映像の世紀バタフライエフェクト「戦争の中の芸術家」2023-04-06

2023年4月6日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 戦争の中の芸術家

年度が替わって、この番組もリニューアルしたと感じる。この回は非常に充実した内容だった。そして、考えるところが多かった。番組のナレーションも替わった。

私は、フルトヴェングラーのCDは持っていない。嫌いなのではない。今の時代、妙に神格化された存在になってしまっているのが、どこなく嫌なのである。決して、彼がナチの賛同者であったという風説を考えてのことではない。

つまりは、フルトヴェングラーはドイツという国、国民について、愛国者であったのだろう。それがたまたま、ヒトラーの時代に巡り合わせたという運命であったと、今からなら言うことができようか。この意味では、ゲルギエフも、たまたまプーチンの時代のロシアに生きた芸術家であると言うことができるだろう。

ショスタコーヴィチの交響曲のCDは持っている。最近は、クラシック音楽のCDを聞くこともほとんどなくなってしまってはいるのだが、探せばあるはずである。印象として思っていることは、ソ連の時代に生きて、それの抵抗を秘めた音楽である言っていいだろうか。

火野葦平については、正直言って、名前は知っているのだが、読んだことはない。おそらく、近現代の文学史のなかで、『麦と兵隊』は名前は出てくるが、ただそれで終わってしまっているような気がする。そして、戦争中に多くの文学者が、いわゆる戦争協力となったのだが、そのなかで最も華々しく活躍し、そして、忘れ去られてしまった作家と言うべきだろうか。登場していた、林芙美子は今でも読まれている。確か、高校か中学のときの国語の教科書に『放浪記』が採録されていたのを記憶している。また、今でも、文庫本でいくつかの作品を読むことができる。(ただ、調べてみると、火野葦平の作品のいくつかは今でも刊行されている。)

戦争と芸術について、単に善悪の賛否を求めることは慎重であるべきだろう。聞きたくない音楽、読みたくない作品があることはいたしかたないだろう。が、その価値観を強制することも、また慎まなければならないことであると、今は思う。

バレンボイムとかゲルギエフのCD、しまってあるのを探して聞いてみたくなった。

2023年4月4日記

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