『柄谷行人『力と交換様式』を読む』柄谷行人ほか/文春新書2023-06-22

2023年6月22日 當山日出夫

柄谷行人『力と交換様式』を読む

柄谷行人ほか.『柄谷行人『力と交換様式』を読む』(文春新書).文藝春秋.2023
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166614103

『力と交換様式』の入門的な解説本として読んでみることにした。『力と交換様式』は、まだ読んでいない。

この本のこと、あるいは、『力と交換様式』については、すでに様々な論があることと思うので、特に触れることはしない。ただ、思ったことを二つばかり書いてみる。

東大での講演会のことが載っている。柄谷行人が『力と交換様式』について話し、それに対して、会場からコメントがある、というスタイルである。ここで、斎藤幸平の発言が載っている。これを読んで、私は理解に苦しんだ。

斎藤幸平は馬鹿なのか。この本の他のところで、A、B、C、D、これらのことについては触れられている。それを読んだ限りでの理解ではあるが、どう考えても、Dは、斎藤幸平が、「人新世」で語ったような、脱成長コミュニズムとは読めない。あるいは、これは、まったくの私の理解が浅いせいか。ひょっとすると、斎藤幸平は、Dについて、本当に深い考察を述べているのかもしれない。このあたりは、どうもこの本を読む範囲では分からない。ここは、改めて『力と交換様式』を読んでみることにしようかと思う。

A、B、C、D……これは、確かに卓抜な洞察だとは思うのだが、どうも、視点がどうしても、西欧の歴史によりかかりすぎているように感じる。まあ、マルクスを読みこんでの仕事だから、西欧の歴史を基軸に考えるのは、そのとおりなのかもしれない。

だが、今の世界を見てどうしても気になるのは、中国である。独裁国家統制資本主義というべきこの国ことをどう理解すればいいのだろうか。この国の政治や経済から、Dをどのように考えればいいことになるのか、分からないでいる。

ただ、これも、A、B、C、Dを、歴史的発展段階として通時的に捕らえようとするからおかしいのかもしれないとは思う。おそらく、汎時代的、汎歴史的な、一つの思考のモデルとして考えるべきなのだろうか。

さて、『力と交換様式』を読むことにしようか、どうしようか、ちょっと考えているところである。

2023年6月13日記

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