世界サブカルチャー史 日本 逆説の60-90s 第2回2023-03-16

2023年3月16日 當山日出夫

世界サブカルチャー史 欲望の系譜 シーズン3 日本 逆説の60-90s 第2回

第二回は、一九七〇年代である。私は、一九五五年の生まれであるので、ちょうど高校生から大学生のころにあたる。この時代のことは、かなりはっきりと体験的に覚えている。

一九七〇年代のサブカルチャーを語るとき、どうして、山口百恵が出ていないのだろうかと思って見ていた。たぶん、これは、映像、音楽などの権利関係で使えなかったということなのかもしれない。私の学生のころ、ミニコミ誌など手にすると、必ずと言っていいほど、山口百恵論が載っていたものである。おそらく、一九七〇年代文化を語るとき、改めて山口百恵を論じることが可能になる時代が来ることだろうとは思っている。

音楽で言うならば、一九七〇年代は、「神田川」(かぐや姫)から、荒井由実、さらには、竹内まりやの時代ということになる。今からふり返ってみれば、これらが、ほぼ同じ時代に流行った音楽であるということが、にわかには信じがたい気もする。この時代、まだ社会の片隅は貧しかった。一方で、都会的センスにあふれた若い人びとも登場してきた時代である。

そういえば、「木綿のハンカチーフ」が流行ったのは、ちょうど私が大学生になったころのことである。そのせいもあってか、この歌のことは強く記憶している。

この時代、まだ地方と都市という対立があり、社会の貧しさも残っていた時代である。このような時代背景があって、映画の世界では、日活ロマンポルノがあり、また、「仁義なき戦い」があった時代、ということになると思う。

寺山修司も出てきていたのだが、私は、寺山修司の読者ではなかった。無論、名前は知っていたが、特にその作品に親炙するということなくすごしてきている。だが、映画は見たかと覚えている。

一九七〇年代の始まりは、大阪万博ということになるのだが、今から振りかえってみれば、これは一つの時代の終焉を象徴していたように思えてならない。私の体験からいえば、日本が「良かった」時代は、東京オリンピックから、万博までの間ということになる。

田中角栄についても記憶はある。だが、やはり、後年のロッキード事件による印象がどうしても強い。あるいは、立花隆の一連の田中角栄研究で読んだイメージが強く残っているということもある。しかし、田中角栄の日本列島改造論の是非は、二一世紀の今日になって、再度ふりかえって考えてみるべきことかもしれない。

最後に印象を述べるならば、理知的な分析としては松岡正剛の言うことを理解できる。その一方で、心情的には林真理子に共感するところが多い。私もまた、一九七〇年代に東京にやってきた地方出身者の一人なのである。

2023年3月15日記

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