『ちむどんどん』あれこれ「フーチャンプルーの涙」2022-05-15

2022年5月15日 當山日出夫(とうやまひでお)

『ちむどんどん』第5週「フーチャンプルーの涙」
https://www.nhk.or.jp/chimudondon/story/week_05.html

前回は、
やまもも書斎記 20220年5月8日
『ちむどんどん』あれこれ「青春ナポリタン」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/05/08/9488621

五月一五日は、沖縄復帰の日である。この日の日付は、憶えている。特に沖縄に関心があったということではなく、たまたま京都の葵祭の日と同じであるということで、記憶に残っているのだが。

暢子は、東京に行くことになった。そこには、賢秀ニーニーの力があった。ボクサーとして成功したということのようだ。これで、比嘉家の借金もどうにかなり、暢子も東京に行けることになった。

沖縄編は、もうちょっとあっても良かったかと思うが、ここは、五月一五日に合わせて、東京編に展開していくということなのだろう。

ちょっと気になることがいくつかある。

第一に、フーチャンプルー。

比嘉家は貧乏である。それは分かっているのだが、晩御飯が、フーチャンプルーだけということは、どうかなと思う。もっと他に食べるものは、なかったのだろうか。

第二に、サンダル。

一九七二年、暢子は山原から東京に旅立つのだが、バスに乗るときサンダルだった。学校には靴を履いて通っているのだが、東京に行くのに、飛行機になるか船になるかはわからないが、サンダル履きで行くというのは、どうなのだろうか。

ささいなことかもしれないが、ちょっと気になったことである。

それから、さらに書いておくならば、何故、ニーニーはお金を、比嘉家に送らなかったのだろうか。自分の家族の家に送ればいいのにと思うが、ここは何か事情があったのだろうか。

それに、その当時、日本から沖縄(返還前)にお金を送るとして、円の現金で、しかも一万円札を普通の封筒に入れて送るということは、あったのだろうか。

いろいろ気になるところはある。

沖縄編では、いろんな場面で暢子は「ありがとう」と言っていたように思う。このドラマは、家族とありがとうの物語なのかもしれない。

次週から、東京編がはじまるようだ。

さて、暢子は東京に行くとして、住むところとか、働くところとかの、あてはあってのことなのだろうか。とにかく東京に行きさえすればどうにかなるでは、ちょっと無謀なような気もする。

ともあれ、東京での暢子の生活がどのようになるか、楽しみに見ることにしよう。

2022年5月14日記

追記 2022年5月22日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年5月22日
『ちむどんどん』あれこれ「はじまりのゴーヤーチャンプルー」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/05/22/9492792

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