『夢見る帝国図書館』中島京子/文春文庫2022-06-04

2022年6月4日 當山日出夫(とうやまひでお)

夢みる帝国図書館

中島京子.『夢見る帝国図書館』(文春文庫).文藝春秋.2022(文藝春秋.2019)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167918729

図書館の小説である。主人公は、帝国図書館。そして、喜和子という女性。

この小説は、二重の構造になっている。

第一には、上野の公園で偶然で会うことになり親交をふかめる、喜和子さんと私のものがたり。フリーライターの私は、上野公園で喜和子さんという年配の女性と知り合う。親しくなり、喜和子さんの家をたずねたりするようになる。喜和子さんの人生はなぞである。

どこで生まれて、どこで育って、どんな結婚をして、どんな生活をしてきたのか、その人生が徐々に明らかになっていく。ここの部分で語られるのは、近代のある時代を生きた一人の女性の物語である。そして、その背景としての、戦後日本というある時代の流れ。

第二には、帝国図書館。現在の、国立国会図書館であるが、戦前は、上野にある帝国図書館であった。その図書館を擬人化して、図書館の語りということで、近代の帝国図書館史が描かれる。そこに登場するのは、近代の著名な文学者、学者などである。本を読みに図書館に通っていた人びと。

そして、近代という歴史の流れのなかで存在してきた帝国図書館の歴史。その設立から、戦後しばらくころまでのことが、図書館史というような観点で記述されている。(このあたりは、史実をふまえてのものだろうと思う。)

以上、二つの物語、喜和子さんという女性の人生の物語と、帝国図書館の歴史が、交互に叙述され、それが最後に交わることになる。まあ、このあたりは、小説の書き方として常道であるが。

一般的に書くならば、この小説は、上記の二つの物語として理解することになる。だが、一方で、この小説に特有の要素を考えてみると、さらに二つのことがある。

一つには、上野の物語であること。現在の上野公園とその周辺は、江戸時代からどうであったか、近代になってどのような歴史があって、今日の上野公園になったのか。そして、重要なことは、そこに暮らしていた人間がいたことである。たぶん、これは、上野公園の一般的な歴史からは消されていることかもしれないが、そこに光をあてた記述が興味深い。

もう一つのこととしては、図書館の物語であるのだが、同時に近代になってからの読者の物語になっていることである。上野の帝国図書館に通っていた文学者などは、本を読むためにそこに通った。ともすれば、図書館は、その蔵書を軸に語られることが多いかと思うが、この小説では、図書館は本を読むためのものという視点で描かれている。その読者のための蔵書である。

このようなことを思うことになる。

さて、今の国立国会図書館はどうだろうか。今や、デジタルとインターネットの時代になって、国立国会図書館も大きく変わった。その是非は議論のあるところかもしれない。ただ、図書館というものが、そこで本を読むためのものである、少なくともかつてはそうであった、この認識は重要なことだろうと思う。読者があってこその蔵書であり、各種のサービスなのである。

図書館とは何であるのか、何であったのか、これからはどうであるべきなのか、いろいろ考えるところにある本である。

2022年5月16日記