世界サブカルチャー史 欲望の系譜「アメリカ 闘争の60s」2022-05-16

2022年5月16日 當山日出夫(とうやまひでお)

世界サブカルチャー史 欲望の系譜「アメリカ 闘争の60s」
https://www.nhk.jp/p/ts/GLP33Y7513/episode/te/M9KKVK5R1N/

「世界サブカルチャー史」ということなのだが、扱っているのは、アメリカのことがほとんどという構成であった。まあ、これは、第二次大戦後の世界において「サブカルチャー」が生まれ、そして、世界を牽引していったのがアメリカという国であるという事情を考えれば、これはこのようになることなのかもしれない。この回での例外は、英国のビートルズということになるだろうか。

しかし、六〇年代をあつかうならば、日本においては、安保闘争のこともあり、また、フランスでは五月革命もあった。これらにまったく触れることがないというのも、ちょっと物足りない気もする。また、サブカルチャーといいながら、キューバ危機など、かなり政治的なことにも言及があった。ただ、これは、時代の背景説明として必要であったともいえるかもしれないが。

私は、一九五五年の生まれなので、六〇年代というと記憶にあるうちのことになる。登場した映画などについては、憶えているものが多い。映画館で見たということではないが、その時代の記憶として、ああこのような映画があったなと思い出す。そして、あの映画は、今から歴史的に振り返ってみるならば、そのような意味があり、解釈ができるのかと、これはこれとして、新知見であった。

結局、六〇年代に生まれた、サブカルチャー……それは、カウンターカルチャーということになるのだが……この新しい流れの行き着くところは、今にいたるまで明確になっていないということなのかもしれない。この六〇年代に若者であった世代が、歳をとって社会の大人になっていくのが、その後の歴史、また、二一世紀になってからの歴史ということになろうか。

今、二一世紀の今日からふりかえってみるならば、かつてのカウンターカルチャーの熱気が、今の社会には感じられない。社会に対する、世界に対する、希望と絶望がないまじった混乱した状況というものを、今となっては懐かしく思い出すことになる。(このようなことを感じるのは、私自身が年をとってしまったということなのだと思うが。)

こうもいえようか……社会が健全であるためには、その社会に対する抵抗の成分をふくんでいなければならない、と。この意味では、六〇年代のカウンターカルチャーの流れの検証ということは、今になお必要なことであろう。

ところで、番組のなかで、「ティファニーで朝食を」が出てきていた。映画は見ていないが、原作(翻訳)は読んでいる。この作品、再度、読みなおしてみたくなった。

次回は、六月の放送になるらしい。続きもまた見ることにしよう。

2022年5月15日記

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