「クロイツェル・ソナタ」トルストイ/望月哲男(訳)2022-08-06

2022年8月6日 當山日出夫

イワン・イリイチの死

トルストイ.望月哲男(訳).『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』(光文社古典新訳文庫).光文社.2006
https://www.kotensinyaku.jp/books/book09/

「クロイツェル・ソナタ」も名前は昔から知っていたのだが、なんとなく手にとることなく過ぎてしまった作品である。「イワン・イリイチの死」に続けて読んだ。

文学は芸術であり、そして、狂言綺語である。端的に言い切ってしまうなら、こんなふうな感想になる。これは、最大に褒めているのである。

ここには、晩年のトルストイの人生観、特に、結婚や女性についての思想が語られる、まあ、通俗的に読むならこう言っていいのだろう。だが、これは小説である。小説の中の登場人物の語りとして述べられていることである。どこまで作者であるトルストイの考えを反映しているものなのか、ここは距離を置いて考えるべきだろう。

無論、この作品に対して、今日のフェミニズムの観点から論評を加えることは簡単なことかもしれない。だが、それがあったからといってどういうことがあるのだろうか。この作品の持つ、小説としての面白さ……それを、芸術と言ってみることになるのだが……は、いささかもゆるぐことはないだろう。

そして、この小説は、鉄道小説であり、犯罪小説でもある。そういえば、『アンナ・カレーニナ』においても、鉄道は重要な意味を持っていた。『クロイツェル・ソナタ』は、まさに鉄道というものの登場があってこそ書かれた小説というべきである。そして、この小説全体を通じて語られるのは、ある犯罪である。犯罪と文学ということでは、いろいろと考えるべきことがあるかと思うが、ここは、一九世紀ロシア文学において、犯罪について語るということが、一つの文学的潮流であったと思っておけばいいのかもしれない。

ともあれ、そう長くない作品である。一気に読んでしまった。文学を読む楽しみというものがあるならば、このような作品を読むときに感じるものなのだろう。鉄道に乗り合わせた乗客という舞台設定があり、その中の語り手の物語である。どこまで信じていいものなのか疑念に思いながらも、その語りのなかに入りこんでいく。まさに、近代小説の極致と言っていいだろう。

2022年6月19日記

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