100カメ「“余命”と向き合う人」2023-05-11

2023年5月11日 當山日出夫

100カメ “余命”と向き合う人 人生の残り時間を意識する人たちの日常に密着

たぶん、これは100カメというドキュメンタリーの手法でしか作ることのできなかった番組だろうとおもう。たしかに、これまでも、余命がいくらという人びとの姿をテレビは伝えてきた。そのなかにあって、これは一つの新しい可能性を示していてくれる。

まずは、撮影機材の発達ということがあるだろう。高性能のカメラとマイク、それも、非常に小型化することが可能になり、そこにカメラマンなどの撮影スタッフが介在しなくても、取材が可能になった。そこにカメラマンなどがいない、ということが、自然なひとの姿を見せてくれる。とはいえ、まったくカメラを意識していないかというとそうでもないだろうが。

これは、一つの番組製作の手法として評価していいように考える。

ところで、この番組を見て思うことはいくつかある。余命がいくらと言われて、はたしてどのように生きるべきなのだろうか。いやここでは「べき」ということはないだろう。ひとは生きたいように生きればいい、ただそれだけのことかもしれない。

そして、やはり思うことは、日常で出来ることを大切にするということ。また、何かしら自分の気持ちを表現するところがあること。これが最も大切なところかと思う。

2023年5月10日記

『牧野富太郎の植物学』田中伸幸/NHK出版新書2023-05-12

2023年5月12日 當山日出夫

牧野富太郎の植物学

田中伸幸.『牧野富太郎の植物学』(NHK出版新書).NHK出版.2023
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000886962023.html

これはいい本である。朝ドラ『らんまん』のかかわりで牧野富太郎にかかわる本をいくつか手にしてみた。そのなかでも面白く優れたものの一つであると言っていいだろう。

この本の特徴は、次の二点になるだろうか。

第一には、植物学者としての牧野富太郎について、何をした人なのか、その学問的「業績」とはどんなものなのか、そして、何をしていないのか、というあたりを、日本における植物学の簡単な歴史とともに、分かりやすく解説してあることである。あくまでも、植物学者としての牧野富太郎に絞って書いてある。

「学名」をいくつつけたか、「標本」をどれだけ集めたか、えてしてこのような側面が語られがちであるが、しかし、このことについて、植物学という学問の観点から冷静に評価している。

牧野富太郎の業績は基本的に、日本の「フロラ」を明らかにした、その仕事のかなりの部分をになったところにある、ということになるらしい。また、植物学の本来の目的ではないかもしれないが、一般的な啓蒙活動においてはその残したものは大きい。(だからこそ、今にいたって牧野富太郎のファンが多いということにもなっていくのだろうが。)

第二には、植物学という学問の分かりやすい解説になっていることである。牧野富太郎の「業績」を明らかにするためには、例えば、そもそも「学名」とはどのように名付けられるものなのか、それは、どのように研究者によって利用されるものなのか、簡単に分かりやすく説明してある。また、「標本」とはどのように作り、管理されるものなのか、専門家の視点で述べてある。

この意味では、牧野富太郎がつけたとされる「学名」も、残した「標本」も、再検討の余地があることになる。

以上の二つのことが印象に残るところである。

さらには、牧野富太郎の植物学者としてのすぐれた仕事として、植物図がある。これは今日においても評価に耐えるもののようだ。

ヤマトグサやムジナモについての論文には、専門家の目で見ると、いろいろと問題があるようである。

この本によると、日本における植物分類学という分野は危機的状況にあるらしい。科学の基礎的な領域である。これからの若い人の活躍に期待したいところである。

2023年5月9日記

『牧野富太郎の植物愛』大庭秀章/朝日新書2023-05-13

2023年5月13日 當山日出夫

牧野富太郎の植物愛

大庭秀章.『牧野富太郎の植物愛』(朝日新書).朝日新聞出版.2023
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=24160

牧野富太郎についての本をいくつか読んでいる。これもそのなかの一つ。これも面白かった。

読んで思うことを二つばかり書いておく。

第一に、評伝として簡潔でまとまっていること。牧野富太郎についての本はたくさん出ているが、そのなかで、読みやすく書かれているのではないだろうか。そんなにドラマチックな人生として描かれているのではないが、その人生の要点が分かりやすく書いてある。

それを記述する視点が植物学者ならではのものである。植物学に精通している著者だからこそ、牧野富太郎の研究の意義も、そして、その時代的な制約や限界も十分に理解している。簡潔な記述ながら、植物学者としての牧野富太郎が見えてくる。

第二に、「自叙伝」の信用性に対する記述である。普通は「自叙伝」は第一級の史料となるにはちがないが、しかし、そこに史料批判の目を向けている。例えば、東京大学の谷田部教授を訪問して面会したのは何時のことなのか、これがはっきりしないようだ。

「自叙伝」は、牧野富太郎が晩年になってから書いている。しかし、その初出雑誌は、ほとんど植物学関係者の目にふれることのないところにおいてであった。また、単行本として刊行されたとき、関係する人間はみな物故者になった後のことになる。さて、どこまで信用して読んでいいものか、疑問が生じる。

以上の二点が、印象に残るところである。

また、この本でも、牧野富太郎の植物画のすばらしさについて言及がある。

ところで、この本でも、少しだけ触れてあるのだが、牧野富太郎は、学者としては奇行がかなりあったらしい。まあ、研究者らしからぬ振る舞いがあったということになる。(このようなことについては、田中伸幸の『牧野富太郎の植物学』でもいくぶんの記述がある。やはり、学者の評伝は学者が書いたものを読むのがいい。)

確かに牧野富太郎の「業績」は大きいかもしれないが、少なからぬ奇癖のあった人物としてとらえておいた方がよいようだ。少なくとも、妙に神格化はしてはならないだろう。

このようなことは、植物学を専門に勉強するとしたら、例えば学会の後の懇親会の後の二次会ででも、先輩が若い研究者に話すようなことかもしれないのだが。

2023年5月9日記

『らんまん』あれこれ「ドクダミ」2023-05-14

2023年5月14日 當山日出夫

『らんまん』第6週「ドクダミ」

この週は、万太郎が東京に出てきて、住むところを見つける話し。それから、寿恵子との再会であった。

東京に竹雄と一緒に出てきた万太郎は、まず住むところに困る。大量の標本などを受け入れてくれるところがない。やむなく、東京大学に近いところに住むところを探すことになる。このあたりの顚末は、ドラマとしては面白く作ってあった。

ただ、この時代、万太郎のような人間……土佐の裕福な蔵元の御曹司……が、東京に出てきて住まいするのに、うらぶれた長屋住まいというのは、どうなのだろうか。確かに話しとしては、これで面白いのだが、いわゆる身分、社会的階層という観点から見て、棒手振りで生計をたたているとか、荷車の後押しで稼ぐとか、どうみても社会の最底辺の人びとである。このような人びとが暮らしていたのは、東京における、貧民窟というあたりであって、それが、東京大学の学生……長屋には学生も住まいしていることになっている……と、同じというのは、どうかと思う。万太郎も、正規に東京大学で学ぶということはないのだが、少なくとも研究室に出入りを許される立場になる(はずである。)まあ、学生とほぼ同等と言っていいだろう。

少し後の時代のことになるが、漱石の『三四郞』の小川三四郞は九州から上京して、賄い付きの下宿である。あるいは『こころ』の先生は、若いとき、これもまかないつきの下宿住まいであった。決して、貧民窟というようなところではない。

明治のころの社会階層の描き方について、あまり細かに詮索しない方がいいのかもしれないが、ちょっとこのあたりの作り方は気にはなるところである。

それから、ドクダミは、陽の当たらないところに咲くと出てきたが、これもちょっと気になる。我が家にドクダミは咲くのだが、必ずしも日陰とは限っていない。日陰にも咲くが、陽のあたるところにもはびこる。このところは、ドクダミのしげるような、陰湿な場所にある長屋ということでいいのかもしれない。

さて、次週以降、いよいよ万太郎は東京大学へゆくことになるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2023年5月13日記

ドキュメント72時間「原宿・100円ショップ 春めく日々に」2023-05-15

2023年5月15日 當山日出夫

ドキュメント72時間 原宿・100円ショップ 春めく日々に

放送のあった日に録画を設定しておいたのだが、録画されていなかった。後の再放送の時のを見た(土曜日)。この放送があった日は、ちょうど能登で地震のあった日なので、テレビの録画設定をちょっと変更したのを憶えている。そのときの操作のせいかもしれない。

東京の原宿には、このところ行っていない。学生のころはしょっちゅう行っていた。たまたまであるが、私の師事した先生の書斎、住まいが原宿にあったので、そこを訪うためである。

その他には、明治神宮に行くときに原宿の駅で降りたぐらいであろうか。明治神宮には、東京に住んでいたとき、行ってみたことがある。

原宿が若者の街になったのは、ちょうど私が若いころのことだったろうか。それは、今でも変わらないようだ。今、放送している、以前の朝ドラの「あまちゃん」をみていても、原宿という街は、東京を象徴するものとして登場してくる。

その原宿に一〇〇円ショップがあることは知らなかった。まあ、いまどき、ちょっとした街なら、一〇〇円ショップがあって当たり前ということなのだろう。番組を見ていると、やはり原宿ならでは一〇〇円ショップであり、そこにやってくる人びとであった。

今時、原宿にやってくるような若い人びとは、あんなことを考えているのか、その一端を番組ではあつかっていたということになるだろうか。原宿は、若者の街、ファッションの街以外にも、多様性を持っている街だと思うので、一〇〇円ショップもまた、それに対応して多様性を持っているようにも見えた。

ただ、この番組の意図として、特に若い人の様子を主に語っていたということなのだろうと思う。

2023年5月13日記

『どうする家康』あれこれ「真・三方ヶ原合戦」2023-05-16

2023年5月16日 當山日出夫

『どうする家康』第18回「真・三方ヶ原合戦」

三方ヶ原の戦いの二回目である。徳川は武田信玄に大敗を喫し、なんとか家康は生きのびたという戦いであると一般には知られていることになるのだろう。それを、前回とこの回とにわけて描いたというのは、これまでの大河ドラマの作り方のなかでは、斬新な発想であるといえよう。

しかし、ここで興味深いと思ったのは、将軍の義昭の描き方。さて、義昭は、信長を見限って信玄についた、ということでいいのだろうか。このあたり、歴史学の事情に詳しくないのだが、面白いところだった。歴史の結果として、信玄は天下とりに名をあげるその寸前のところで、退却することになる。これは、徳川にとっては朗報と言うことになるのだろう。

それからこの回で描いていたのは、忠誠心ということがある。家康は名将と言えるかどうか、どうも微妙なのだが、しかし、家臣にはめぐまれている。その家臣団の家康に対する忠誠心がいかんなく発揮されたのが、この三方ヶ原の戦いということになるのかもしれない。

さて、次週以降、織田、武田とどうなるのだろうか。楽しみに見ることにしよう。

2023年5月15日記

紫蘭2023-05-17

2023年5月17日 當山日出夫

水曜日は写真の日。今日は紫蘭「しらん」である。

この花も毎年写している。春になって暖かくなったころ、地面から青い葉が見えて、そこから垂直に芽がでてくる。先は紫色である。この花は、花が咲いたときよりも、花が咲く前の芽のときの方が写真になると感じる。

花が咲くと、てんでばらばらにいろんな方向を向いて咲く。これはどうも写真に撮りにくい。

とはいうものの、咲いた花も接写で撮ってみると、その形も興味深い。

今はちょうど小手毬の花が咲いている。庭では躑躅も咲いている。藤の花が終わって、初夏の花になってきている。

紫蘭

紫蘭

紫蘭

紫蘭

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2023年5月16日記

ブラタモリ「東寺」2023-05-18

2023年5月18日 當山日出夫

ブラタモリ 「東寺」

そういえばここしばらく東寺のあたりに行っていない。ひょっとすると、子供(長男)の中学の受験のときに行ってからかもしれない。

番組は、東寺と京都の歴史をざっとなぞるものだった。一般的な知識として、平安京の都が出来てから、その市街地のうち、西の方、それから、南の方が荒廃していったことは知られていることだろう。これには、鴨川の流路のことも関係してくるはずである。(ただ、番組では鴨川のことは出てきていなかったが。)

例えば『源氏物語』の「夕顔」の巻で、夕顔が住まいしていたのは、六条あたりだとある。このあたり、平安時代のころから、一般庶民、下層の階層のひとびとのすむエリアになっていたと、普通には理解していいだろう。洛中、洛外、ということばで言い表すとするならば、東寺のあたりがギリギリの洛中の範囲ということになる。

ただ、欲をいえばであるが、何故、西寺がつぶれて、羅生門も無くなったのに、東寺だけが生き残ったのか、このあたりの説明がほしかったところである。中世の寺社勢力としての東寺の存在、それから、近世から近代にかけての京都の街と東寺も面白いことが多々あるはずである。

京都の街で、近年こそ、京都駅周辺は賑わっているが、私の若いころは、あまりそうではなかった。そもそも近代になって鉄道の駅を作るということが、郊外であるということでもある。

近世から近代の京都の街と、弘法さんのことなど、言及があるとよかったと思う。が、まあ、そこまでは番組の時間の枠のなかでは無理だったかもしれない。

2023年5月14日記

映像の世紀バタフライエフェクト「ハリウッド 夢と狂気の映画の都」2023-05-19

2023年5月19日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト ハリウッド 夢と狂気の映画の都

私は映画は好きな方であるが、今の生活ではほとんど映画は見ることがない。しかし、映画というもの、あるいは、その文化史、歴史的な意味については、興味関心を持っているつもりである。

この回でとりあげていたのは、ハリウッド。「映像の世紀」という番組のコンセプトから考えて、まず、人びとが映画、映像に何を求めてきたのか、そして、映画はどうこたえてきたのか、この観点が重要になるのだろう。まさに、「映像の世紀」ならではの視点のハリウッドの物語であった。

ジュディー・ガーランドは、名前は無論知っているし、若いころ、その歌声はラジオでよく聞いたものである。『オズの魔法使い』も、最近、NHKのBSで放送していたのを記憶している。(きちんと全部見たというのではないが。)

私の興味で面白いと思ったのは、太平洋戦争におけるミッドウェー海戦の映画。これを、ジョン・フォード監督で、ドキュメンタリー映画が作られていたことは知らなかった。(えてして、ミッドウェー海戦は、負けた日本軍の側から語られることが多いが、これは、勝った側から見ればどういう戦いとして物語られることにになるのだろうか、興味のあるところである。)

ハリウッドは、時代の流れの中にあった。かつての赤狩りのときもそうであるし、また、近年の、MeTooの動きもそうである。まさに、ハリウッドと映画を通してみた、近代の歴史の一端ということになる。

これからもハリウッドは、時代とともにあるのだろう。

2023年5月17日記

100カメ「アクションチーム 」2023-05-20

2023年5月20日 當山日出夫

100カメ アクションチーム 大河ドラマ「どうする家康」を支える職人集団に密着!

『どうする家康』は毎回見ている。去年の『鎌倉殿の13人』も見ていた。近年、大河ドラマを見ている。(若いころはそんなに見なかったのだが。これも、歳をとってきたせいかもしれない。)

戦場のシーンは、迫力があると感じる。まあ、実際はどうであったかは分からないとしても、ドラマの作り方としては、迫真の演技であると言っていいだろう。

先日の三方ヶ原の合戦の時も良かった。

見ていると、どうしても、メインの登場人物の表情に目が行ってしまうので、脇役の武将たちはに、どうしても関心がいかない。しかし、それでも、画面にはほとんど映らないようなところに、なるほど、このような人たちの苦労があるのかと、とても面白かった。やはり細部において手を抜かないということが、良質のドラマを作ることになっているのだろう。

それにしても、お弁当の件は面白かった・・・ドラマ作りの現場では、あり得ることなのかもしれないが、しかし、スタッフ全員が、ドラマを作っていくという目的を持って働いていることが感じられた。

アクションの裏方も必要であるし、また、お弁当を確保しておくスタッフも必要である。テレビドラマは、多くの人びとの努力と工夫のうえになりたっている。

2023年5月18日記