世界サブカルチャー史 欲望の系譜 アメリカ 幻想の70s ― 2022-06-23
2022年6月23日 當山日出夫
世界サブカルチャー史 欲望の系譜 アメリカ 幻想の70s
これは月に二回の予定で放送するようだ。今月(六月)は、七〇年代、八〇年代。
七〇年代が、現代にいたるサブカルチャーの歴史の原点ということになるのだろうか。私は、一九五五年の生まれであるので、この番組のなかに登場したほとんどの映画などは知っている。全部見ているということではないが、少なくともそれが日本で上映されたときのことは憶えている。
「奥様は魔女」は憶えている。あれが、「普通」のアメリカの暮らしとして、多くの日本の人びとに理解されてきたということはあったと思う(ただ、その奥様が魔女であるという例外をのぞいてであるが。)その「普通」が崩壊していくプロセスが、七〇年代の歴史でもあったことになる。そして、その大きな要因の一つがベトナム戦争。
ベトナム戦争のことは、私の記憶のうちのことである。その当時は、あまり考えることなく、ただテレビのニュースを見ていただけということもあるが、ただ、最後のサイゴン陥落のときのことは、憶えている。なんとなく一つの時代が終わったと感じたものであった。
ただ、この番組は、アメリカのことが中心になっていたので、日本のことがまったく出てきていないのが、気になるといえば気になる。日本では、安保闘争の時代であった。この時代の出来事がその後の日本に何を残したか、まだ明確にはなっていないと言ってもいいのかもしれない。
ところで、最近読んだ本、『どうにもとまらない歌謡曲』(舌津智之、ちくま文庫)。これは、日本の七〇年代の歌謡曲の、ジェンダー論からの分析を中心とする。まさにこの時代が、日本の歌謡曲の時代であり、同時に、ベトナム戦争の時代でもあったことになる。
体験的にこの時代のことを憶えている人間の一人としては、いろいろと思うことがある。いやそれよりも、もう特に語りたくはないという気持ちもある。この時代のことを歴史的に振り返って考えるのは、これからの新しい人たちの仕事になるのかと思う。
それから印象に残っていること……アメリカは抵抗の国である、ということ。なるほどそうかもしれないと思う。ロシアのウクライナ侵略に対する態度を見ても、基本的に抵抗ということがあるように感じられる。もちろん、この抵抗ということは、時代により、またどのような人びとの何に対する抵抗か、大きく変わることではある。しかし、七〇年代のカウターカルチャーの発生から、それをうけつぐ今日までの流れのなかに、抵抗をよしとする精神的伝統というものが、あるのかもしれない。
ともあれ、登場する映画などなつかしくもあり、また、いろいろと思うことの多い番組であった。
2022年6月22日記
世界サブカルチャー史 欲望の系譜 アメリカ 幻想の70s
これは月に二回の予定で放送するようだ。今月(六月)は、七〇年代、八〇年代。
七〇年代が、現代にいたるサブカルチャーの歴史の原点ということになるのだろうか。私は、一九五五年の生まれであるので、この番組のなかに登場したほとんどの映画などは知っている。全部見ているということではないが、少なくともそれが日本で上映されたときのことは憶えている。
「奥様は魔女」は憶えている。あれが、「普通」のアメリカの暮らしとして、多くの日本の人びとに理解されてきたということはあったと思う(ただ、その奥様が魔女であるという例外をのぞいてであるが。)その「普通」が崩壊していくプロセスが、七〇年代の歴史でもあったことになる。そして、その大きな要因の一つがベトナム戦争。
ベトナム戦争のことは、私の記憶のうちのことである。その当時は、あまり考えることなく、ただテレビのニュースを見ていただけということもあるが、ただ、最後のサイゴン陥落のときのことは、憶えている。なんとなく一つの時代が終わったと感じたものであった。
ただ、この番組は、アメリカのことが中心になっていたので、日本のことがまったく出てきていないのが、気になるといえば気になる。日本では、安保闘争の時代であった。この時代の出来事がその後の日本に何を残したか、まだ明確にはなっていないと言ってもいいのかもしれない。
ところで、最近読んだ本、『どうにもとまらない歌謡曲』(舌津智之、ちくま文庫)。これは、日本の七〇年代の歌謡曲の、ジェンダー論からの分析を中心とする。まさにこの時代が、日本の歌謡曲の時代であり、同時に、ベトナム戦争の時代でもあったことになる。
体験的にこの時代のことを憶えている人間の一人としては、いろいろと思うことがある。いやそれよりも、もう特に語りたくはないという気持ちもある。この時代のことを歴史的に振り返って考えるのは、これからの新しい人たちの仕事になるのかと思う。
それから印象に残っていること……アメリカは抵抗の国である、ということ。なるほどそうかもしれないと思う。ロシアのウクライナ侵略に対する態度を見ても、基本的に抵抗ということがあるように感じられる。もちろん、この抵抗ということは、時代により、またどのような人びとの何に対する抵抗か、大きく変わることではある。しかし、七〇年代のカウターカルチャーの発生から、それをうけつぐ今日までの流れのなかに、抵抗をよしとする精神的伝統というものが、あるのかもしれない。
ともあれ、登場する映画などなつかしくもあり、また、いろいろと思うことの多い番組であった。
2022年6月22日記
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