『鎌倉殿の13人』あれこれ「敵か、あるいは」2022-02-22

2022年2月22日 當山日出夫(とうやまひでお)

『鎌倉殿の13人』第7回「敵か、あるいは」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/07.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年2月15日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「悪い知らせ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/02/15/9464428

この回で印象に残っている野は、頼朝の運の強さ。いや、これは正確ではないかもしれない。歴史の結果を知っているから、頼朝が最終的に源氏の棟梁として歴史に名を残したことになる。しかし、このドラマの時点では、はたして誰が源氏の棟梁にふさわしいのか、多くの武士が決めかねていたのが実際のところかもしれない。

運の強いものこそが源氏の棟梁にふさわしい。これは、平安時代の末期の時代にあっては、普通の考え方であったのかもしれない。そして、実際に、(このドラマでは)頼朝が、かなり強運の持ち主であったといえるだろう。

ところで、このドラマの脚本で気になっていることがいくつかある。

その一つは、「板東武者」という概念。残念ながら歴史学の知識に乏しいので、はたしてこの概念が、その当時どの程度まで一般的に通用していた発想なのか、よくわからない。ただ、一般に、京の都に対して関東地方を板東と言って、いわば見下していただろうことは推測できる。それが、その地の武士のアイデンティティとして、自ら「板東武者」と名乗るのは、いつごろから起こったことなのだろうか。

また、これはこのドラマの最初から気になっているのだが、平家と源氏をあまりに対立するものとして描きすぎているように思えてならない。実際の武士の世界では、平家と源氏は対立はしていただろうが、軍事権門として、王家とか、寺社などとの、対立(あるいは役割分担)を考えるのが、順当だろうと思える。

そういえば、このドラマ、寺社が登場しても寺社が独自の権門を担っていたという描き方ではない。まあ、この回で僧兵が登場してきてはいたのだが、独自の勢力を誇っていたという描き方ではなかった。

そして、義経の登場である。おそらく、このドラマの前半の見せどころは、源平の合戦になるのだろう。このあたりは、『平家物語』で描かれているところになる。

『平家物語』は、最近はあまり手にしていない。すこし前に、全巻を通読してみたくなって、岩波文庫本で読んでみたりはした。これも、新日本古典文学大系で読みなおしておきたい。もっている本なのだが、しまったままになっている。

次週以降、義経も登場して、源平の合戦になるらしい。楽しみに見ることにしよう。

2022年2月21日記

追記 2022年3月1日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年3月1日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「いざ、鎌倉」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/03/01/9468363

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