『八犬伝』(上)山田風太郎/河出文庫2022-07-08

2022年7月8日 當山日出夫

八犬伝(上)


山田風太郎.『八犬伝-山田風太郎傑作選 江戸編ー』(上)(河出文庫).河出書房新社.2021
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309417943/

去年は、山田風太郎の明治小説を読んだ。『警視庁草紙』からはじまって、一連の作品で、筑摩書房から刊行になったもの全部を読んだことになる。ほとんどの作品は、再読、再々読になる。また、『戦中派不戦日記』も読んだ。これも、再読になる。山田風太郎を読んだのは、主に若いときのことであった。機会を作って読みなおしてみたいと思っていたのが、『八犬伝』である。これも、若いときに読んでいる。文庫本で読んだのを憶えているので、たぶん朝日文庫であったのかと思う。

『八犬伝』は、河出文庫版に記載の書誌によると、一九八三年に朝日新聞に連載された。そのころ、私は、朝日新聞をとっていたはずだが、連載小説としてこの作品を読んだという記憶がない。(まあ、新聞連載小説を毎日読むということ自体が、ほとんどないといってしまえば、それまでであるが。)

久しぶりに読みかえして思うことはいくつかある。二つばかり書いてみる。

第一に、大衆小説史について。

山田風太郎の明治小説でもそうなのだが、時々、作者(山田風太郎)が作品中で顔を出すことがある。この『八犬伝』も、時々、作者の一言がある。そのなかで興味深かったこととして、例えば、天守閣での決闘シーン……これは、馬琴の『南総里見八犬伝』にはじまるとある。言われてみれば、そうかなと思う。

今でも、時代劇などで、天守閣での決闘シーンなどは、普通にあることだろう。では、このような設定を誰が考え出したのか、ということまでは、思っていなかった。ここは、山田風太郎の指摘があって、なるほどそうなのか、と思った次第である。

山田風太郎の作品の文学的価値ということもあるが、その一方で、山田風太郎は大衆小説家である。その作品の多くは、エンタテインメントとして書かれた。このことに、山田風太郎は自覚的である。自分の作品が、大衆小説の歴史のなかでどのように位置づけられるものなのか、はっきりと自覚して書いていたと思う。

第二、馬琴。

近現代の小説で、馬琴が登場する作品というと、『戯作三昧』(芥川龍之介)が思い浮かぶ。また、『手鎖心中』(井上ひさし)も思い出される。

馬琴という存在、その生き方それ自体が、小説的であり、また、小説に描きたくなるようなところがあるのだろう。近世において、「作者」として生計をたてた人物ということでもあり、虚構の世界を構築したということでもある。

私は、近世文学史にはうといので、馬琴の事跡について、そう知っているということではない。だが、近代になってからの小説家が、小説という架空の物語を書いて、それで生計をいとなむというときに、先駆者の一人として思い出されるのが馬琴であろうことは、理解できる。そして、馬琴に託して、自分の創作に対する思いを述べることもできる。

以上の二点のことを思ってみる。

文庫本で上下二巻。虚の部分として「八犬伝」の現代風リライト、実の部分として江戸での馬琴の作者としての生活、これが交互に語られる。二つの部分が総合されて、全体として一つの伝奇小説になっている。このあたりの趣向は、さすが山田風太郎の作品であると感じるところがある。

続けて下巻を読むことにしたい。

2022年6月8日記