映像の世紀バタフライエフェクト「キューバ危機」2022-07-01

2022年7月1日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト キューバ危機

キューバ危機については、過去の「映像の世紀」シリーズでもとりあげられているし、また、これだけの特別番組もあった。見て、特に目新しいという印象はない。

だが、ここで、NHKがキューバ危機のことを取り上げることになったのは、やはりロシアによるウクライナ侵略ということがあってのことだろう。今もそうなのだが、ウクライナの問題において、核兵器の使用ということへの懸念がまったくないわけではない。いや、侵略がはじまったころ、戦術核の使用があり得ると、現実的に議論されていた。

重要なのは、指導者の判断、また、現場の冷静さということにつきるのかもしれない。

ところで、キューバ危機についての放送を見て思うことだが、ケネディは、ホワイトハウスでの会議を録音していた。いったい何のために、そして、それがどういう経緯で保存、公開ということになっているのだろうか。このあたり、政治、歴史の史料のあり方について、考えるところがある。

また、キューバ危機は、日本もまたその最前線であったことも重要である。その当時も、また、現在でも、日本はソ連・ロシアと国境を接している。

キューバ危機から学ぶべきことは多くある。

2022年6月29日記

『異邦人』カミュ/窪田啓作(訳)/新潮文庫2022-07-02

2022年7月2日 當山日出夫(とうやまひでお)

異邦人

カミュ.窪田啓作(訳).『異邦人』(新潮文庫).新潮社.1954(2014.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/211401/

名作、古典の読み直しである。この本も若いときに手にしたような記憶があるのだが、忘れてしまっている。ただ、そのはじまりは憶えていた……「きょう、ママンが死んだ。」

カミュの作品では、最近、『ペスト』が岩波文庫と光文社古典新訳文庫で刊行になった。これらは、両方とも読んだ。

やまもも書斎記 2021年6月10日
『ペスト』カミュ/三野博司(訳)
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/06/10/9386381

やまもも書斎記 2021年9月30日
『ペスト』カミュ/中条省平(訳)
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/30/9428168

『異邦人』は、『ペスト』とならんでカミュの代表作である。私の若いころ、カミュはちょっとした流行であったように思い出される。内容の理解はともかく、とにかく読んでおくべき本としてあった。

何十年ぶりになるだろうか、『異邦人』を読みかえしてみて、思うところは次の二点。

第一に、とにかく面白いことである。

もうこの年になって本を読むと、文学史的にどうかとか、思想としてどうかということは、さほど気にならなくなっている。それよりも、とにかく読んで面白いかどうか、ということが重要である。単純に考えて、『異邦人』は面白い。そう長くない小説ではあるが、いっきに読んでしまった。

第二に、神の問題。

この小説の最終章で、司祭と対話するシーンがある。おそらく、カミュの思想、文学史的位置づけとしては、ここの部分が重要なのであろう。二一世紀の日本で、この作品(翻訳)を読んで思うことは、なるほどそういう考え方で、この小説の出来事、主人公の行動を考えることができるのか、という興味である。おそらく、この作品の発表された当時のフランスという国においては、まさに、この小説の主人公の考えること、行動は、神の問題と直結して考えるべきことであったにちがいない。

以上の二つのことを思ってみる。

さて、今、三島由紀夫を読みつつある。ちょっと中断した感じではあるが、これは、とにかく読み進めていきたい。そのかたわら、世界の古典、名作の読み直しということにしたい。『ペスト』も再度読んでおきたい気がする。もとにもどって、『ペスト』という小説を読んでおきたい。それからカミュの作品は未読のものがいくつかある。これも読んでおきたいと思う。

2022年6月3日記

『ちむどんどん』あれこれ「古酒交差点」2022-07-03

2022年7月3日 當山日出夫

『ちむどんどん』第12週「古酒交差点」
https://www.nhk.or.jp/chimudondon/story/week_12.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年6月26日
『ちむどんどん』あれこれ「ポークとたまごと男と女」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/06/26/9503374

この週は恋の話し。

暢子、愛、それから、和彦、智、この四人の恋の物語。はて、本当は誰が誰のことを好きなのだろうか。少なくとも、愛は和彦のことを思っている。智は暢子のことが好きである。だが、和彦の本当の気持ちはどうなのか。暢子自身はどう思っているのか。暢子は、まだ本当の自分の気持ちに気づいていないのかもしれない。

まあ、よくある話し。ドラマのなかの恋物語としては、こんなものかなと思う。が、これが、『ちむどんどん』という朝ドラの中の恋物語として成功しているかどうかは、微妙な気がする。もし、智と暢子ということになると、歌子が不憫である。まあ、和彦とのことがうまくいかなくても、愛の場合、パリに行くという夢が残っているのだが。

それにしても、ニーニーは相変わらずである。店で酔っ払うのはいいとしても、オーナーのワインまで飲んでしまうのは、ほとんど犯罪的である。フォンターナでの会食の費用は、誰がはらったのだろうか。ニーニーにそんなに金があるとも思えない。

次週は、恋の物語のつづきである。しかし、次週の予告のところの「リンリンリリン」のフレーズは、ちょっと古すぎて、今の若い人には分からなかったかもしれない。まあ、私は憶えているのだが。次週、暢子の恋の行方がどうなるか、楽しみに見ることにしよう。

2022年7月2日記

追記 2022年7月10日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年7月10日
『ちむどんどん』あれこれ「黒砂糖のキッス」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/07/10/9507613

『くるまの娘』宇佐見りん2022-07-04

2022年7月4日 當山日出夫

くるまの娘

宇佐見りん.『くるまの娘』.河出書房新社.2022
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309030357/

宇佐見りんという作家は、あるいは、古風な日本文学の流れの中に位置づけられるのかとも思う。この作品、斬新なようなところもあるが、しかし、その核にあるのは、古くからの日本文学の題材である。

出てくるテーマとしては、死であり、家族であり、父であり……このあたり、そう奇抜なテーマを、新しい視点から描いたとも思えない。私の読んだ印象では、古くから日本文学で、幾度となく書かれてきたことである。

また、それをもってある器(小説の文章、文体)、これも、そう斬新な手法によっているとも思えない。確かに抜群に巧いことは確かなのだが、目新しいという印象はうけない。

さらに、象徴的なのは自動車。小説のなかで、家族は自動車で旅をして、そこで寝泊まりをする。自動車……これは、伝統的な日本文学の流れのなかにおいて、異界への乗り物に他ならない。(たとえば、村上春樹の小説に出てくる、エレベーターとか、井戸とかを、思い浮かべてもいいかもしれない。これらは、伝統的に異界への入り口である。)

読んで、そう新しいという印象はない。だが、読み始めて、いっきにこの小説を読ませる文章の力は、たいしたものである。文学がまさに文体において成立するとするならば、宇佐見りんという作家は、まぎれもなく、新しい時代の新しい作家であると言っていいだろう。

小説を読む楽しみを感じさせる、当たり前のことだが意外と今の日本の文学が忘れてしまったものかもしれない、だが、宇佐見りんは、これを示してくれるこれからの時代の小説家であると思う。

2022年6月4日記

『鎌倉殿の13人』あれこれ「悲しむ前に」2022-07-05

2022年7月5日 當山日出夫

『鎌倉殿の13人』第26回「悲しむ前に」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/26.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年6月28日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「天が望んだ男」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/06/28/9504044

このドラマは、今年のはじめからずっと見てきているが、おそらくこの回がこれまでで最も内容の濃い回であったと思う。

頼朝は死ぬことになる。その死にいたるまでの過程、それをとりまく鎌倉の武士たちの挙動、心情を、非常に細やかに描いていた。なかんずく興味深かったのが、義時と政子。

ここだけの内密の話しとして、頼朝が臨終であることを、義時は比企につたえる。「ここだけの話し」というのが、本当にここだけでとどまるはずがない。おそらくは、比企の口から、さらに噂が鎌倉に広まることを予見しての行動なのだろう。(つまりは、比企はうまく使われたということになるだろうか。)

また、頼朝の死んだ後に、鎌倉幕府を背負ってたつことになるのが政子なのだが、これも、頼朝の死という現実を、どうにか受け入れたようである。夫の死であると同時に、将軍・鎌倉殿の死である。その後の鎌倉殿は、政子あってのものになる。

歴史の結果としては、これから、源氏将軍は実朝まで続いて途絶える。幕府の実験を握ることになるのは、義時と政子になるはずである。

次週は、参議院選挙ため放送は中止。次回は、再来週の放送になる。ここで、このドラマの前半が終わったということでいいのだろう。頼朝亡き後の鎌倉をどう描くことになるのか、次回から「十三人」が幕府を支えることになるのか。楽しみに見ることにしよう。

2022年7月4日記

追記 2022年7月19日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年7月19日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「鎌倉殿と十三人」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/07/19/9510338

カラスノエンドウ2022-07-06

2022年7月6日 當山日出夫

水曜日なので写真の日。今日はカラスノエンドウである。

前回は、
やまもも書斎記 2022年6月29日
シャガ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/06/29/9504336

これも四月に撮った写真のストックからである。

駐車場の空き地などでカラスノエンドウを目にする。例年、この花を目にするとそろそろ初夏かなと感じるころになる。咲いている花をそう熱心に観察するということはなく、写真に撮ってみて、こんな花だったのかと思う。

今は、この花も終わり、ドクダミが咲いていたのだが、草を刈ってしまったので無くなっている。クローバーとか、夕化粧の花が、ちらほらと見える。

ちょうどクチナシの花の咲くころになってきた。先週まであまりに暑い、というよりも熱いので外に出て写真を撮る気がしなかった。ここ二~三日は、台風の影響で雨である。合歓木も咲いているはずなのだが、ちょっと写真を撮りに出かけようということにはならないでいる。

天気予報を見ると、これから雨が降る日もあるが、晴れ間もありそうである。カメラを持って出ることにしたいと思う。

カラスノエンドウ

カラスノエンドウ

カラスノエンドウ

カラスノエンドウ

カラスノエンドウ

カラスノエンドウ

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2022年7月5日記

追記 2022年7月13日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年7月13日
錦木
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/07/13/9508544

映像の世紀バタフライエフェクト「RBG 最強と呼ばれた女性判事 女性たち 百年のリレー」2022-07-07

2022年7月7日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト「RBG 最強と呼ばれた女性判事 女性たち 百年のリレー」

録画しておいて、後日にゆっくりと見た。

この回は、いわゆる女性の権利をめぐる運動の話し。共感できるところの多い番組であった。

女性参政権に象徴される女性の権利。そして、ガラスの天井。これらのことは、日本においても、大きな問題となっていることである。たまたま、今は、参議院選挙の最中であるが、その中においても、女性の候補者の存在、また、いくつかの女性の権利に否定的な発言をする候補者などのことがある。世の中は、そう簡単に変わるものではないのかとも思う。

少なくとも私は、社会の少数者、弱者が声を上げる権利は擁護する立場に立ちたいと思う。とはいえ、世の中に生きているものとして、そのうちどれだけに賛意を示すことができるかどうかは、分からないとしかいいようがない。私とて、絶対の正義の立場にいるわけではない。歴史の流れのなかで、その時々の判断をしていくことになる。

そして書いておくならば、いわゆる保守的であることが、即座に悪いことだとは思っていない。必要なことは、保守的な発想にあって、そのきたるところの価値観が、どのように歴史的、社会的背景を持って成立しているものなかについて、反省の必要が常にあるということである。古くからあるものを絶対視するだけであるのは、真の保守の考え方であるとは思っていない。それは、ただの思考停止、守旧的なだけである。

2022年7月6日記

『八犬伝』(上)山田風太郎/河出文庫2022-07-08

2022年7月8日 當山日出夫

八犬伝(上)


山田風太郎.『八犬伝-山田風太郎傑作選 江戸編ー』(上)(河出文庫).河出書房新社.2021
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309417943/

去年は、山田風太郎の明治小説を読んだ。『警視庁草紙』からはじまって、一連の作品で、筑摩書房から刊行になったもの全部を読んだことになる。ほとんどの作品は、再読、再々読になる。また、『戦中派不戦日記』も読んだ。これも、再読になる。山田風太郎を読んだのは、主に若いときのことであった。機会を作って読みなおしてみたいと思っていたのが、『八犬伝』である。これも、若いときに読んでいる。文庫本で読んだのを憶えているので、たぶん朝日文庫であったのかと思う。

『八犬伝』は、河出文庫版に記載の書誌によると、一九八三年に朝日新聞に連載された。そのころ、私は、朝日新聞をとっていたはずだが、連載小説としてこの作品を読んだという記憶がない。(まあ、新聞連載小説を毎日読むということ自体が、ほとんどないといってしまえば、それまでであるが。)

久しぶりに読みかえして思うことはいくつかある。二つばかり書いてみる。

第一に、大衆小説史について。

山田風太郎の明治小説でもそうなのだが、時々、作者(山田風太郎)が作品中で顔を出すことがある。この『八犬伝』も、時々、作者の一言がある。そのなかで興味深かったこととして、例えば、天守閣での決闘シーン……これは、馬琴の『南総里見八犬伝』にはじまるとある。言われてみれば、そうかなと思う。

今でも、時代劇などで、天守閣での決闘シーンなどは、普通にあることだろう。では、このような設定を誰が考え出したのか、ということまでは、思っていなかった。ここは、山田風太郎の指摘があって、なるほどそうなのか、と思った次第である。

山田風太郎の作品の文学的価値ということもあるが、その一方で、山田風太郎は大衆小説家である。その作品の多くは、エンタテインメントとして書かれた。このことに、山田風太郎は自覚的である。自分の作品が、大衆小説の歴史のなかでどのように位置づけられるものなのか、はっきりと自覚して書いていたと思う。

第二、馬琴。

近現代の小説で、馬琴が登場する作品というと、『戯作三昧』(芥川龍之介)が思い浮かぶ。また、『手鎖心中』(井上ひさし)も思い出される。

馬琴という存在、その生き方それ自体が、小説的であり、また、小説に描きたくなるようなところがあるのだろう。近世において、「作者」として生計をたてた人物ということでもあり、虚構の世界を構築したということでもある。

私は、近世文学史にはうといので、馬琴の事跡について、そう知っているということではない。だが、近代になってからの小説家が、小説という架空の物語を書いて、それで生計をいとなむというときに、先駆者の一人として思い出されるのが馬琴であろうことは、理解できる。そして、馬琴に託して、自分の創作に対する思いを述べることもできる。

以上の二点のことを思ってみる。

文庫本で上下二巻。虚の部分として「八犬伝」の現代風リライト、実の部分として江戸での馬琴の作者としての生活、これが交互に語られる。二つの部分が総合されて、全体として一つの伝奇小説になっている。このあたりの趣向は、さすが山田風太郎の作品であると感じるところがある。

続けて下巻を読むことにしたい。

2022年6月8日記

『すべての月、すべての年』ルシア・ベルリン/岸本佐知子(訳)2022-07-09

2022年7月9日 當山日出夫

すべての月、すべての年

ルシア・ベルリン.岸本佐知子(訳).『すべての月、すべての年』.講談社.2022
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000353810

文庫版の『掃除婦のための手引き書』に続いて読んだ。

読後感としては、ありきたりになるが……大人が読む小説、というところになる。今、一般に文学、小説というと、どうしても若い人のためのもの、そして、登場する人物も若い人が多いのが、日本の有様だろうと思われる。そのなかにあって、このような小説……現代社会の中に生きる、市井の人びとの感覚、これを見事にとらえている。

無論、舞台は、アメリカであり、時代としてもちょっと古い。そのような違いはあるというものの、今の二一世紀の日本で生活している我々の生活感情のなかに染み込んでくるようなところがある。まさに、こういうのを文学というのだろう。

波瀾万丈の大活劇もいいが、じんわりと心の底から共鳴するところのある作品である。こういう本を読むとき、読書の楽しみというのを感じる。

2022年6月10日記

『ちむどんどん』あれこれ「黒砂糖のキッス」2022-07-10

2022年7月10日 當山日出夫

『ちむどんどん』第13週「黒砂糖のキッス」
https://www.nhk.or.jp/chimudondon/story/week_13.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年7月3日
『ちむどんどん』あれこれ「古酒交差点」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/07/03/9505600

暢子、愛、和彦、智……この四人の関係であるが、今一つ展開がよくわからない。誰が、誰のことをどう思っているのか、はっきりしないところがある。まあ、智が暢子のことを好きであるというのは、分かるのだが、それ以外のそれぞれの関係がよくわからない。

そのせいなのだろうが、このドラマ、一日に一回見ればいいという気になっている。以前の『おちょやん』とか『カムカムエヴリバディ』とか、一日に三回見ていたこともあるのだが。でもまあ、あきらめることなく見続けている。特に深く考えることなく、ぼんやりと見ているぶんには、それなりに楽しめるドラマになっていると思う。

前にも書いてみたが、このドラマを見るのに想像力はいらない。沖縄のおかれた状況がどうであったか、その当時の世相がどんなだったか、あまり考える必要は無いように思う。ただ、そんなものかと思ってみていればいい。人間の生き方をどう描くとか、時代をどうとらえるとか、朝ドラに過度の期待はしないほうがいいのかと思っている。

しかし、このドラマについては、視聴率が低迷しているという話しは無いようである。見て楽しんでいればいいのだろうと思っている。

2022年7月9日記

追記 2022年7月17日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年7月17日
『ちむどんどん』あれこれ「渚の、魚てんぷら」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/07/17/9509678