「ジーン・シャープ“独裁体制から民主主義へ” (4)非暴力闘争の限界と可能性」 ― 2024-02-01
2024年2月1日 當山日出夫
100分de名著 ジーン・シャープ“独裁体制から民主主義へ” (4)非暴力闘争の限界と可能性
軍隊を持たない国家としてコスタリカのことを引き合いにだす人を、久しぶりに見た。常識的に考えれば、地政学的観点から、常備軍を維持するコストを考えてのことと考えるべきだろう。国家として、まったく暴力的な組織を持たないということではない。
そもそも、国家の選択肢として常備軍を持たないことと、独裁に対する反体制運動における非暴力は、同列にならべて論じることはできないはずである。
確かにヒトラーは、民主的な手続きを経て誕生したのであり、それはその当時のドイツ国民に支持された。そして、平和を望んでいたことも確かである。
アメリカのトランプ大統領は、いわゆるポピュリズムの結果ではあっても、独裁者ではない。(どうも、自分の気に入らない政治家は、なんでも独裁者と言っているように思える。)
では今の中国はどうだろうか。共産党独裁は民主的な方法によって出来たものではない。その統治は独裁政権である。そして、重要なことは、その国で暮らす人びとが、そこそこ満足している(らしい)ということである。生活が安定して、豊かになっていくのなら、独裁体制でもかまわないと思っている(らしい)。今の中国の人びとに、今の暮らしの安定を棄てて、自由と民主主義を求めるべきだと、語りかけることはどれほど現実的なのだろうか。
強いていうならば、孫文の理想にかえれ、ということになるのかもしれない。
台湾の人びとに対して、中国が侵攻してきても、軍備を放棄して、非暴力闘争でそれをふせぐことが可能である、と言えるのだろうか。また、それで中国の意図をくじくことが可能なのだろうか。
この番組を見て、なんとなく不満が残るのは、理想は理解できるのだが、では、過去に独裁体制を倒そうとして失敗した事例から何を学ぶべきなのか、という視点が感じとれないことである。ただ、反体制運動において、認識、分析が不十分であった、あるいは、政権の側がさらに上をいっていた、ということで終わってしまっている。
民主主義=善=味方、独裁=悪=敵、という二分論で割り切れないのが、現実の人間の世の中であり、国際社会の実相ではないかと思う。
そうはいっても、人間の一つの理想のあり方として、糸車を回すガンジーの姿を考えることには、深く同意するところがある。
2024年1月30日記
100分de名著 ジーン・シャープ“独裁体制から民主主義へ” (4)非暴力闘争の限界と可能性
軍隊を持たない国家としてコスタリカのことを引き合いにだす人を、久しぶりに見た。常識的に考えれば、地政学的観点から、常備軍を維持するコストを考えてのことと考えるべきだろう。国家として、まったく暴力的な組織を持たないということではない。
そもそも、国家の選択肢として常備軍を持たないことと、独裁に対する反体制運動における非暴力は、同列にならべて論じることはできないはずである。
確かにヒトラーは、民主的な手続きを経て誕生したのであり、それはその当時のドイツ国民に支持された。そして、平和を望んでいたことも確かである。
アメリカのトランプ大統領は、いわゆるポピュリズムの結果ではあっても、独裁者ではない。(どうも、自分の気に入らない政治家は、なんでも独裁者と言っているように思える。)
では今の中国はどうだろうか。共産党独裁は民主的な方法によって出来たものではない。その統治は独裁政権である。そして、重要なことは、その国で暮らす人びとが、そこそこ満足している(らしい)ということである。生活が安定して、豊かになっていくのなら、独裁体制でもかまわないと思っている(らしい)。今の中国の人びとに、今の暮らしの安定を棄てて、自由と民主主義を求めるべきだと、語りかけることはどれほど現実的なのだろうか。
強いていうならば、孫文の理想にかえれ、ということになるのかもしれない。
台湾の人びとに対して、中国が侵攻してきても、軍備を放棄して、非暴力闘争でそれをふせぐことが可能である、と言えるのだろうか。また、それで中国の意図をくじくことが可能なのだろうか。
この番組を見て、なんとなく不満が残るのは、理想は理解できるのだが、では、過去に独裁体制を倒そうとして失敗した事例から何を学ぶべきなのか、という視点が感じとれないことである。ただ、反体制運動において、認識、分析が不十分であった、あるいは、政権の側がさらに上をいっていた、ということで終わってしまっている。
民主主義=善=味方、独裁=悪=敵、という二分論で割り切れないのが、現実の人間の世の中であり、国際社会の実相ではないかと思う。
そうはいっても、人間の一つの理想のあり方として、糸車を回すガンジーの姿を考えることには、深く同意するところがある。
2024年1月30日記
「衝突の根源に何が〜記者が見たイスラエルとパレスチナ〜」 ― 2024-02-01
2024年2月1日 當山日出夫
NHKスペシャル 衝突の根源に何が〜記者が見たイスラエルとパレスチナ〜
憎悪の連鎖は止めることができない。現実的に可能なのは、強力な軍事的、政治的、経済的な介入で、強制的に武力紛争を停止させることぐらいしか思いつかない。といって、軍事的にどちらかに加担することによって紛争がエスカレートすることは避けなければならない。
日本という部外者的な立場から見れば、イスラエルとパレスチナの二国家共存は不可能ではないように思えるが、しかし、その道のりは決してたやすいものではないだろう。一般市民から国家指導者にいたるまで、憎悪の感情で動かされている状態ではどうしようもない。
この番組ではあつかっていなかったが、周辺のアラブ諸国の動きが気になるところである。反イスラエルということで、全面的な戦争状態になる可能性があるのかどうか。ここはこの分野の専門家の意見が聞きたい。
少なくとも、人質の解放、停戦、人道的援助は必要であると考えるのだが、それも難しい状況かとも思う。どこかで妥協できる落とし所がないものかとは思うが、それが見当たらないのが現状ということになるのだろうか。
ハマスが悪い、あるいは逆に、イスラエルの存在そのものを否定する、これでは解決にならない。さて、どうすべきなのだろうか。
2024年1月29日記
NHKスペシャル 衝突の根源に何が〜記者が見たイスラエルとパレスチナ〜
憎悪の連鎖は止めることができない。現実的に可能なのは、強力な軍事的、政治的、経済的な介入で、強制的に武力紛争を停止させることぐらいしか思いつかない。といって、軍事的にどちらかに加担することによって紛争がエスカレートすることは避けなければならない。
日本という部外者的な立場から見れば、イスラエルとパレスチナの二国家共存は不可能ではないように思えるが、しかし、その道のりは決してたやすいものではないだろう。一般市民から国家指導者にいたるまで、憎悪の感情で動かされている状態ではどうしようもない。
この番組ではあつかっていなかったが、周辺のアラブ諸国の動きが気になるところである。反イスラエルということで、全面的な戦争状態になる可能性があるのかどうか。ここはこの分野の専門家の意見が聞きたい。
少なくとも、人質の解放、停戦、人道的援助は必要であると考えるのだが、それも難しい状況かとも思う。どこかで妥協できる落とし所がないものかとは思うが、それが見当たらないのが現状ということになるのだろうか。
ハマスが悪い、あるいは逆に、イスラエルの存在そのものを否定する、これでは解決にならない。さて、どうすべきなのだろうか。
2024年1月29日記
「戦時体制と流行歌〜笠置シヅ子&服部良一〜」 ― 2024-02-02
2024年2月2日 當山日出夫
木村多江の、今さらですが… 戦時体制と流行歌〜笠置シヅ子&服部良一〜
NHKのなかにもかなり天邪鬼な人がいるということが分かる。
『ブギウギ』は確かに朝ドラとして好評である。ドラマは、笠置シズ子、服部良一、淡谷のり子などを軸に描いている。その時代は、戦前から戦後の、戦争の時代であった。その時代背景と音楽の関係を、簡潔にまとめてある。それを、『ブギウギ』をなぞりながらも、異なる視点で見ている。
ブルース、ジャズ、スイング……これらの音楽用語について、簡単に語っていた。ただ、このなかで使っていなかったことばがある。黒人ということは言っていなかった。アフリカ系アメリカ人、と言っていた。用語においては、PCである。しかし、私は、ジャズの歴史を語るとき、黒人の音楽という視点が重要と思っている。黒人の抵抗の音楽である、と思っている。
アメリカ南部において、スペインやフランスなどの音楽が混在していた、そこからジャズが生まれたということは、興味深いことである。
一九五五年生まれの私にとって、ジャズは、FM東京の深夜番組、「アスペクト・イン・ジャズ」と切り離すことができない。ほぼ毎週聴いていた。翌朝、起きるのがつらかったのを憶えている。(今、その番組に関する資料は、由井正一の資料として、慶應義塾大学のアート・センターにあるはずである。)
『東京ブギウギ』を服部良一が作るにあたって、アメリカのアンドリュー・シスターズ(軍服を着て歌う女性三人のグループ)が歌った「ブギ・ウギ・ビュークルボーイ」にヒントを得ているものである。これは、アメリカの戦争のときの、戦意高揚のために歌われた歌である。その楽譜を服部良一は、一九四二年ごろに入手して、戦後になってから、『東京ブギウギ』で使った。
番組のなかで、以前の朝ドラ『エール』の古関裕而のことにも触れていた。ただ、軍歌ということばで言ってしまうのはどうかと思う。ここは戦時歌謡という方がいいのではなかったか。軍歌とは日本だけのものではないし、また太平洋戦争当時だけのものでもない、というのが私の思うところである。
2024年1月31日記
木村多江の、今さらですが… 戦時体制と流行歌〜笠置シヅ子&服部良一〜
NHKのなかにもかなり天邪鬼な人がいるということが分かる。
『ブギウギ』は確かに朝ドラとして好評である。ドラマは、笠置シズ子、服部良一、淡谷のり子などを軸に描いている。その時代は、戦前から戦後の、戦争の時代であった。その時代背景と音楽の関係を、簡潔にまとめてある。それを、『ブギウギ』をなぞりながらも、異なる視点で見ている。
ブルース、ジャズ、スイング……これらの音楽用語について、簡単に語っていた。ただ、このなかで使っていなかったことばがある。黒人ということは言っていなかった。アフリカ系アメリカ人、と言っていた。用語においては、PCである。しかし、私は、ジャズの歴史を語るとき、黒人の音楽という視点が重要と思っている。黒人の抵抗の音楽である、と思っている。
アメリカ南部において、スペインやフランスなどの音楽が混在していた、そこからジャズが生まれたということは、興味深いことである。
一九五五年生まれの私にとって、ジャズは、FM東京の深夜番組、「アスペクト・イン・ジャズ」と切り離すことができない。ほぼ毎週聴いていた。翌朝、起きるのがつらかったのを憶えている。(今、その番組に関する資料は、由井正一の資料として、慶應義塾大学のアート・センターにあるはずである。)
『東京ブギウギ』を服部良一が作るにあたって、アメリカのアンドリュー・シスターズ(軍服を着て歌う女性三人のグループ)が歌った「ブギ・ウギ・ビュークルボーイ」にヒントを得ているものである。これは、アメリカの戦争のときの、戦意高揚のために歌われた歌である。その楽譜を服部良一は、一九四二年ごろに入手して、戦後になってから、『東京ブギウギ』で使った。
番組のなかで、以前の朝ドラ『エール』の古関裕而のことにも触れていた。ただ、軍歌ということばで言ってしまうのはどうかと思う。ここは戦時歌謡という方がいいのではなかったか。軍歌とは日本だけのものではないし、また太平洋戦争当時だけのものでもない、というのが私の思うところである。
2024年1月31日記
フランケンシュタインの誘惑「鎮痛剤 オピオイド・クライシス」 ― 2024-02-02
2024年2月2日 當山日出夫
フランケンシュタインの誘惑 鎮痛剤 オピオイド・クライシス
オピオイド、あるいは、オキシコンチンという薬のことについては、知らなかった。ニュースなどでも目にした記憶がない。日本では、そう大きく報道されることがなかったということだと思う。また、同様のことが日本では起こりえないだろう……医療用の鎮痛剤の管理の厳格さ、ということもあるのだろうが。
FDAが一端許可してしまったものは、とどめることができないということになる。その背景には、それで利益を得ようとする製薬会社の動きがある。(このあたりは、分かりやすい構図なのだが、医療、製薬、医薬品の流通というシステムが、様々にからまってのことなのだろう。)
一社が特許を持っている間はどうにかコントロール可能かもしれない。しかし、特許が切れれば、制御は簡単ではないということだろう。また、そのような薬が製造可能であるという情報は、今の時代、簡単に世界にひろまる。
番組では言っていなかったが、今、アメリカで流通しているオピオイドは、どのような製造、流通のルートがあるのだろうか。そして、それは、他の麻薬類と、どのような関係があるのだろうか。
ともあれ、鎮痛剤を求める患者が多くいることは確かであるので、医療が対応する必要はあるにちがいない。しかし、そこで、中毒性のある鎮痛剤が違法に流通することは問題である。ただ、製薬会社が利益に目がくらんだ事件ということだけではなく、社会において麻薬を求める人びとがいること、それで利益を得る組織があること、このことが基本にあるのだろうと思う次第である。
2024年1月30日記
フランケンシュタインの誘惑 鎮痛剤 オピオイド・クライシス
オピオイド、あるいは、オキシコンチンという薬のことについては、知らなかった。ニュースなどでも目にした記憶がない。日本では、そう大きく報道されることがなかったということだと思う。また、同様のことが日本では起こりえないだろう……医療用の鎮痛剤の管理の厳格さ、ということもあるのだろうが。
FDAが一端許可してしまったものは、とどめることができないということになる。その背景には、それで利益を得ようとする製薬会社の動きがある。(このあたりは、分かりやすい構図なのだが、医療、製薬、医薬品の流通というシステムが、様々にからまってのことなのだろう。)
一社が特許を持っている間はどうにかコントロール可能かもしれない。しかし、特許が切れれば、制御は簡単ではないということだろう。また、そのような薬が製造可能であるという情報は、今の時代、簡単に世界にひろまる。
番組では言っていなかったが、今、アメリカで流通しているオピオイドは、どのような製造、流通のルートがあるのだろうか。そして、それは、他の麻薬類と、どのような関係があるのだろうか。
ともあれ、鎮痛剤を求める患者が多くいることは確かであるので、医療が対応する必要はあるにちがいない。しかし、そこで、中毒性のある鎮痛剤が違法に流通することは問題である。ただ、製薬会社が利益に目がくらんだ事件ということだけではなく、社会において麻薬を求める人びとがいること、それで利益を得る組織があること、このことが基本にあるのだろうと思う次第である。
2024年1月30日記
ザ・バックヤード「国立国会図書館」 ― 2024-02-03
2024年2月3日 當山日出夫
ザ・バックヤード 国立国会図書館
国立国会図書館には、足をはこんだことは無論ある。特に関西館は、見学会などで書庫のなかを見せてもらったこともある。
番組としては、国会図書館の裏側について手際よく紹介してあったと思う。また、現在の日本における納本図書館として、基本的にすべての出版物を収蔵して後世に残す役割が強調されていた。そのための工夫が、地下の巨大な書庫にある。
博士論文が国会図書館で集められているということは、あまり一般には知られていないことかもしれない。(見ていて思ったこととしては、保存には中性紙の封筒を使うべきではないだろうか。)
私の関心としては、デジタル化の工程である。どのようにして本を撮影しているのか、その現場の様子が非常に興味深い。
現在では、国会図書館は、蔵書、資料のデジタル化と、インターネットによる配信でその存在感がある。だが、これはこれからの研究者にとっては、国会図書館のデジタル送信で読むことのできる本が膨大に増えたということで、読むべき資料が格段に増えてしまったということでもある。これは朗報にはちがいないのだが、一面で、読む労力が激増した。手元の一つの本をじっくりと読みこむという雰囲気の研究が難しくなってしまうかもしれない、という危惧を感じないではない。
あつかっていなかったことで気になるのは、古典籍のあつかいである。いわゆる和書、和本、漢籍などの類いである。これらについても国会図書館は大量に所蔵している。そして、そのデジタル化もすすんでいる。国会図書館は、著作権を厳格に守る組織なので、著作権による保護期間が満了したもの、つまり、著作権が切れたものは、公開である。これが、他の美術館とか博物館とかだと、著作権上の権利とは別に所蔵者の権利ということなのだろう、デジタル化しても、その利用に申請が筆ようだったり、場合によっては有料だったりするところもある。
それから、将来のことを思ってみるならば、資料のデジタル化がすすんで、それをOCRで読みとってテキスト化し、AIで分析、検索ということがあるだろう。その将来において、国立国会図書館はどのような役割をはたすべきか、その試みはすでにはじまっていることだろう。
2024年2月2日記
ザ・バックヤード 国立国会図書館
国立国会図書館には、足をはこんだことは無論ある。特に関西館は、見学会などで書庫のなかを見せてもらったこともある。
番組としては、国会図書館の裏側について手際よく紹介してあったと思う。また、現在の日本における納本図書館として、基本的にすべての出版物を収蔵して後世に残す役割が強調されていた。そのための工夫が、地下の巨大な書庫にある。
博士論文が国会図書館で集められているということは、あまり一般には知られていないことかもしれない。(見ていて思ったこととしては、保存には中性紙の封筒を使うべきではないだろうか。)
私の関心としては、デジタル化の工程である。どのようにして本を撮影しているのか、その現場の様子が非常に興味深い。
現在では、国会図書館は、蔵書、資料のデジタル化と、インターネットによる配信でその存在感がある。だが、これはこれからの研究者にとっては、国会図書館のデジタル送信で読むことのできる本が膨大に増えたということで、読むべき資料が格段に増えてしまったということでもある。これは朗報にはちがいないのだが、一面で、読む労力が激増した。手元の一つの本をじっくりと読みこむという雰囲気の研究が難しくなってしまうかもしれない、という危惧を感じないではない。
あつかっていなかったことで気になるのは、古典籍のあつかいである。いわゆる和書、和本、漢籍などの類いである。これらについても国会図書館は大量に所蔵している。そして、そのデジタル化もすすんでいる。国会図書館は、著作権を厳格に守る組織なので、著作権による保護期間が満了したもの、つまり、著作権が切れたものは、公開である。これが、他の美術館とか博物館とかだと、著作権上の権利とは別に所蔵者の権利ということなのだろう、デジタル化しても、その利用に申請が筆ようだったり、場合によっては有料だったりするところもある。
それから、将来のことを思ってみるならば、資料のデジタル化がすすんで、それをOCRで読みとってテキスト化し、AIで分析、検索ということがあるだろう。その将来において、国立国会図書館はどのような役割をはたすべきか、その試みはすでにはじまっていることだろう。
2024年2月2日記
「“ゲノム編集ベビー誕生”の裏で」 ― 2024-02-03
2024年2月3日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー “ゲノム編集ベビー誕生”の裏で
二〇二二年、アメリカの制作。
ゲノム編集ベビーが中国で生まれたことは、ニュースで知ったのを憶えている。そのときは、日本では、非常に厳しい批判があったと記憶する。このとき、中国でならやりかねない、と感じたのが率直な気持ちであった。
実行したのは、中国の科学者の賀建奎であった。ここで問題なのは、彼が特段に優れた技術を持っていたということではない。すでに一般的に技術的には可能であった。それを実行したかどうか、ということである。
ゲノム編集ベビーについては、倫理的に大きな壁があることは確かである。
だが、一方でこうも思う。技術的に可能なことを実現してきたのが人間の歴史ではなかったのか、と。今の時点では、倫理的に問題とされることであっても、いずれ多くの人が、受け入れる時代が来るのかもしれない。そして、それは意外と早くおとずれるかもしれない。
体外受精の技術も、それが出現したときは大きな議論の的であった。しかし、今日では多くの人がそれを認めている。
人口減少が危惧されるなか、どのような人間が生きのびるべきなのか、さしせまった問題としてあることも確かである。
また、中国のゲノム編集ベビーの件については、中国の当局も知っていた、あるいは、世界の関係する科学者も知っていた……ということらしい。容認していた。だが、公表して後、ことが大きくなりすぎたので、否定的な対応をすることになった。このところについて、番組では明言を避けているようだったが。たまたま、誰がその最初の一人になるか、というだけの問題だったのかもしれない。
遺伝子にかかわる疾患だけを問題にしてスタートしたとしても、それはやがて、他の領域にも拡大されることは確かであると思わざるをえない。
ところで、人間にとって遺伝子とはなんであるのか。ここでは、遺伝子決定論というべき発想が基本にあることになる。その一方で、どのような環境で育つかということも考慮にいれなければならない。
そして、同時に、社会の階層化がすすみ、高度な医療……遺伝子操作をふくめて……にアクセスできる人びとと、そうではない人びとを生み出すことにもなる。はたして、人間は、どのようにして平等であり自由なのか。あらためて、根本的なところから考えなおしていかなければならない。これは科学だけの問題ではなく、人間とは何であるかを追求する、人文学の課題でもある。
子供が生まれるのも、また人が病気になり、そして死ぬのも、天の摂理として甘受してきたのが人間の歴史である。そこに宗教が生まれ哲学が生まれた。昔の方が、人間は幸福に生きてきたのかもしれないと思わないでもない。無論、現在の方がいいという面があることも否定はしないのだが。
2024年2月1日記
BS世界のドキュメンタリー “ゲノム編集ベビー誕生”の裏で
二〇二二年、アメリカの制作。
ゲノム編集ベビーが中国で生まれたことは、ニュースで知ったのを憶えている。そのときは、日本では、非常に厳しい批判があったと記憶する。このとき、中国でならやりかねない、と感じたのが率直な気持ちであった。
実行したのは、中国の科学者の賀建奎であった。ここで問題なのは、彼が特段に優れた技術を持っていたということではない。すでに一般的に技術的には可能であった。それを実行したかどうか、ということである。
ゲノム編集ベビーについては、倫理的に大きな壁があることは確かである。
だが、一方でこうも思う。技術的に可能なことを実現してきたのが人間の歴史ではなかったのか、と。今の時点では、倫理的に問題とされることであっても、いずれ多くの人が、受け入れる時代が来るのかもしれない。そして、それは意外と早くおとずれるかもしれない。
体外受精の技術も、それが出現したときは大きな議論の的であった。しかし、今日では多くの人がそれを認めている。
人口減少が危惧されるなか、どのような人間が生きのびるべきなのか、さしせまった問題としてあることも確かである。
また、中国のゲノム編集ベビーの件については、中国の当局も知っていた、あるいは、世界の関係する科学者も知っていた……ということらしい。容認していた。だが、公表して後、ことが大きくなりすぎたので、否定的な対応をすることになった。このところについて、番組では明言を避けているようだったが。たまたま、誰がその最初の一人になるか、というだけの問題だったのかもしれない。
遺伝子にかかわる疾患だけを問題にしてスタートしたとしても、それはやがて、他の領域にも拡大されることは確かであると思わざるをえない。
ところで、人間にとって遺伝子とはなんであるのか。ここでは、遺伝子決定論というべき発想が基本にあることになる。その一方で、どのような環境で育つかということも考慮にいれなければならない。
そして、同時に、社会の階層化がすすみ、高度な医療……遺伝子操作をふくめて……にアクセスできる人びとと、そうではない人びとを生み出すことにもなる。はたして、人間は、どのようにして平等であり自由なのか。あらためて、根本的なところから考えなおしていかなければならない。これは科学だけの問題ではなく、人間とは何であるかを追求する、人文学の課題でもある。
子供が生まれるのも、また人が病気になり、そして死ぬのも、天の摂理として甘受してきたのが人間の歴史である。そこに宗教が生まれ哲学が生まれた。昔の方が、人間は幸福に生きてきたのかもしれないと思わないでもない。無論、現在の方がいいという面があることも否定はしないのだが。
2024年2月1日記
『ブギウギ』「あんたと一緒に生きるで」 ― 2024-02-04
2024年2月4日 當山日出夫
『ブギウギ』第18週「あんたと一緒に生きるで」
この週の主な見どころは、ジャズカルメンと愛助の死と愛子の誕生である。
カルメンの「ハバネラ」はCDで時々聴く。車のなかで聴くことにして設定してある音楽のなかにはいっている。CDをMP3に変換して、USBメモリに入れたものである。なかに、ナナ・ムスクーリの歌っている「ハバネラ」が入っている。(今時、ナナ・ムスクーリの歌を聴いているというのは、年のばれる話である。高校生のころによくラジオで聴いていた。)
「ハバネラ」に日本語の歌詞がどうのるのかと思っていたのが、ドラマのなかで流れた音楽は、見事に日本語の歌詞がうまくあっていた。また、舞台シーンもよかった。
愛助は大阪で死んだ。それと時を同じくして東京で愛子が生まれた。この死と誕生の場面が、非常に効果的に描かれていた。おそらく朝ドラのなかでも、もっとも感動的な死と誕生のシーンだったのではないだろうか。
ただ、ちょっと気になったこととしては、愛子が生まれたとき、病院の看護婦さんがママと言っていた。昭和二二年である。一般的に、母親のことをママというのはそんなに広まっていなかったのではないかと思うのだが、どうだろうか。
さて、次週以降、いよいよ「東京ブギウギ」になるようだ。愛助と死別した後のスズ子をどう描くことになるのか、楽しみに見ることにしよう。
2024年2月3日記
『ブギウギ』第18週「あんたと一緒に生きるで」
この週の主な見どころは、ジャズカルメンと愛助の死と愛子の誕生である。
カルメンの「ハバネラ」はCDで時々聴く。車のなかで聴くことにして設定してある音楽のなかにはいっている。CDをMP3に変換して、USBメモリに入れたものである。なかに、ナナ・ムスクーリの歌っている「ハバネラ」が入っている。(今時、ナナ・ムスクーリの歌を聴いているというのは、年のばれる話である。高校生のころによくラジオで聴いていた。)
「ハバネラ」に日本語の歌詞がどうのるのかと思っていたのが、ドラマのなかで流れた音楽は、見事に日本語の歌詞がうまくあっていた。また、舞台シーンもよかった。
愛助は大阪で死んだ。それと時を同じくして東京で愛子が生まれた。この死と誕生の場面が、非常に効果的に描かれていた。おそらく朝ドラのなかでも、もっとも感動的な死と誕生のシーンだったのではないだろうか。
ただ、ちょっと気になったこととしては、愛子が生まれたとき、病院の看護婦さんがママと言っていた。昭和二二年である。一般的に、母親のことをママというのはそんなに広まっていなかったのではないかと思うのだが、どうだろうか。
さて、次週以降、いよいよ「東京ブギウギ」になるようだ。愛助と死別した後のスズ子をどう描くことになるのか、楽しみに見ることにしよう。
2024年2月3日記
ドキュメント20min.「悪口の美学」 ― 2024-02-04
2024年2月4日 當山日出夫
ドキュメント20min. 悪口の美学
言語学としては、とても興味深いことではある。悪口とはなにか、何故人は悪口を言うのか、悪口を言われた人は何故不快になるのか。
それと興味深いことは、それが悪口が許容される状況が、社会的、歴史的、文化的な様々な要因によって変わりうることである。以前と比べれば、現代の日本語においては、悪口は使いづらい状況になってきている。言いかえれば、全体として、PCであることを志向している。強いていえば、PCではない、という指摘こそが、相手への最大の批判である、という時代を迎えている。
『紫式部日記』については、この作品が何のために書かれたのか、読者としてはどのような人びとがいたのか、というあたりが重要なポイントかと思う。その他、『今昔物語集』など、その目で読んでみるならば、平安時代の人びとの悪口というものについて、いろいろと面白いことがあるだろう。
2024年2月2日記
ドキュメント20min. 悪口の美学
言語学としては、とても興味深いことではある。悪口とはなにか、何故人は悪口を言うのか、悪口を言われた人は何故不快になるのか。
それと興味深いことは、それが悪口が許容される状況が、社会的、歴史的、文化的な様々な要因によって変わりうることである。以前と比べれば、現代の日本語においては、悪口は使いづらい状況になってきている。言いかえれば、全体として、PCであることを志向している。強いていえば、PCではない、という指摘こそが、相手への最大の批判である、という時代を迎えている。
『紫式部日記』については、この作品が何のために書かれたのか、読者としてはどのような人びとがいたのか、というあたりが重要なポイントかと思う。その他、『今昔物語集』など、その目で読んでみるならば、平安時代の人びとの悪口というものについて、いろいろと面白いことがあるだろう。
2024年2月2日記
「陰陽師・安倍晴明〜平安京のヒーローはこうして誕生した〜」 ― 2024-02-04
2024年2月4日 當山日出夫
英雄たちの選択 陰陽師・安倍晴明〜平安京のヒーローはこうして誕生した〜
再放送である。たぶん、『光る君へ』で安倍晴明が登場するのに合わせてのことになるのだろう。
私が見ていて一番興味深かったのは、京都の歴彩館の収蔵庫。(非常にマニアックな趣味かもしれないが。)閲覧していたのは、「若杉家文書」。それから、「占事略決」も面白かった。
「大刀契」のことがテレビで語られることは希なことかもしれない。それに安倍晴明がかかわっていたということは、これはこれで面白い。
「禹歩」は、知ってはいることなのだが、昔の人は面倒くさいことをしたものだという気もする。
「泰山府君祭」のことは、古典文学でよく知られていることだと思う。ただ、私は、学生のころから、「たいざんぶくん」と読み慣れてきている。
平安神宮での「追儺」は知らなかった。NHKの関西のローカルニュースでも、見たことがない。「追儺」は、昔、中学生のとき、『徒然草』を国語の授業で読んだときに憶えたことばだったかと思う。
足利義満が、直筆の文書で泰山府君祭のことを記しているのも、興味深かった。
安倍晴明を祖として土御門家になる。この家は、私の知識では、陰陽道の家であり、暦を司っていた家でもある。その仕事として、日時勘文のようなことで、ことこまかに貴族たちの日常生活を規定することにもなった。
なるほどそうかなと思ったのは、明治になって、大久保利通にとって土御門家が邪魔だった……ということ。本当にそうなのかどうかは分からないのだが、明治になって、暦が新しくなり、近代化を進めるなかで土御門家という存在は、無用のものになっていっただろうとは思うが、どうなのだろうか。
私にとって陰陽師というのは、やはり『今昔物語集』のイメージが強い。式神をつかいこなす、不気味な存在である。
現代のサブカルチャーのなかでの安倍晴明についてはよく知らない。たぶん、今の若い人にとって安倍晴明というのは、平安朝に活躍したヒーローということなのかとは思うのだが。これもまた時代の流れである。
2024年2月2日記
英雄たちの選択 陰陽師・安倍晴明〜平安京のヒーローはこうして誕生した〜
再放送である。たぶん、『光る君へ』で安倍晴明が登場するのに合わせてのことになるのだろう。
私が見ていて一番興味深かったのは、京都の歴彩館の収蔵庫。(非常にマニアックな趣味かもしれないが。)閲覧していたのは、「若杉家文書」。それから、「占事略決」も面白かった。
「大刀契」のことがテレビで語られることは希なことかもしれない。それに安倍晴明がかかわっていたということは、これはこれで面白い。
「禹歩」は、知ってはいることなのだが、昔の人は面倒くさいことをしたものだという気もする。
「泰山府君祭」のことは、古典文学でよく知られていることだと思う。ただ、私は、学生のころから、「たいざんぶくん」と読み慣れてきている。
平安神宮での「追儺」は知らなかった。NHKの関西のローカルニュースでも、見たことがない。「追儺」は、昔、中学生のとき、『徒然草』を国語の授業で読んだときに憶えたことばだったかと思う。
足利義満が、直筆の文書で泰山府君祭のことを記しているのも、興味深かった。
安倍晴明を祖として土御門家になる。この家は、私の知識では、陰陽道の家であり、暦を司っていた家でもある。その仕事として、日時勘文のようなことで、ことこまかに貴族たちの日常生活を規定することにもなった。
なるほどそうかなと思ったのは、明治になって、大久保利通にとって土御門家が邪魔だった……ということ。本当にそうなのかどうかは分からないのだが、明治になって、暦が新しくなり、近代化を進めるなかで土御門家という存在は、無用のものになっていっただろうとは思うが、どうなのだろうか。
私にとって陰陽師というのは、やはり『今昔物語集』のイメージが強い。式神をつかいこなす、不気味な存在である。
現代のサブカルチャーのなかでの安倍晴明についてはよく知らない。たぶん、今の若い人にとって安倍晴明というのは、平安朝に活躍したヒーローということなのかとは思うのだが。これもまた時代の流れである。
2024年2月2日記
『光る君へ』「告白」 ― 2024-02-05
2024年2月5日 當山日出夫
『光る君へ』第5回「告白」
まひろは三郎(道長)の正体を知ることになる。また、三郎も、兄の道兼が以前まひろの母を殺したことを知る。だが、父の兼家は、その事実を認めたうえで、一族の繁栄のためには、もみ消すしかなかったと語る。
このあたり、ドラマとしては面白いのだが、しかし、やはり平安時代の貴族の生活感覚として死のケガレへの忌避感というのは、描いておくべきことではないかと思う。このことと、母の死に道兼がかかわっていたことは関連させて描くことは不可能ではないと思うが、どうであろうか。自ら刀で人を殺し、その返り血をあびたままで自分の邸宅に帰るとうのは、どうかなと思わざるをえない。
平安時代の貴族の権力闘争をどう描くことになるのか、このドラマの一つの軸になることだと思う。それに翻弄される女性たちということになるのだろうか。ちょっと月並みな感想にはなるのだが。
兼家は、「我が一族」と言っていた。これは、男系を軸とした嫡妻とその子供という意識である。そうなると、平安時代は招婿婚であるとしていたドラマの設定……娘は婿をとるものだと言っていた……との関係はどうなるのだろうか。身分、階層によって婚姻形態が異なっていたということだろうか。
この回でも猫が出てきていた。『源氏物語』といえば猫である。
道綱と、その母が登場していた。『蜻蛉日記』の作者ということになる。『蜻蛉日記』の有名な場面は、出てくるだろうか。
冒頭で出てきた、祈祷のシーン。まあ、インチキなんだろう……巫女に、亡き母の霊が乗り移ったということのようだが、しかし、まひろの名前を知らなかった。。
興味深いのは、散楽の直秀。ただものではない。この直秀の活躍が、このドラマの展開の鍵になりそうである。いったい何者なのだろう。
まひろと道長が会ったのが、六条というのが絶妙である。『源氏物語』を読むと、「夕顔」の巻で、「六条わたりの御しのびありきのころ」とある(記憶で書いているのだが。最初に読んだのは高校生のときだった。)、六条の御息所の邸宅があったところであり、京の都では荒廃していた地域というイメージがある。夕顔の家もそのあたりにあった庶民的な家である。まひろと道長があっていた場面は、「夕顔」に出てくる邸宅を連想する。(ここで夕顔は死ぬのだが。)
時代考証の点で気になったのは、道長のまひろへの手紙。映っていた部分を見ると、平仮名と漢字の混じった文章のようだった。これは、日本語の文字、表記の歴史からは問題がある。平安時代の中期には、仮名(平仮名)と漢字が混じった文章はまだ一般には成立していない。仮名主体の仮名文か、あるいは漢字ばかりの変体漢文かである。はたしてどうだったろうか。
ただ、筆跡は道長風といってよいものであった。道長の筆跡は、『御堂関白記』として残っている。
ことばとしてではあるが、「荘園」が出てきていた。歴史学の分野で、この時代のことについては、どのように考えられているのだろうか。
2024年2月4日記
『光る君へ』第5回「告白」
まひろは三郎(道長)の正体を知ることになる。また、三郎も、兄の道兼が以前まひろの母を殺したことを知る。だが、父の兼家は、その事実を認めたうえで、一族の繁栄のためには、もみ消すしかなかったと語る。
このあたり、ドラマとしては面白いのだが、しかし、やはり平安時代の貴族の生活感覚として死のケガレへの忌避感というのは、描いておくべきことではないかと思う。このことと、母の死に道兼がかかわっていたことは関連させて描くことは不可能ではないと思うが、どうであろうか。自ら刀で人を殺し、その返り血をあびたままで自分の邸宅に帰るとうのは、どうかなと思わざるをえない。
平安時代の貴族の権力闘争をどう描くことになるのか、このドラマの一つの軸になることだと思う。それに翻弄される女性たちということになるのだろうか。ちょっと月並みな感想にはなるのだが。
兼家は、「我が一族」と言っていた。これは、男系を軸とした嫡妻とその子供という意識である。そうなると、平安時代は招婿婚であるとしていたドラマの設定……娘は婿をとるものだと言っていた……との関係はどうなるのだろうか。身分、階層によって婚姻形態が異なっていたということだろうか。
この回でも猫が出てきていた。『源氏物語』といえば猫である。
道綱と、その母が登場していた。『蜻蛉日記』の作者ということになる。『蜻蛉日記』の有名な場面は、出てくるだろうか。
冒頭で出てきた、祈祷のシーン。まあ、インチキなんだろう……巫女に、亡き母の霊が乗り移ったということのようだが、しかし、まひろの名前を知らなかった。。
興味深いのは、散楽の直秀。ただものではない。この直秀の活躍が、このドラマの展開の鍵になりそうである。いったい何者なのだろう。
まひろと道長が会ったのが、六条というのが絶妙である。『源氏物語』を読むと、「夕顔」の巻で、「六条わたりの御しのびありきのころ」とある(記憶で書いているのだが。最初に読んだのは高校生のときだった。)、六条の御息所の邸宅があったところであり、京の都では荒廃していた地域というイメージがある。夕顔の家もそのあたりにあった庶民的な家である。まひろと道長があっていた場面は、「夕顔」に出てくる邸宅を連想する。(ここで夕顔は死ぬのだが。)
時代考証の点で気になったのは、道長のまひろへの手紙。映っていた部分を見ると、平仮名と漢字の混じった文章のようだった。これは、日本語の文字、表記の歴史からは問題がある。平安時代の中期には、仮名(平仮名)と漢字が混じった文章はまだ一般には成立していない。仮名主体の仮名文か、あるいは漢字ばかりの変体漢文かである。はたしてどうだったろうか。
ただ、筆跡は道長風といってよいものであった。道長の筆跡は、『御堂関白記』として残っている。
ことばとしてではあるが、「荘園」が出てきていた。歴史学の分野で、この時代のことについては、どのように考えられているのだろうか。
2024年2月4日記
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