『鎌倉殿13人』あれこれ「報いの時」2022-12-20

2022年12月20日 當山日出夫

『鎌倉殿の13人』最終回「報いの時」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/48.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年12月13日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「ある朝敵、ある演説」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/12/13/9547577

一年間の放送が、最終回となった。なるほど、最終回とはこんなふうに作ってもよいものなのかと、感心しながら見ていたというのが正直な感想である。

まずオープニングでちょっと驚いた。このような演出も、大河ドラマならではものであろう。

承久の乱の宇治川の合戦もよかった。宇治川は京の都にとって要衝の地である。(今でも自衛隊がある。子供のころには中に入ったこともある。)

一年間、このドラマを見てきて思うこととしては、次の二つぐらいをあげておきたい。

第一には、権力の物語であったこと。

そんなに過去の大河ドラマを見てきたというのではないが、(古くは「太閤記」のころをのことを憶えている)、おそらく「権力」とはどのようなものであるか、問いかけたドラマとしては、希有な作品になるのではないだろうか。義時は、伊豆の地方の武士の一人にすぎなかったのだが、源頼朝とかかわることになって、最終的には、日本の(あるいは、東国の)権力の座に上りつめることになる。その過程は、権謀術数の渦巻き、争乱の時代でもあった。ただの正義感、または、権力欲だけでは、執権の地位にたどり着くことはできない。そこには、冷静に自己の行為のあり方をみつめ、権力を握るとは何であるのかの、自覚的な判断があった。

第二には、北条氏の物語であったこと。

ドラマの最後のシーンは、義時と政子によるものであったが、思い起こせば、このドラマは、鎌倉幕府、鎌倉殿、というよりも、北条氏の義時と政子の物語であったと感じる。振りかえって思うならば、このドラマの始めの方は、いかにも牧歌的というか、のどかな雰囲気でスタートしたのを憶えている。それが、いつの間にか、血なまぐさい権力の物語へと姿を変えていった。ドラマとして面白くなってきたのは、後半になって、頼朝が死んで、北条氏が権力の中心に位置するようになってからかと思う。

ともかく、以上の二つのことを思ってみる。

ところで、「13人」であるが、最終回にきて「13人」がこのような使い方で出てくるとは思っていなかった。計算し尽くしてのことかと思うが、最終回の最後の場面にいたる伏線が見事である。

さて、一年間のこのドラマを通じて何を感じたのか。いろいろあるが、一言で言ってみるならば、「権力の孤独」とでも言うことができるだろうか。最終的に三浦は敵対することはなく終わるのであるが、真の友人であり命に従う御家人であるとは言い切れない。義時はその家族を失い、最後は政子にとどめをさされることになる。義時は、どんどん孤独になっていき、最終的には、孤独の中で死を迎えることになった。

よくできた歴史ドラマであったと思う。これは、大河ドラマの歴史の中でも傑作と言っていい作品であろう。

来年は『どうする家康』である。どのような戦国の時代を描くことになるのか、これも楽しみに見ることにしよう。

2022年12月19日記