ブラタモリ「鎌倉の寺〜北条氏の寺でわかる!鎌倉幕府の偉業とは〜」2024-02-14

2024年2月14日 當山日出夫

ブラタモリ 「鎌倉の寺〜北条氏の寺でわかる!鎌倉幕府の偉業とは〜」

前回に続いての鎌倉である。この回は、寺院めぐり。建長寺、極楽寺、称名寺、であった。

建長寺は臨済の寺であるのだが、中国の宋の時代に日本にもたらされ、臨済宗ということで今にいたっている。だから中国風であるのは当たり前である。何もことさら新しく言うほどのことではないと思うのだが。

極楽寺については、以前は壮大な境内地をもつ巨大寺院であったということだが、このような寺は各地にある。また、遠方の地にある神様などを勧請することは、さして珍しいことではない、ごく普通にあったことである。

建長寺でのけんちん汁も推測としてということだったし、極楽寺と元寇のことも、ちょっと無理があるかなという印象である。といって、登場していた西岡芳文君……慶應の文学部で私より少し後輩になる、同じ太田次男先生のもとで学んだ……が、そうでたらめな説を語ることもないだろうとは思う。これは、鎌倉における宗教政策という観点から考えるべきことがらのように私は思う。

金沢文庫は新しくなった建物である。これは、昔は、トンネルをはさんで称名寺の側にあった。それを新しくした。これももうかなり以前のことになるが。昔、学生のころ、恩師の太田次男先生につれられて古い金沢文庫の方に行ったことがあるのを思い出す。

金沢文庫旧蔵の古典籍類は、各所に散逸している。これは、古典籍にかかわるものの常識的知識である。私が学生に教えていた「金沢文庫本白氏文集」は、現在では東京の大東急記念文庫にある。その他のいくつかの施設にもある。

『文選集注』、『源氏物語』(河内本)がテレビに映ることは珍しいかと思う。(蓬左文庫の河内本は、学生のころ、翻刻が刊行になったので、池田利夫先生にすすめられて買ってそろえたのを今でも持っている。)テレビの画面で見る限りであるが、古典籍のとりあつかいの作法については、この場合は、きちんとしていた。

それから、国宝が二万点というのは、近年になって金沢文庫古文書が一括して国宝に指定されたから、このような数字になる。嘘ではないのだが、あまり正確ともいえない。

2024年2月11日記

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