『山の音』川端康成/新潮文庫2022-02-25

2022年2月25日 當山日出夫(とうやまひでお)

山の音

川端康成.『山の音』(新潮文庫).新潮社.1957(2010.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100111/

若い時には、この小説の良さが分からなかった。年をとってから何度か読みなおしてみると、しみじみといい作品だなと感じる。

描いてあるのは、戦後しばらくしたころの鎌倉の家族のこと。先品中の記述からして、まだ進駐軍がいたころのことと分かる。主人公は信吾。六〇をすこしすぎたぐらいの男性である。その妻。娘。息子。その妻。それから、息子の浮気相手の女性。オフィスに勤務する女性。ほぼこれぐらいの登場人物である。

そうたいした波瀾万丈のドラマということではない。日常の生活である。その中におこる事件といえば、息子の浮気ぐらいなものだろうか。この小説は、一つの家族をめぐって、父と子、娘、夫婦、などの感情の交錯が描かれる。

読んで、やはりこの作品の書かれた時代というものを感じるところがある。現代(二一世紀の日本)における、家族はもっと違ったものとして描くことになるだろう。この小説の家族は、どこかしらきしみを感じさせながらも、古くからの日本の家族である。これは、もう今では失われてしまったものであろう。とはいえ、そこに懐旧の情をいだくということはあまりない。しかし、描かれた家族の感情の交錯のなかに、人間の思いの普遍性に通じる物を感じ取ることができようか。

また、この小説に描かれているのは、老いでもある。川端康成の最期を思ってみるならば、作者は、年老いるということをどう考えていたのだろうか。私の知る限りで、この小説は、人間の老いを描いた希有な小説でもある。(ただ、老いぼれる、年老いる、老醜というのとはちょっと違う。その一歩手前のところで、老後の行く先、これまでの人生を述懐するという感じだろうか。)

今では失われてしまったような家族関係なのかもしれない。だが、読んで行くと、人間が生きていくこと、家族とともにあること、そして、その先にある死(特にこの小説において死が表立って出てくることはあまりないが)、このような人間のこもごもの思いを心に深く感じる。

川端康成という作家は、やはりどこか冷徹な目で人間の生きている様を見ているところがある。また、この作品にも、その底流にはそこはかとないエロティシズムがある。それが、鎌倉の季節の風物の描写のなかに、静かに流れている。抒情的な小説でもあるのだが、ただ、叙景にとどまらず、人間の感情の流れと共鳴している。

これは折をみて、今後も読みなおしてみたい作品である。

2022年2月6日記