷崎研究の分野で、このあたりは詳細に分かっていることだと思うのだが、近代文学研究に疎い私としては、よく知らない。)
もし、猫が登場しない設定であっても、二人の女の間を行ったり来たりしている庄造という男を描くだけで十分に小説としてはなりたつだろう。それを、猫のリリーをからめてくることで、魅力的な作品になっている。そう長くない作品である。ほぼ一息に読める。
2022年1月25日記
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