『光る君へ』「告白」2024-02-05

2024年2月5日 當山日出夫

『光る君へ』第5回「告白」

まひろは三郎(道長)の正体を知ることになる。また、三郎も、兄の道兼が以前まひろの母を殺したことを知る。だが、父の兼家は、その事実を認めたうえで、一族の繁栄のためには、もみ消すしかなかったと語る。

このあたり、ドラマとしては面白いのだが、しかし、やはり平安時代の貴族の生活感覚として死のケガレへの忌避感というのは、描いておくべきことではないかと思う。このことと、母の死に道兼がかかわっていたことは関連させて描くことは不可能ではないと思うが、どうであろうか。自ら刀で人を殺し、その返り血をあびたままで自分の邸宅に帰るとうのは、どうかなと思わざるをえない。

平安時代の貴族の権力闘争をどう描くことになるのか、このドラマの一つの軸になることだと思う。それに翻弄される女性たちということになるのだろうか。ちょっと月並みな感想にはなるのだが。

兼家は、「我が一族」と言っていた。これは、男系を軸とした嫡妻とその子供という意識である。そうなると、平安時代は招婿婚であるとしていたドラマの設定……娘は婿をとるものだと言っていた……との関係はどうなるのだろうか。身分、階層によって婚姻形態が異なっていたということだろうか。

この回でも猫が出てきていた。『源氏物語』といえば猫である。

道綱と、その母が登場していた。『蜻蛉日記』の作者ということになる。『蜻蛉日記』の有名な場面は、出てくるだろうか。

冒頭で出てきた、祈祷のシーン。まあ、インチキなんだろう……巫女に、亡き母の霊が乗り移ったということのようだが、しかし、まひろの名前を知らなかった。。

興味深いのは、散楽の直秀。ただものではない。この直秀の活躍が、このドラマの展開の鍵になりそうである。いったい何者なのだろう。

まひろと道長が会ったのが、六条というのが絶妙である。『源氏物語』を読むと、「夕顔」の巻で、「六条わたりの御しのびありきのころ」とある(記憶で書いているのだが。最初に読んだのは高校生のときだった。)、六条の御息所の邸宅があったところであり、京の都では荒廃していた地域というイメージがある。夕顔の家もそのあたりにあった庶民的な家である。まひろと道長があっていた場面は、「夕顔」に出てくる邸宅を連想する。(ここで夕顔は死ぬのだが。)

時代考証の点で気になったのは、道長のまひろへの手紙。映っていた部分を見ると、平仮名と漢字の混じった文章のようだった。これは、日本語の文字、表記の歴史からは問題がある。平安時代の中期には、仮名(平仮名)と漢字が混じった文章はまだ一般には成立していない。仮名主体の仮名文か、あるいは漢字ばかりの変体漢文かである。はたしてどうだったろうか。

ただ、筆跡は道長風といってよいものであった。道長の筆跡は、『御堂関白記』として残っている。

ことばとしてではあるが、「荘園」が出てきていた。歴史学の分野で、この時代のことについては、どのように考えられているのだろうか。

2024年2月4日記

バリバラ「“みんな”のミュージアム」2024-02-05

2024年2月5日 當山日出夫

バリバラ “みんな”のミュージアム

MLA、あるいは、MLAKという。ミュージアム(美術館、博物館)、ライブラリー(図書館)、アーカイブズ(文書館)、そして、公民館である。MLAの連携ということが言われ始めてからかなりになると思う。特に、インターネットの普及、発達によって、デジタルコレクションの公開というときに、それぞれの特色をいかしながら、連携する道をさぐろう、このような発想であるかと思っている。

しかし、MLA連携の議論のなかに、障害者をユーザとしてとらえるという視点は、ほとんど(あるいは、まったく)無かったと言っていいかと、今ふり返って思う。

紹介されていたのは、徳島県立博物館、国立民族学博物館、滋賀県立美術館であった。このうち、国立民族学博物館は、障害のある人に対する配慮のある展示ということでは、先駆的な存在ということは知られているかと思う。

施設の設計がユニバーサルデザインでなければならないのは当然として、重要なことは、知的障害のある人であっても、知的好奇心がある、ということであろう。その知的好奇心にこたえるために、生涯学習のための施設としてMLAは機能しなければならない。

さて、今の博物館学というような分野において、インクルーシブな展示ということは、どのように議論されているのだろうか。

2024年2月3日記