ブラタモリ「大原」2022-06-27

2022年6月27日 當山日出夫

ブラタモリ 大原

土曜日の夜の放送、録画しておいて日曜日の朝にゆっくりと見た。

京都大原三千院……「女一人」であるが、この歌を聞くたびに思うことがある。「池の水面」を、「みなも」と読むか「みずも」と読むか、歌う歌手によって違っていることである。私の感覚としては、「みなも」と読んでおきたいところなのであるが、ここは正しくはどうなのだろうか。

大原には、高校生のころに行ったことがある。バスに乗っていったのを憶えている。三千院にも行ったと思うし、寂光院にも行ったと思う。ただ、今となっては、すっかり忘れてしまっていることであるが。

近年は行っていない。寂光院が火災にあったことは、ニュースで知ったが、その姿を直に目にしたことはない。

記憶では、確か、大原には、建礼門院右京大夫の墓と伝えられるところああったかと思うのだが、どうだったろうか。

ところで、番組の中で、大原女の運んだ柴のことが出てきていた。以前、学生に、レポートの書き方を教えるとき、簡単な作文の課題として、「桃太郎」を書かせていたことがある。日本文学などを学ぶ学生にとって、日本の昔話を知っていることは、これは重要なことでもある。このとき、ほとんどの学生が、「しばかり」を「芝かり」と書いていた。「芝」ではなく「柴」なのだと教えることがしばしばだった。

今の学生にとって、かまどで火をもやすなどのことが経験的に無いはずである。風呂もガスか電気温水器だろう。「柴」というものの実際を目にすることは無いにちがいない。これが、書けないのも無理はないかという気にはなる。

しかし、多くの日本の人びとの生活のなかから、「柴」というものが姿を消したのは、そう古いことではない。御飯を炊くのに、昭和三〇年代に、電気炊飯器が発売されるまで、多くの家庭では薪で焚いていた。日本の人びとの生活様式が大きく変化したのは、近年のことになる。

2022年6月26日記