『ゼロからの『資本論』』斎藤幸平/NHK出版新書2023-03-11

2023年3月11日 當山日出夫

ゼロkらの『資本論』

斎藤幸平.『ゼロからの『資本論』』(NHK出版新書).NHK出版.2023
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000886902023.html

売れている本ということで読んでみることにした。読んで思うこととしては、半信半疑とでも言えるだろうか。

斎藤幸平の『人新世の「資本論」』については、すでに書いた。

やまもも書斎記 2021年12月20日
『人新世の「資本論」』斎藤幸平
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/12/20/9449350

この時、私は、斎藤幸平の意見には賛成できないと書いた。その考え方は今も変わっていない。そして、今回のこの本であるが、ちょっとマシになったかと思うが、基本的な不信感はそのままである。

たしかに、現状の日本の社会のあり方への疑念は賛成できるところが多い。だが、それをすべて資本主義のせいにしてしまうのはどうかと思う。資本主義一般の問題もあるだろうが、とりわけ日本において固有の問題もあるように思われる。ここでは、日本の問題として論ずべきことと、資本主義一般の問題として論ずべきことが、混同されてしまっている。

また、ではどうすればいいかとなると、これもまたある種の精神論に終わっている。確かに、世界の各地で、著者の言うコミュニズムの試みがなされているかもしれない。それらは、ことごとく失敗していると言ってもいえるのだが。まあ、以前の著書のように、社会の3.5パーセントの人が動けば社会は変わると脳天気なことは、さすがに言っていない。しかし、ただ、世界各地の試みに希望を見出すのは自由かもしれないが、しかし具体的にこれからどうすればいいのかということになると、沈黙している。これはやはり無責任というべきではないだろうか。

世界の資本主義の問題の最たるものは、今では、中国だろう。この中国がこれからどうなるのかが、グローバルに大きな課題であるはずである。しかし、ここも、ただ中国は社会主義ではなく国家資本主義と言うだけにとどまっている。この巨大な国の行方について、判断を示していない。まあ、このあたりは、自分は中国論の専門ではないということなのかもしれない。だが、レーニンの革命を否定するのならば、毛沢東も否定することになるだろう。そして、現在の中国共産党は、これから世界にとってどのような存在であるのか、きわめて大きな問題である。やはり、ここはなにがしかの判断を提示すべきではないだろうか。

とはいえ、今の日本の社会のかかえる病理については、うなづけるところが多い。ここのところは共感できるところが多い。だが、これも、ただコミュニズムへの希望を述べるにとどまるのでは、はたしてその現状分析が正しいのかどうか、疑いたくなる。正しい現状の分析は、正しい解決法を導くものである……このように考えるのは、古風に過ぎるだろうか。

ともあれ、コミュニズムへの期待を語るだけの本には、私はあまり魅力を感じないというのが、正直なところである。

2023年1月27日記

『舞いあがれ!』あれこれ「飛躍のチャンス」2023-03-12

2023年3月12日

『舞いあがれ!』第23週「飛躍のチャンス」
https://www.nhk.or.jp/maiagare/movie/week23/

こんねくとという会社は、いったい何でどう稼ごうとしていたのか。

東大阪にある技術だけでは商品に結びつかない。新たな発想、着想が求められる。だが、新商品を開発したとしても、量産に結びつかないと意味がない。あるいは、東大阪町工場ブランドで、高付加価値商品を作ることになるのか。どうも、このあたりの、読みが甘かったという印象がある。この会社の進むべき一つの方向としては、MADE IN HIGASHIOSAKA のブランドで、製品を作ることにあるのかもしれないが、これからどうなるだろうか。

だが、ともあれ、こんねくとのビジネスも軌道に乗りそうである。

このドラマで描いていることの一つには、会社は何のためにあるのか、ということがあると感じる。出資者、株主に利益を得させるためである……このような考え方もあるだろう。今では、これが一般的かもしれない。しかし、その一方で、そこで働く従業員と家族、その製品を買ってくれる顧客のため、という考え方もあり得る。このドラマで描いている会社のあり方というのは、会社は世の中のために何の役にたつのか、という問いかけがあるかと思う。

さて、次週は五島のばんばをめぐっての展開になるようだ。舞たちにも子供ができる。次週を楽しみに見ることにしよう。

2023年3月11日記

ドキュメント72時間「冬の北海道 村のコンビニで」2023-03-13

2023年3月13日 當山日出夫

ドキュメント72時間 「冬の北海道 村のコンビニで」

コンビニシリーズと言っていいのだろうか、この番組ではこのての企画がよくある。それぞれに面白い。

冬の北海道の寒村……こう言ってもいいだろう……にある、たった一軒のコンビニ。地方の村ならではの、人びとの交流の場になっていることが分かる。たぶん、この村も過疎の村なのだろうとは思うが、番組ではこのところには触れていなかった。北国ならではの冬の暮らしとして描いていた。

もはや日本の生活にコンビニはなくてはならないものになっている。ここ数十年の日本の人びとの生活の変化のなかで、コンビニの存在というのは、非常に大きなものがあると強く感じる。コンビニから見えてくる人びとの生活であり、また、人びとの生活に必須のものとしてのコンビニである。

ただ、私の今の生活ではコンビニはほとんど使うことがない。秋になって学校に行くとき、昼食用のおにぎりとコーヒーを買うぐらいでしか使うことがない。基本的に家に居る生活である。あるいは、他の店舗があるから、特に行くということがないせいでもある。このようなことは地方によって、生活の事情によって変わってくるものであろう。

ところで、放送を見ていて気づいたことなのだが、お客さんのほとんどがレジ袋利用だった。これも、北国ならではの事情があってのことなのかもしれない。

2023年3月12日記

『どうする家康』あれこれ「側室をどうする!」2023-03-14

2023年3月14日 當山日出夫

『どうする家康』第10回「側室をどうする!」

この回は、家康の側室をめぐる話し。ドラマと思って見ていることになるのだが、なるほど今の時代にあった側室の物語になっていたと思う。

第一には、瀬名が側室を持つことを勧めていること。これは、この時代にあってはごく普通のことなのだろう。ここで、やきもちをやいたりせずに、家康にふさわしい側室を考える。これは、その当時の武家の風習、特に戦国大名の家の妻(正室)としては、あるべき姿と言っていいのかもしれない。

これまでのドラマで、側室を持つことを勧める妻というのは、あまり出てきていないようにも思うがどうだったろうか。が、これも、瀬名が、正室として正式の妻の地位を保ち続けるということが、大きな前提になってのことだと思う。

第二には、その側室になったお葉。この女性、どうやら男性には性的な関心がない。女性の方に心引かれるタイプの女性ということのようだ。これまで大河ドラマでこのような女性が登場してきたことがあったろうか。記憶にある範囲では、思い出せない。

このようなタイプの女性を登場させてきたあたり、確かに今の時代になってのドラマであると感じるところがある。

以上のようなことを思ってみる。

それにしても、側室選びのオーディション(と言っていいだろうか)は、面白かった。

家康が読んでいた本は『吾妻鏡』だった。

さて、次回は、武田信玄との関係が描かれることになるようだ。千代も出ていた。楽しみに見ることにしよう。

2023年3月13日記

藪椿2023-03-15

2023年3月15日 當山日出夫

水曜日なので写真の日。今日は藪椿である。

例年、春先に咲く。我が家のまわり、何ヶ所かで咲く。写真に撮ったのは、玄関を出て駐車場までの途中にある木。山茱萸の木の近くにある。山茱萸の花の写真を撮るとき、地面を見ると花が落ちている。地面に落ちた花を見て、上を見るといくつか花が咲いている。

カメラのレンズを望遠に交換して写真を撮る。

梅の花が咲きはじめた。まだ満開にはちょっとかかる。通常の世間の梅よりは、すこし遅い開花である。山茱萸の花が咲いている。木瓜を見るとつぼみと言っていいようになってきた。桜の花も咲きそうな気配が感じられるようになってきている。これから、いろんな花が咲くことになる。

藪椿

藪椿

藪椿

藪椿

Nikon D500
TAMRON SP 150-600mm F/5-6.3 Di VC USD G2

2023年3月14日記

世界サブカルチャー史 日本 逆説の60-90s 第2回2023-03-16

2023年3月16日 當山日出夫

世界サブカルチャー史 欲望の系譜 シーズン3 日本 逆説の60-90s 第2回

第二回は、一九七〇年代である。私は、一九五五年の生まれであるので、ちょうど高校生から大学生のころにあたる。この時代のことは、かなりはっきりと体験的に覚えている。

一九七〇年代のサブカルチャーを語るとき、どうして、山口百恵が出ていないのだろうかと思って見ていた。たぶん、これは、映像、音楽などの権利関係で使えなかったということなのかもしれない。私の学生のころ、ミニコミ誌など手にすると、必ずと言っていいほど、山口百恵論が載っていたものである。おそらく、一九七〇年代文化を語るとき、改めて山口百恵を論じることが可能になる時代が来ることだろうとは思っている。

音楽で言うならば、一九七〇年代は、「神田川」(かぐや姫)から、荒井由実、さらには、竹内まりやの時代ということになる。今からふり返ってみれば、これらが、ほぼ同じ時代に流行った音楽であるということが、にわかには信じがたい気もする。この時代、まだ社会の片隅は貧しかった。一方で、都会的センスにあふれた若い人びとも登場してきた時代である。

そういえば、「木綿のハンカチーフ」が流行ったのは、ちょうど私が大学生になったころのことである。そのせいもあってか、この歌のことは強く記憶している。

この時代、まだ地方と都市という対立があり、社会の貧しさも残っていた時代である。このような時代背景があって、映画の世界では、日活ロマンポルノがあり、また、「仁義なき戦い」があった時代、ということになると思う。

寺山修司も出てきていたのだが、私は、寺山修司の読者ではなかった。無論、名前は知っていたが、特にその作品に親炙するということなくすごしてきている。だが、映画は見たかと覚えている。

一九七〇年代の始まりは、大阪万博ということになるのだが、今から振りかえってみれば、これは一つの時代の終焉を象徴していたように思えてならない。私の体験からいえば、日本が「良かった」時代は、東京オリンピックから、万博までの間ということになる。

田中角栄についても記憶はある。だが、やはり、後年のロッキード事件による印象がどうしても強い。あるいは、立花隆の一連の田中角栄研究で読んだイメージが強く残っているということもある。しかし、田中角栄の日本列島改造論の是非は、二一世紀の今日になって、再度ふりかえって考えてみるべきことかもしれない。

最後に印象を述べるならば、理知的な分析としては松岡正剛の言うことを理解できる。その一方で、心情的には林真理子に共感するところが多い。私もまた、一九七〇年代に東京にやってきた地方出身者の一人なのである。

2023年3月15日記

『私たちの想像力は資本主義を超えるか』大澤真幸/角川ソフィア文庫2023-03-17

2023年3月17日 當山日出夫

私たちの想像力は資本主義を超えるか

大澤真幸.『私たちの想像力は資本主義を超えるか』(角川ソフィア文庫).KADOKAWA.2023(KADOKAWA.2018.『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』改題)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322208000921/

早稲田大学文化構想学部で講義をまとめたもの。講義自体は二〇一六年度のものであるという。あつかってあるものとしては、『シン・ゴジラ』、『おそ松さん』、『デスノート』、『君の名は。』、『この世界の片隅に』など、近年のいわゆるサブカルチャーの作品である。これを読み解くことで、今の我々の社会のあり方のどのような面が見えてくるのか、これが主眼と言っていいのだろう。無論、同時に、あつかってある作品の、社会学的な分析をともなうものになっている。

この本は面白く読んだ。あつかってある作品は、たいてい、少なくとも名前は知っているものが多い。ただ、私の場合、ほとんど映画もテレビドラマも見ない、また、漫画も読まないので、名前だけ知っているというのがほとんどなのだが。(その中の例外は、『この世界の片隅に』である。これは、原作の漫画も読んだし、テレビではあるが映画版も見ている。また、テレビドラマ版も見た。)

この世界がどう見えてくるか……サブカルチャー作品だからこそ見えてくる世界がある、これには同意できる。だが、残念ながら、その分析対象になっているサブカルチャー作品にうといので、はたして妥当な分析になっているかどうか、今一つ隔靴掻痒の感じが残ってしまう。しかし、結論的に言うならば、おそらくここでの分析は妥当なものなのだろうと思う。

『シン・ゴジラ』に関連しては、たとえば『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(佐藤健志)が出てくるあたりは、懐かしく思って読んだところでもある。ウルトラマン、すなわち、日本における米軍である、というあたりの評価はうなづけるところがある。

それから、『この世界の片隅に』の原作漫画を読んで、私が一番、ある種の違和感を感じたのは、太極旗の一コマである。昭和二〇年の終戦のときに登場している。ここのところに、主人公のすずの生きてきた世界が、朝鮮半島を植民地にもつ大日本帝国であったことが示される。しかし、この大澤真幸のこの本では、この点についての言及はない。

この本では「資本主義」と現代の我々の生きている社会、世界のことを言っている。そして、資本主義の行き詰まりをなにがしか意識して生きているのが、現代という時代である。とはいえ、「資本主義」の終わり、あるいは、その後の世界を想像することは難しい。

だが、これも、近年のサブカルチャーを分析することで見えてくるところがあるのかもしれない。ここのところは、この本の続編に期待することになる。

2023年1月31日記

『夜明け前(が一番暗い)』内田樹2023-03-18

2023年3月18日 當山日出夫

夜明け前(が一番暗い)

内田樹.『夜明け前(が一番暗い)』.内田樹.朝日新聞出版.2023
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=24050

『アエラ』に連載の文章をまとめたもの。私は『アエラ』は、かつて毎号読んでいた時期があった。朝日新聞と一緒に配達してもらっていた。だが、もう止めてしまってかなりになる。はっきり言って、読んで面白くないからである。端的にいえば、言論、報道のメディアから、お受験雑誌になってしまったと感じたのである。

だから、内田樹の文章は、『アエラ』では読んでいない。内田樹の文章を読むために『アエラ』を買おうとは思わない。

この本に収められた文章は、二〇一八年から二〇二二年までのものである。なるほどこのような時代があったのかと、思い出しながら読むことになる。アメリカではトランプ大統領がいた。日本では、新型コロナウィルスのパンデミックであった。オリンピックがあった。そして、ソ連のウクライナ軍事侵攻があった。今になってみれば、いや、今でもそうなのだが、激動の時代である。

読んでみて、共感できるところが半分、あまり感心しないと感じるところが半分、というあたりであろうか。全体としては、そう卓見に富んだ時評集というよりは、むしろ、常識的な備忘録という印象が残る。

意外と少ないと感じるのが、旧統一教会関係のこと。ほとんど言及がない。意図的に、この話題を『アエラ』で書くことを避けたのか、と思ってしまう。宗教にかかわることとしては、いろいろと言うべきことがあるだろうにと思うが、さてどうだろうか。

収録してあるのはどれも短い文章なので、「情理をつくして説く」という雰囲気のものは無い。

もし、この本が将来も読まれることがあるとしたら、ある時代の雰囲気をいくらかでもつたえたものとして、懐古的に読まれることになるだろうと思う。そして、激変する時代の流れのなかで、常識的判断を保つということの価値を教えてくれる本だと思う。

2023年2月22日記

『舞いあがれ!』あれこれ「ばんばの歩み」2023-03-19

2023年3月19日 當山日出夫

『舞いあがれ!』第24週「ばんばの歩み」
https://www.nhk.or.jp/maiagare/movie/week24/

このドラマのいいところというか特徴の一つは、実在の本が出てくることかと思う。沢村貞子の『わたしの台所』は、私も知っている。なぜ沢村貞子が料理の知識が豊富なのか。若い時、左翼運動にかかわって刑務所に入っていた。そのとき、差し入れが可能な新聞というと料理の記事ぐらいしかなかった。刑務所のなかで、新聞の料理記事を読んだという。……うろ覚えなのだが、こんな意味のことをどこかで読んだ記憶がある。

ばんばは五島を離れることになった。確かに年をとって、病気をして、一人で生活するのは無理だろう。このあたりは、大阪に行くというのが妥当な選択肢であると思う。さらにその先のことは、まだわからない。再び五島に戻ることになるのだろうか。

生まれた子供はあっというまに大きくなってしまった。時期としては、大阪での万博が話題になってもおかしくはない時期である。(ただ、私は万博にはまったく興味関心がない。いつどこで開催するのか、よく知らないままである。)

ともあれ、万博に、空飛ぶクルマを登場させようというのは、このドラマの終着点かなと思う。果たして東大阪の町工場の技術で、空飛ぶクルマが作れるだろうか。

このドラマもあと二週である。どのようなところで終わりになるのか。舞の空への憧れは、どのように決着を見ることになるのか。楽しみに見ることにしよう。

2023年3月18日記

ブラタモリ「佐賀」2023-03-20

2023年3月20日 當山日出夫

ブラタモリ 佐賀

佐賀県には行ったことがない(と思う)。ほとんど教科書的な知識ぐらいしかもちあわせていない。だが、この回は面白かった。

「地歴」「地理歴史」ということばがあるが、このことばの意味するところは、今ではかなりあやしくなってきている印象がある。そのなかにあって、このブラタモリの佐賀の回を見て、地理のなかに歴史を見る、歴史を考えるのに地理を参考にする、このようなことが、一昔前までは普通に行われてきた。学校教育において、地理と歴史は近接する領域として、相携えて教えられてきたと言っていいだろうか。

その地理と歴史の関係を堪能する編集であったと言えるかもしれない。佐賀平野の地理的な特性、有明海の様子、そこに住む人びとの暮らしと、村落、都市の形成、これらが渾然となって説明されていた。これは、いい企画だったと思う。

2023年3月19日記