『郵便配達は二度ベルを鳴らす』ケイン/池田真紀子(訳) ― 2022-06-18
2022年6月18日 當山日出夫(とうやまひでお)

ケイン.池田真紀子(訳).『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(光文社古典新訳文庫).光文社.2014
https://www.kotensinyaku.jp/books/book194/
読んでいない、あるいは、遠い昔に読んだ本の再読、ということで、あれこれと読んでいる。さて、この作品はどうだったろうか。若いときに手にしたような記憶はあるのだが、はっきりと憶えていない。
池田真紀子の訳ということで、光文社古典新訳文庫版で読んでみることにした。解説によると、ノワール、あるいは、ハードボイルドの傑作という位置づけになるようだが、たしかに読んで面白い。
あるいは、この作品については、映画が有名かもしれないのだが、私は見ていない。
ストーリー、状況設定は、比較的単純である。一九三〇年代、不況のころのアメリカである。流れ者の主人公。ふと立ち寄ったレストラン。そこにいるギリシャ人の夫と妻。結局のところは、その夫を殺すという犯罪小説として展開することになるのだが、それが、男の視点から描かれる。
解説を書いているのが、諏訪部浩一。これが良く書けている。アメリカ文学史における、ハードボイルド論、ノワール論、である。読んで、なるほど、ハードボイルドをそのように考えることができるのかと、興味深い。
私が読んで感じるところとしては、次の二点ぐらいがある。
第一に、ダメ男の物語。
この小説の主人公は、ダメ男である。たしかに、ある意味ではタフといえるかもしれないのだが、読んでいてなんとなく歯がゆい。さっさと女とどこかに行ってしまえばいいのにと思ってしまう。
この主人公に共感するところはあまりないし、また、その行動や思考を肯定的にとらえることはないのであるが、しかし、読んでいて、こういう男もいるのかと、ついつい読みつづけることになる。まあ、このあたりは、人物造形のうまさと、小説としてのたくみさある。
第二に、犯罪小説。
文学史としては、犯罪小説のなかに位置づけることになる。そう巧妙な犯罪計画ということではないが、事件がおこり裁判がある。この作品は、犯罪小説の系譜における傑作である。今の視点から、犯罪小説として読んで面白い。
以上のことを思ってみる。
そう長くない作品であるが、印象に残る。特に犯罪小説の歴史ということを考えてみるとき、やはりこの作品は重要な位置をしめることになるのだろう。
2022年6月2日記
https://www.kotensinyaku.jp/books/book194/
読んでいない、あるいは、遠い昔に読んだ本の再読、ということで、あれこれと読んでいる。さて、この作品はどうだったろうか。若いときに手にしたような記憶はあるのだが、はっきりと憶えていない。
池田真紀子の訳ということで、光文社古典新訳文庫版で読んでみることにした。解説によると、ノワール、あるいは、ハードボイルドの傑作という位置づけになるようだが、たしかに読んで面白い。
あるいは、この作品については、映画が有名かもしれないのだが、私は見ていない。
ストーリー、状況設定は、比較的単純である。一九三〇年代、不況のころのアメリカである。流れ者の主人公。ふと立ち寄ったレストラン。そこにいるギリシャ人の夫と妻。結局のところは、その夫を殺すという犯罪小説として展開することになるのだが、それが、男の視点から描かれる。
解説を書いているのが、諏訪部浩一。これが良く書けている。アメリカ文学史における、ハードボイルド論、ノワール論、である。読んで、なるほど、ハードボイルドをそのように考えることができるのかと、興味深い。
私が読んで感じるところとしては、次の二点ぐらいがある。
第一に、ダメ男の物語。
この小説の主人公は、ダメ男である。たしかに、ある意味ではタフといえるかもしれないのだが、読んでいてなんとなく歯がゆい。さっさと女とどこかに行ってしまえばいいのにと思ってしまう。
この主人公に共感するところはあまりないし、また、その行動や思考を肯定的にとらえることはないのであるが、しかし、読んでいて、こういう男もいるのかと、ついつい読みつづけることになる。まあ、このあたりは、人物造形のうまさと、小説としてのたくみさある。
第二に、犯罪小説。
文学史としては、犯罪小説のなかに位置づけることになる。そう巧妙な犯罪計画ということではないが、事件がおこり裁判がある。この作品は、犯罪小説の系譜における傑作である。今の視点から、犯罪小説として読んで面白い。
以上のことを思ってみる。
そう長くない作品であるが、印象に残る。特に犯罪小説の歴史ということを考えてみるとき、やはりこの作品は重要な位置をしめることになるのだろう。
2022年6月2日記
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