『地図と拳』小川哲2023-02-04

2023年2月4日 當山日出夫

地図と拳

小川哲.『地図と拳』.集英社.2022
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-771801-0

直木賞受賞作ということで読んでみた。空想混じりの歴史小説といったところか。全部で六〇〇ページほどになる。読むのに三日ほどかかってしまった。

確かに傑作と言っていいだろう。直木賞になるのもなるほどという気がする。だが、私の好みから言うと、あまり想像をまじえずに、歴史をなぞるような小説の方が好きである。(まあ、このあたりは、歴史小説、時代小説とは何かという議論とも関係するのだが。)

舞台は満州……この作品では、「満洲」の表記を使っている……であり、時代的には、日露戦争の前から、太平洋戦争の後まで、ほぼ半世紀である。壮大な歴史ドラマと言っていいだろう。ただ、出てくる都市が、架空の都市である。そのせいだろう、この種の歴史小説につきものの、満州地域の地図というものがこの作品にはついていない。

登場人物もめまぐるしく変わる。誰が主人公ということもないようである。無論、時代の流れも大きく変わる。その時の世界の情勢、日本と満州をとりまく情勢を反映している。

読んで思うこととしては、次の二つぐらいを書いておきたい。

第一には、おそらくこれは、「満洲」という地域の、それを代表することになる、架空の都市の物語であるということである。そこに登場する人間たちは、「満洲」という舞台に登場するが、決して人間が主役という感じはしない。「満洲」という土地、そこは日露戦争の後、日本の権益の及ぶ地域にはなったが、同時に多くの人びと、幾多の民族の交錯する地域でもあった。この地域をめぐる、世界史的な壮大なドラマが、この小説の描いたところなのだろう。

ただ、そうはいいながら、ロシア革命のことがまったく出てこないのは、少し不満である。帝政ロシアから、急にソ連に変わっている。ロシア革命が、「満洲」に集まる人びとにどのような影響を及ぼしたのか、この観点が含まれていると、この小説は、もっと面白いものになったかと思うが、どうだろうか。

第二には、随所に出てくる歴史への言及。

端的に言えば、東アジア近代史を大きくなぞるような歴史的背景であり、その解説とともに小説は進行する。

なかで面白いと思ったのは、リットン調査団のことがある。一般の歴史の本だと、リットン調査団の報告を、日本は一蹴したということになっている。それは、そのとおりなのだが、しかし、リットン調査団と言っても、所詮は、帝国主義的な支配者の側からの調査である。名目上は、日本の満州進出を否定することになってはいるが、その実、日本が満州において手に入れた権益は、ある程度まもられる内容になっていた……つまり、可能性としては、日本はリットン調査団の報告を受け入れることもありえた……このように記してある。私は、この考え方に同意する。

日本の満州進出、満州国の建国ということは、普通は否定的にのみ見られることが多いと思う。だが、この小説では、必ずしも否定的な立場だけで描いてはいない。近代の日本が、満州に希望を託さざるをえなかった、その理由のかなり深いところまでを描いていると感じる。

無論、小説であって、歴史書ではない。その歴史の全貌をこの小説に求めるのは無理というものなのだろうが、基本的な歴史観については、かなり共感するところが多い作品であるとは言えるだろう。

ざっと以上のようなことを思ってみる。

この作品、直木賞の前に、山田風太郎賞を受賞している。これはなるほどと思う。

さて、この作家、これからどんな作品を書いてくれるだろうか。この先が楽しみである。

2023年1月26日記