『禁色』三島由紀夫/新潮文庫2022-05-07

2022年5月7日 當山日出夫(とうやまひでお)

禁色

三島由紀夫.『禁色』(新潮文庫).新潮社.1964(2002.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/105043/

三島由紀夫の代表作である。が、これは若いときに読んだ作品ではない。名前は知っているが、なんとなく手にすることなく過ぎてきてしまった作品である。

読んでいろいろと思うことはあるが、二点ぐらい書いておく。

第一に、同性愛小説であること。

日本近代における、同性愛小説ということでは、まず名前の出る作品といっていいだろう。

近年の時代の流れのなかで、性の多様性ということがいわれる。このなかにあって、同性愛というものも、市民権を得てきているといっていいのだろう。だが、これは古今東西を通じて、まったくの禁忌であったということではない。

日本においては、古く古代、中世からひろく行われてきたことである。また、古代ギリシャにそれを求めることもできよう。このようなことは、この作品中にも言及がある。古くからの古典の継承としての同性愛である。

これについては、近現代の日本において、明確な文学の主題としては正面から扱われてはこなかったといえるだろう。とはいえ、まったくなかったわけではない。最近読んだ本、出た本としては、川端康成の『少年』がある。

やまもも書斎記 20220年4月9日
『少年』川端康成/新潮文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/04/09/9479936

『禁色』は、ほぼ全編、同性愛小説といってよい。日本文学のなかにおける同性愛小説の系譜のなかに、この作品を位置づけて考えることができる。

第二は、非常に観念的な小説であること。

おおむね三島由紀夫の作品はそうだといっていいと思うが、観念的である。リアリズムの小説とはちょっと違う。

『禁色』も、性というものを、美と精神、認識と行動、というような視点から見ている。読み進めていって、どこかで性というものを、非常に観念的にとらえていると感じる。観念的だからこそ、そこに、理想的な美を見出すことになるのかもしれない。

非常に観念的な小説であるといっても、しかし、それは読み進んでいくなかで感じることである。この小説のはじまりの部分は、ちょっと違う印象がある。第一章のあたりは、おそらく、性というものの深淵を描いた傑作といってよい。しかし、三島由紀夫は、この小説を連載するなかで、徐々に、理想の性という観念を描くようになる。その結果、人間の性というものの実相から、逆に遠ざかってしまっていくような印象を持ってしまう。

以上の二点のことを思う。

かなり大部な小説になるが、ほぼ一息で読んでしまった。だが、読んでいって感じたことであるが、雑誌連載にあたって、ちょっと都合良く話しのつじつまを合わせてしまっていると感じるところがちょっとある。あるいは、意図的にそのように小説の展開を考えたのかもしれない。

ところで、三島由紀夫は、プルーストを読んでいたのだろうか。このあたりは、三島由紀夫研究で明らかにされていることだろうと思うのだが、読みながらちょっと気になったところである。

それから、この作品で重要なのは、鏡である。三島由紀夫文学における鏡、鏡像とは何であるのか。これは、重要なキーであることを感じる。

2022年5月6日記