『日本語の技術』清水幾太郎2022-03-05

2022年3月5日 當山日出夫(とうやまひでお)

日本語の技術

清水幾太郎.『日本語の技術-私の文章作法-』(中公文庫).中央公論新社.2022
https://www.chuko.co.jp/bunko/2022/02/207181.html

もとは、『日本語の技術 私の文章作法』として、一九七七年に、ごま書房から刊行の文庫化である。一九七七年というと、私の学生のころのことになる。そのころは、まだ清水幾太郎は、現役で読まれている人だった。その後、急速に消えていったかと思う。ただ、岩波新書の『論文の書き方』のみは、読まれ続けてきた。が、近年になって、清水幾太郎は、復活してきていると言えるかもしれない。いくつかの著作が復刊になったりしている。この本もその一つとして読めばいいだろうか。

内容的には、『論文の書き方』の姉妹編であり、こちらは、「です、ます」の文体で、かなりくだけた調子で書いてある。対象とする文章も、「論文」というよりは、手紙などをふくめたいくぶん知的な文章となる。

読んで思うこととしては、次の二点。

第一に、『論文の書き方』の姉妹編として読むと、これはこれで非常に読みやすい。また、文章の書き方の指南本として、きわめて実用的であり、示唆にとむ内容となっている。

そもそも何故人は文章を書くのか……これは、時代とともに大きく変わった。ワープロとインターネットの発達により、日本語を書くという環境は激変したと言っていいだろう。この本は、当用漢字の時代における漢字制限の問題からはじまって、日本語を母語としていることの意味、そして、文章を書くことの意義に説き及んでいる。この本の書かれた時代と現代とを比較するならば、まさに今の時代においてこそ、文章の書き方が重要になってきている。内容的にいくぶん古びている部分はあるが、しかし、二一世紀の今日において、文章を書くにあたっての参考書として、十分に役にたつ内容である。

第二に、話し方について、多くのページを使っていること。この本が念頭においているのは、人前での講演などである。

いかに自分の話を聞いてもらうか、伝わる話をすることができるのか。現在、COVID-19の影響で、オンラインで人の話を聞くという機会が急速に増えてきている。では、ここではどのようにふるまうべきなのか。いまだ、はっきりとした指針のようなものがないのが現状である。

今では、学会など今では、ほとんどオンライン開催である。そこで、どのように話すのがいいのか。資料の提示は、どのようにするのがふさわしいのか。このようなことについて、いまだ試行錯誤の状態にあると言ってよいだろう。

大学の授業も、二〇二〇年度は、オンラインが主流になったという経緯がある。そこでは、まさに、ZOOMとはいったい何なのかというレベルから始まって、さまざまな試行錯誤と苦労、工夫が積み重ねられてきている。

オンライン(ZOOMやYouTubeなど)と、リアルの講演とは違うところもあるだろう。だが、今の時代の状況を考えると、「話す」ことで何をどう伝えるのか、ここは改めて研究、考察がなされるべきことがらである。この観点から、この本の価値はあるといえよう。(ただ、私としては、もう学校での講義など、学生を相手に話しをすることが、ほとんどなくなってしまっているのだが。)

以上の二点のことが、読んで思うことなどである。

なお、この本の解説を書いているのは、斎藤美奈子。これは、まさに適任というべきかもしれない。

また、いわゆる「文章読本」の類……その多くは小説家の手になる……が、今でも多く刊行されているようだ。谷崎潤一郎のものは、読んであまり感心しなかったということはあるのだが、他にも出ている「文章読本」を読んでおきたくなっている。

2022年2月27日記