ドキュメント20min.「 原宿でゴミを拾う。」 ― 2023-06-28
2023年6月28日 當山日出夫
ドキュメント20min. 原宿でゴミを拾う。
原宿からは足がとおのいたままである。たまに学会とかで東京に行くことがあっても、原宿に行くことはない。それも、ここ数年は、COVID-19のせいで、東京に行くこと自体がなくなってしまった。これからも、そう多くはないだろう。
原宿という街をたどれば、日本の戦後の文化……特に若者文化……のある側面が見えてくるということはある。が、その取り扱いはいろいろとある。
この番組は、二〇分という短い時間ながら、原宿という街が、若者にとって最先端の街であり続けてきた様相を、かなりきれいにまとめていたと思う。古くは、代々木のワシントンハイツの時代にさかのぼっていた。
この街の今の様子、ゴミを拾う若者たちのことである。そんなに多くの人の参加する大イベントということではないが、地道にやっているようだ。今、原宿にいる若者にとって、ゴミを拾うということが、これはこれで、今の時代の時流にあったことなのだと感じる。
私ももう老人である。ことさら若者にこびることもしないつもりだし、また、反発もしないつもりでいる。できるだけ、淡々と今の若者たちの行き方を見ていきたいと思っている。
2023年6月27日記
ドキュメント20min. 原宿でゴミを拾う。
原宿からは足がとおのいたままである。たまに学会とかで東京に行くことがあっても、原宿に行くことはない。それも、ここ数年は、COVID-19のせいで、東京に行くこと自体がなくなってしまった。これからも、そう多くはないだろう。
原宿という街をたどれば、日本の戦後の文化……特に若者文化……のある側面が見えてくるということはある。が、その取り扱いはいろいろとある。
この番組は、二〇分という短い時間ながら、原宿という街が、若者にとって最先端の街であり続けてきた様相を、かなりきれいにまとめていたと思う。古くは、代々木のワシントンハイツの時代にさかのぼっていた。
この街の今の様子、ゴミを拾う若者たちのことである。そんなに多くの人の参加する大イベントということではないが、地道にやっているようだ。今、原宿にいる若者にとって、ゴミを拾うということが、これはこれで、今の時代の時流にあったことなのだと感じる。
私ももう老人である。ことさら若者にこびることもしないつもりだし、また、反発もしないつもりでいる。できるだけ、淡々と今の若者たちの行き方を見ていきたいと思っている。
2023年6月27日記
『街道をゆく 北海道の諸道』司馬遼太郎/朝日文庫 ― 2023-06-28
2023年6月28日 當山日出夫

司馬遼太郎.『街道をゆく 北海道の諸道』(朝日文庫).朝日新聞出版.2008
https://publications.asahi.com/kaidou/15/index.shtml
もとは一九七九年に「週刊朝日」に連載。このころは、私の大学生のころになる。
『オホーツク街道』を読んだので、北海道について書いたものを読んでみたくなった。なるほど、この本の後に『オホーツク街道』を書いた理由が分かるような気がする。
主に、近世、幕末の北海道の話しである。函館の話しが多い。松前のことも出てくる。このあたりは、他の司馬遼太郎の本でも出てくるかと思う。読んで特に印象に残るのは、近代になってからの北海道の開拓の話しである。その開拓者の苦労が語られる。
樺戸集治監のことは、名前は知っていた。山田風太郎の小説に出てくる。
榎本武揚については、かなり以前に『武揚伝』(佐々木譲)を読んだのを憶えている。
この本を読んで感じることとしては、司馬遼太郎の批判精神である。それがあたっているかどうかは別としても、弥生時代以降の日本の文化の基底をなすものとしてコメを重視している。たしかに、そのような歴史観もなりたつとは思う。これも、現代の歴史学からすれば、批判的に再検討することもあるかとは思うが。
また、随所に、司馬遼太郎自身が兵隊であったときのことが出てくる。司馬遼太郎にとって、日本の近代、特に昭和になってからの軍隊というものは、徹底的に嫌悪するものである。
新十津川村のことも出てくる。今、奈良県に住んでいるので、NHKのローカルニュースを見ていると、県内のこととして十津川村はしょっちゅう登場する。司馬遼太郎は、十津川村には、そうとうの思い入れがあるようだ。(ただ、これも、今の私の感覚からすると、奈良県の十津川村は、過疎地の一つということにはなるのだが。奈良県のニュースで、北海道の新十津川村のことは出てこない。)
ラストは、関寛斎のこと。『胡蝶の夢』は読んだのを憶えている。『胡蝶の夢』における関寛斎は印象深い。この『北海道の諸道』における関寛斎についての記述も印象的である。
2023年6月26日記
https://publications.asahi.com/kaidou/15/index.shtml
もとは一九七九年に「週刊朝日」に連載。このころは、私の大学生のころになる。
『オホーツク街道』を読んだので、北海道について書いたものを読んでみたくなった。なるほど、この本の後に『オホーツク街道』を書いた理由が分かるような気がする。
主に、近世、幕末の北海道の話しである。函館の話しが多い。松前のことも出てくる。このあたりは、他の司馬遼太郎の本でも出てくるかと思う。読んで特に印象に残るのは、近代になってからの北海道の開拓の話しである。その開拓者の苦労が語られる。
樺戸集治監のことは、名前は知っていた。山田風太郎の小説に出てくる。
榎本武揚については、かなり以前に『武揚伝』(佐々木譲)を読んだのを憶えている。
この本を読んで感じることとしては、司馬遼太郎の批判精神である。それがあたっているかどうかは別としても、弥生時代以降の日本の文化の基底をなすものとしてコメを重視している。たしかに、そのような歴史観もなりたつとは思う。これも、現代の歴史学からすれば、批判的に再検討することもあるかとは思うが。
また、随所に、司馬遼太郎自身が兵隊であったときのことが出てくる。司馬遼太郎にとって、日本の近代、特に昭和になってからの軍隊というものは、徹底的に嫌悪するものである。
新十津川村のことも出てくる。今、奈良県に住んでいるので、NHKのローカルニュースを見ていると、県内のこととして十津川村はしょっちゅう登場する。司馬遼太郎は、十津川村には、そうとうの思い入れがあるようだ。(ただ、これも、今の私の感覚からすると、奈良県の十津川村は、過疎地の一つということにはなるのだが。奈良県のニュースで、北海道の新十津川村のことは出てこない。)
ラストは、関寛斎のこと。『胡蝶の夢』は読んだのを憶えている。『胡蝶の夢』における関寛斎は印象深い。この『北海道の諸道』における関寛斎についての記述も印象的である。
2023年6月26日記
最近のコメント