『嫉妬/事件』アニー・エルノー/堀茂樹・菊地よしみ(訳)/ハヤカワepi文庫2022-11-11

2022年11月11日 當山日出夫

嫉妬・事件

アニー・エルノー.堀茂樹・菊地よしみ(訳).『嫉妬/事件』(ハヤカワepi文庫).早川書房.2022(早川書房.2004)
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015270/author/page65/disp_pc/

ノーベル文学賞である。これも買って読んでみることにした。ノーベル文学賞だからどうのこうのということはないと思うのだが、この本について言うならば、読んで面白い。ただ、これは、これらの作品の理解としては、浅薄なものかなとも思う。理解としては、書かれた時代と社会を考慮して、考えてみなければならない。特に「事件」については、フランスで妊娠中絶が違法であった時代背景についての理解が欠かせないだろう。また、家族とは、女性とは、社会とは、罪とは、法とは……実に様々な問いかけが作品中にはある。

そのようなことは分かっているつもりなのだが、ただ小説として読んでひかれるところがある。読んで面白いのである。

特に「事件」を読んで感じるところとしては、フランスの階級社会ということがある。主人公の「わたし」は学生なのであるが、それだけで社会的階級に影響を与えている。そもそも大学に行くような人びとは、階級的に限られているということなのだろうと理解する。そう思ってみるとであるが、かつてのフランスで五月革命があったとき、学生たちの行動がなぜ社会の変革につながったのか、このあたりのことが見えてくるように感じる。まあ、この作品の読み方としては、これは副産物的なものであるにちがいないが。

たぶん、ジェンダー論の方向で様々に議論の対象なる作品が収録されている。また、フィクションとは何か、小説とは何か、問いかける作品でもある。だが、私としては、そのような議論はその専門の人たちにまかせておいて、ただ読み物として面白ければいいという気になっている。あまり正統とはいえない読み方かもしれないが、文学をそう思って読んでもいいだろう。

2022年11月8日記

『高峰秀子ベスト・エッセイ』斎藤明美(編)/ちくま文庫2022-11-12

2022年11月12日 當山日出夫

高峰秀子ベスト・エッセイ

高峰秀子.斎藤明美(編).『高峰秀子ベスト・エッセイ』(ちくま文庫).筑摩書房.2022
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480438409/

高峰秀子は、私にとっては女優である。月並みな言い方をあえてすれば、往年の銀幕の大女優と言っていいだろう。見た記憶のある作品としては、「名もなく貧しく美しく」は映画館で見たのを憶えている。「二十四の瞳」も見たような記憶があるのだが、定かではない。

文筆家として著名であるという知識はあったのだが、その文章を意識して読んだことはなかった。たまたま、ちくま文庫の新刊でこの本が出たので買って読んでみた。

すぐれた文章である。人間観察のするどさ、やさしさ。どこなくユーモアがあると同時に、冷酷な観察眼もある。これは面白いと思って読んだ。

中で印象に残っているのが、ブロマイドについて書いたもの。幼いころから映画の世界で生きて、そして戦争の時代を生きてきたからこそ書ける文章ではあるが、涙無くしては読めない静かな感動がある。それから辞書についての文章も印象に残る。辞書というのは、こういう人がこういう使い方をするものなのか、と認識をあらたにした。(まあ、私の場合、国語学という分野で仕事をしてきて、人並み以上には、辞書というものに関心を持っている人間であるだろうが、この文章に感動する。)

交遊録として印象に残るのは、最後の方に収められている、その当時の皇太子さま、美智子さまとのことである。現在の、上皇さま、上皇后さまである。あまり知られない、その人柄の一面に触れることができる。

また、こういう読み方は、あまり正しい読み方とは言えないのかもしれないと思うが、映画の世界で育ってきた著者は、「俳優」ということばを、男性、女性ともに用いている。これは、映画の世界での習わしなのだろうか。今でこそ、「俳優」ということばは、男性にも女性にも使うことばになっている。著者は、「女優」ということばも使っているので、これを避けているのではないことは読み取れる。国語学、日本語学の観点からは、このようなことが気になった。

ともあれ、高峰秀子は、幼いころより子役として映画の世界で生きてきた。学校教育はほとんどうけていない。そのせいもあるのだろうが、字面の難しい漢語などは使っていない。平易な日本語の文章である。

映画女優としての高峰秀子も歴史に残るだろうが、エッセイストとしての高峰秀子もまた歴史に残る名前であるにちがいない。

2022年11月9日記

『舞いあがれ!』あれこれ「スワン号の奇跡」2022-11-13

2022年11月13日 當山日出夫

『舞いあがれ!』第6週「スワン号の奇跡」
https://www.nhk.or.jp/maiagare/movie/week06/

スワン号は、琵琶湖の空を飛んだ。そして舞はパイロットになる決意である。

この週で印象に残っていることは、次の二つぐらいだろうか。

第一に、スワン号。

なにわバードマンの協力の結果、スワン号は完成し、舞はパイロットとして空を飛ぶ。記録飛行を目指したのだが、結果はあまりよくなかった。しかし、スワン号が空を飛ぶ、そのために頑張る学生たち、また、舞の姿は感動的であった。朝ドラでは、いわゆる青春群像というようなものはあまり出てこないように思うのだが、このドラマで描かれていた学生たちの姿には、共感するところが大きい。充実した学生生活であると思う。また、飛行機作りには舞の家の工場も協力することになった。(ただ、飛行機作りに熱中するのはいいが、もうちょっと勉強もした方がいいかもしれない。)

第二に、パイロット。

琵琶湖を飛んだ舞は、パイロットになる夢をもつ。そのように決意することになる。これは、実際に人力飛行機で琵琶湖の空を飛んだ人間にしか分からない感情なのだろうと思う。ここにちょっと飛躍が無いでもないように感じるところがあるのだが、ここのところは、非常に素直な流れで舞の気持ちの変化を描いていた。

以上の二点のことを思ってみる。

その他、幼なじみの久留美と貴司のことも、心に残る。久留美は無事に学校を続けることができるだろうか。また、貴司は、仕事がうまくいかないようなのだが、どうすることになるのだろうか。貴司が、古本屋で読んでいた本は、「ねむれ巴里」(金子光晴)であった。たぶん、何らかの形で文学からは離れることができないのかもしれないと感じさせる。

次週以降、舞のパイロット志望はどうなるのだろうか。続きを楽しみに見ることにしよう。

2022年11月12日記

ブラタモリ「善光寺」2022-11-14

2022年11月14日 當山日出夫

ブラタモリ 善光寺

これは面白かった。

善光寺の絵解き。そういえば、私のこどものころには、神社などで地獄の絵図をかかげて絵解きをしている人がいたのを憶えている。今では、もう消えてなくなってしまっただろうか。善光寺の絵解きは、荒唐無稽といえばそれまでであるが、今に残っているのは興味深い。なるほど、一昔前まで、こんなふうにして日本各地で、絵解きが行われていたのだろうと思う。(まあ、これも、広い意味では芸能の一種といえるだろうが。)

それから、善光寺の本尊が戦国時代にあちこち放浪していたことも面白い。

ただ、その創建のころの歴史が、どうなのか説明があってもよかったかもしれない。

残念ながら善光寺には行ったことがない。一度行ってみたいところではある。もし行くことがあったら、七味は買って帰りたい。

2022年11月13日記

『鎌倉殿の13人』あれこれ「資格と死角」2022-11-15

2022年11月15日 當山日出夫

『鎌倉殿の13人』第43回「資格と死角」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/43.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年11月8日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「夢のゆくえ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/08/9539297

一番悪いのは、義時だろうか、それとも、三浦だろうか。

公曉が鎌倉に帰ってきた。次の鎌倉殿の地位をねらっている。その公曉に近づくのが、三浦義村。では、この筋書きからするならば、実朝暗殺の背後にいたのは三浦ということになりそうなのだが、どうだろうか。

歴史学の方でも、実朝暗殺の真相は分からないということのようなのだが、そこをこのドラマがどう描くのか、一番の関心のあるところでもある。ひょっとして、義時はすべてを知っていた……ということになるのかもしれない。

義時が目指しているものは何なのだろうか。執権という権力の地位か。それとも、御家人たちからの人望か。少なくとも今の義時は、権力者であることに固執しているようにも見える。というよりも、自分の権力がどのような基盤の上になりたっているのか、考え抜いているようである。

そして興味深いのが後鳥羽上皇。承久の乱の伏線が、どうやら実朝暗殺とからんでくるようだ。実朝暗殺が、後鳥羽上皇の意図とどうからんでくるのかが、これからの見どころかもしれない。

それから、兼子がよかった。なるほど、宮中の女性の貫禄とはあんなものか、と感じさせるところがあった。

次回、いよいよ実朝暗殺に向かってドラマは動いていくらしい。どのように描くことになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2022年11月14日記

追記 2022年11月22日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年11月22日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「審判の日」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/22/9542772

紅葉2022-11-16

2022年11月16日 當山日出夫

水曜日なので写真の日。今日は紅葉である。

前回は、
やまもも書斎記 2022年11月9日

http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/09/9539556

たぶんハウチワカエデでいいかなと思って見ているのだが、詳しくは調べていない。我が家にある紅葉の木のうちで、一番早くに紅葉する。これも、昨日(一三日)の雨で、すっかり葉が落ちてしまった。

イロハモミジの方は、ちょっと色づき始めたかなというぐらいである。これが本格的に赤くなるのは、例年であれば、一一月の終わりから一二月にかけてのころになる。イチョウが黄色くなっている。千両の実も赤くなった。杜鵑草の花はもう終わりである。山茶花の花が咲いている。庭に出ると、秋から冬の景色になりつつある。

紅葉

紅葉

紅葉

紅葉

紅葉

紅葉

Nikon D500
AF-P DX NIKKOR 70-300mm f/4.5-6.3G ED VR

2022年11月14日記

追記 2022年11月23日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年11月23日
秋桜
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/23/9543014

『給仕の室』中公文庫2022-11-17

2022年11月17日 當山日出夫

給仕の室

中央公論新社(編).『給仕の室-日本近代プレBL短篇集-』(中公文庫).中央公論新社.2022
https://www.chuko.co.jp/bunko/2022/08/207247.html

タイトルにもあるとおり、BL小説集ということになる。

近年のBL作品について、そのようなジャンルがあることは知っているが、好んで読むということはしてない。一方、日本の近代文学、古典文学を見わたせば、いわゆるBL的なテーマの作品が多くあること、これは日本文学史の常識と言っていいだろう。日本文学の伝統的な流れのなかにあっては、BLというのは特に禁忌ということではなかったというのが、私の認識である。

この本は、Ⅰ部とⅡ部にわかれている。Ⅰ部で、狭義のBL小説といっていいものをあつかい、Ⅱ部においては、もうちょっと視点を広くとって、むしろ男性同士の友情といった方がいいような作品をあつめてある。

はっきりいって、この本を読むまでは、知らなかった作品はもちろん、名前を知らなかった作家もいる。不勉強であったというべきなのだが。近代になって、このような作家が、BLというジャンルに入る作品を書いていたのかと、新鮮な驚きというものがある。

なかには読んだことのある作品もある。太宰治の「駆込み訴え」は、はたしてこの本のなかに入っていていいのかどうか、ちょっと迷うところでもある。しかし、そのようなことは抜きにして、読みなおしてみて、なるほどこれは傑作といっていい作品だと思った。

それから、山本周五郎。これまで、特に山本周五郎の作品を好んで読むということはあまりなかったのだが、久々に読んでみるとこれがいい。素朴なヒューマニズムにふれた感じがする。こういう作品もいいものだと、この年になって読んでつくづくと思うようになった。

ともあれ、このようなアンソロジーをきっかけにして、日本文学において、性の問題、特に同性のことを、どのように描いてきたか、改めて振りかえって考えてみる必要があるだろう。これは出版としてはいい企画の本だと思う。

2022年9月19日記

『わたしの渡世日記』(上)高峰秀子/文春文庫2022-11-18

2022年11月18日 當山日出夫

わたしの渡世日記(上)

高峰秀子.『わたしの渡世日記』(上)(文春文庫).文藝春秋.1998(朝日新聞社.1976)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167587024

ちくま文庫の『高峰秀子ベスト・エッセイ』を読んだら、他の高峰秀子の書いたものを読みたくなって手にした。名著のほまれ高い本であることは知っていたが、これまで読むことなくきてしまったものである。

なるほど、これは名著だと思った。何より読んで面白い。そして文章がいい。平明であり、どこなくユーモアも感じさせる。起伏に富んだ文章であると同時に、非常になめらかである。名文である。

もとは、昭和五〇年に『週刊朝日』に連載されたものである。

高峰秀子の半生記という体裁であるが、話題は映画史のみならず、その当時の世相に広く及んでいる。読んでいて、高峰秀子という一人の女優の人生をたどりながら……同時に、昭和の歴史を語っていくことになっている。

読んで思うところとしては、次の二点ぐらいがある。

第一には、映画史の興味。

私は、映画史に疎いのだが、まったく興味がないわけではない。昭和初期から名子役として映画の世界の中で生きてきた高峰秀子の文章によって紡ぎ出されるのは、映画の世界の中の内側にいた人間しか書けない、映画人たちの素顔と言っていいだろう。そして、それを語る著者の語り口は、基本的におだやかで冷静である。が、時として、世間の風評に抗う姿もある。非常に人間的な文章であると言える。

たぶん、この本は、一般的に書かれた映画史のどの本よりも強く人を引きつけるのではないだろうか。

第二には、歴史への興味。

上巻は、昭和のはじめのころから、終戦までである。その当時の世相が生き生きと描かれている。映画の世界のなかからみた昭和史と言ってもいいだろうか。昭和の歴史として一通り知っているようなことについて、まさにその時代にいた人間の体験談、それも、映画という特殊な世界だからこそ見ることのできた、社会の様子が描き出されている。これは、これとして非常に興味深いところがある。

とりあえず、文庫本で上巻まで読んで思うところは以上のようなものである。

先に読んだ『高峰秀子ベスト・エッセイ』と重複する文章もあるのだが、それは気にならない。いや、読んだ記憶のある文章が、全体としてどんな文脈の中で書かれたものであるのか、再確認する意味で、この『わたしの渡世日記』で読んでおく価値はある。

ただ、この本を読んで確認できたこととしては、高峰秀子は、「俳優」ということばを、役者一般の意味で使用している。他に「女優」「男優」のことばも用いているので、特に「女優」を避けているというところはない。これは、映画の世界の用語として、「俳優」が男性、女性ともに使用されてきたことを受けるものであると推測される。現代の意図的にジェンダーへの配慮からもちいる「俳優」のことばとはちょっと違う。

2022年11月11日記

追記 2022年11月26日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年11月26日
『わたしの渡世日記』(下)高峰秀子/文春文庫
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/26/9543711

『舞いあがれ!』あれこれ「パイロットになりたい!」2022-11-19

2022年11月19日 當山日出夫

『舞いあがれ!』第7週「パイロットになりたい!」
https://www.nhk.or.jp/maiagare/movie/week07/

明日からちょっと留守にする。東京に行ってくる。早稲田大学での日本漢字学会である。朝早く出るため、朝の放送を見てから書くということができないので、金曜日まで見たところで、思ったことなど書いておくことにする。土曜日の放送は、一週間のまとめなので、これでもいいかと思う。

この週で、大阪編、五島編は、いったん終了ということのようだ。

第一に、舞のパイロットへの希望。

舞はパイロットになりたいという希望を両親につげるが、許してもらえない。五島に行くことになる。かつての母(めぐみ)と祖母(祥子)との関係、また、それをなぞるかたちでの、舞と母(めぐみ)との関係、これが多層的に描かれていて、印象深いものであった。結婚して町工場の仕事をすることになった母(めぐみ)は大学を中退している。その母(めぐみ)にとっては、舞はどうしても大学を卒業させてやりたいと強く思うのであろう。

第二に、貴司と久留美のこと。

幼なじみの二人も、それぞれに人生の岐路を迎えることになる。貴司は、仕事をやめて放浪の旅に出る。そこで自分が本当にやりたいものを見つけることになる。また、久留美は、家を出ていった母と再会する。舞、久留美、貴司とそれぞれに境遇の異なる三人だが、どうにかこれからの生きる道を見つけたようだ。

以上のようなことを軸にして、様々に細やかな人間の情感が描かれていたと思う。

ところで、貴司が、初任給で買ったのは、金子光晴の自伝三部作だった。『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』である。この脚本では、金子光晴について、一言も説明的なことを語っていない。金子光晴であることを認識する人は、より一層深くドラマの世界を感じることができるだろうし、そうでなくても、貴司の文学への気持ちは十分に伝わるようになっている。丁寧に説明するだけがドラマの作り方ではない。

次週以降、舞台は航空学校になるらしい。新しい展開を楽しみに見ることにしよう。

2022年11月18日記

『鎌倉殿の13人』あれこれ「審判の日」2022-11-22

2022年11月22日 當山日出夫

『鎌倉殿の13人』第44回「審判の日」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/44.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年11月15日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「資格と死角」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/15/9541084

実朝暗殺をめぐっては、諸説あることは知っていたつもりだが、このドラマではどうだろうかと思ってこれまで見てきた。誰かが黒幕ということはあるかと思う。強いていえば、三浦になるのかもしれない。しかし、このドラマでは、みんなが知っていた、という設定になっている。義時も無論知っていた。のみならず、実朝自身も、自分が狙われていることを知っていた。

だが、歴史の結果としては、事件は防ぐことができなかった。歴史の必然として、事がおこることが決められていたかのようである。その歴史のとめることのできない必然的な流れのなかで、では義時などはどうその生き方の選択をしたことになるのだろうか。

その義時にしても、歴史の必然をくいとめることはできない。鎌倉のため、そして、北条のために、生き方を選択することになる。

ともあれ、みんなが知っていながら、誰も止めることのできなかった事件として、実朝暗殺事件は、描かれることになる、これは斬新なドラマの作り方と言っていいのだろう。

次回は、その実朝暗殺のことになる。楽しみに見ることにしよう。

2022年11月22日記

追記 2022年11月29日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年11月29日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「八幡宮の階段」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/11/29/9544457