「戦場のジーニャ〜ウクライナ 兵士が見た“地獄”〜」2024-03-01

2024年3月1日 當山日出夫

NHKスペシャル 戦場のジーニャ〜ウクライナ 兵士が見た“地獄”〜

見ていろいろと思う。

戦争というものをどう伝えるか、その手段、方針にはいろいろとある。これは、その一つの手法ではある。ちょっと距離をおいた感想になるが、まずこのことを思う。いや、距離をおいた気持ちで見ないと、この番組について語ることは困難である。おそらく、戦争とメディアということを考えるとき、この番組のような手法は、確かに今の時代ならではのものであるし、それをうまく活用している。

近代における戦争は、常に映像メディアとともにあった。少なくとも日本が経験した範囲では、日露戦争のころからということになるだろうか。日中戦争、太平洋戦争になれば、多くの記録映像が残されている。その後、ベトナム戦争は、テレビというメディアを抜きにしては、その推移を語ることはできない。

ウクライナの戦場は、現代においては、リアルタイムで戦闘の実況と記録が可能になっている。そこで記録された映像資料をどう使うかという判断の問題はあるのだが、現代はそのような時代であるという認識は持っておくべきことになる。

この番組から読みとることとしては、私としては次の二点になる。

第一に、戦場の悲惨。これは説明するまでもない。本物の戦闘の映像記録なのである。

第二に、兵士たちの姿。普通の市民であった人間が、戦場で何を思い、どう変化していくのか、この過程を追っている。もうもとには戻れない、このことばが印象に残る。

前線から帰還した兵士が、家でゲームをしているシーンがあった。戦争がゲームのようだと言われたのは、湾岸戦争のときである。今では、ゲームのように戦争をしていることになるのかもしれない。いや、ゲームと思いこまなければ生きていけないと考えるべきだろうか。

それから、思うこととしては、ロシアでは国内でこの戦争のことはどのように伝えられているのだろうか。

軍事的な面で考えるならば、対戦車地雷の威力がある。これについては、これまであまり日本で報じられていなかったと思う。また、ドローンを使った攻撃がどんなものか、その実態の一部であろうが、分かったかと感じる。ロシア軍の使っているドローンは、どこで作ったものなのだろうか。ドローンは、デュアル・ユースである。また、敵(ロシア軍)の不発弾から爆薬を取り出して、攻撃用に用いる。こんなことを塹壕のなかでやっている。大丈夫なのかと思ってしまう。

二一世紀になって、一〇〇年前、前世紀の第一次世界大戦のときのような塹壕戦が行われているということは、衝撃的でもあった。第一次世界大戦のとき、塹壕戦を突破したのは戦車だったかと思う。しかし、それも今では対戦車地雷、対戦車ミサイルによって有効とはならないのかもしれない。まさに二一世紀における「映像の世紀」である。

猫と兵士の映像が心に残った。

坂本龍一の音楽がいい。

『西部戦線異状なし』を読みかえしてみたくなった。

2024年2月28日記

ザ・バックヤード「千葉県立中央博物館」2024-03-01

2024年3月1日 當山日出夫

ザ・バックヤード 千葉県中央博物館

チバニアンの名前がついたときのことは記憶している。しかし、それが具体的にどんな地層を研究して、何を判断基準にして、そう判断することになったのかは知らなかった。地磁気の逆転ということは、知っていたことであるが、その時代をチバニアンが示すことになることは、この番組で知った。

専門家というのはすごいものである。トドの化石(歯の一部)から、それを巨大なトドの化石であると判定するのは、神業としか思えない。

虫がはいった琥珀、朝ドラの『あまちゃん』を思い出す。

生態園のこころみは非常に興味深い。確かに種は長期保存が可能ということは知ってはいたが、それを使って発芽させてもとの植物を復活させようという事業は重要である。印旛沼は名前だけは知っているのだが、その地域が今どんなになっているのかは、知らなかった。

また、森を土壌ごと移動して持ってくるというのも、とても面白い。

液浸標本はすごい。新発見ということは、タイプ標本ということになるのだろうが、それが数多く発見できていることは重要である。日本の生物、生態系の保護につながる研究であることは確かだが、それと同時に、新しいことを見つける楽しさというものもある。楽しいことこそ何より重要である。その楽しさを伝えてくれる意味でも、この博物館の活動には意味がある。

2024年2月29日記

BS世界のドキュメンタリー「アラファトの実像」2024-03-02

2024年3月2日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー
「アラファトの実像 前編 片手に持った“オリーブの枝”」
「アラファトの実像 後編 2国家共存の挫折」

二〇二二年、フランス・オーストリアの制作。

録画しておいて、全編・後編と続けて見た。見て思うことは、これだけの番組は日本のメディアでは作れないだろうということである。使ってある映像資料は、特に珍しいということはないのだろうと思う。(あるいはかなりの貴重な映像もあるかとは思うのだが。)それよりも、ナレーションの説明が、パレスチナとイスラエルと両方を視野にいれて、多様な視点から見ていることである。イスラエルの歴史、パレスチナの歴史、そのときの国際状況、アラファトの人物像、総合的に見る視点がある。

二〇二二年の制作であるから、昨年終わりごろからのパレスチナのガザ地区での、イスラエルとの紛争(と言っていいのだろうか)が始まる前のことになる。その時点で、パレスチナ問題の核心にせまるものとなっていると思う。

パレスチナの土地からイスラエルを抹殺しようとする立場もあれば、逆に、完全にイスラエルのものにしようという立場もある。そのなかで、現実的な和平路線の落とし所をもとめようとする動きもある。

アラファトについては、PLOを代表する人物であるという程度の認識しか持っていなかったというのが、正直なところである。オスロ合意のときのことは、ニュースで見たのを憶えている。しかし、アラファトの死んだときのことは憶えていない。日本でそう大きなニュースとして扱われなかったかと思うのだが、どうだったろうか。

アラファトは謎に満ちた人物である。パレスチナを象徴する人物である。パレスチナを世界に認めさせるために、何でもする。ブラックな側面もある。しかし、パレスチナの和平を実現に近づけた功労者という側面もある。

パレスチナ問題で重要な鍵となるのが、エルサレムのあつかいであることがよく理解される。ユダヤ教、キリスト教、イスラムにとって聖地であることは、知識としては知っていることなのだが、そこに人びとがどのような情念を持っているかということは、なかなか分かりにくい。

フランスとオーストリアの制作ということもあるのだろうが、日本のことがまったく出てきていなかった。まあ、中東における日本の存在感とはそんなものだろうと思う。

また、ドキュメンタリーの作り方として、確かに映像的には非常にいいのだが、記録映像とそうではないものとの境界があいまいである。どこまでが本当の記録映像であるのか、見ていてちょっと気になった。

2024年2月24日記

「パクス・ヒュマーナ 〜平和という“奇跡”〜」2024-03-02

2024年3月2日 當山日出夫

パクス・ヒュマーナ 〜平和という“奇跡”〜

BS4Kで見た。

前半はイタリア。十字軍のときのこと。神聖ローマ帝国皇帝、フェデリコ二世の事跡である。十字軍については、学校で世界史の授業で習ったときのことをかろうじて憶えているにすぎない。イスラムのことについては、その後いくつかの本を読んだことがあるぐらいである。古代ギリシャの哲学は、ヨーロッパではその後ほろんでしまい、イスラム世界のなかで継承され研究され、そして、再度ヨーロッパにもたらされた、というぐらいの認識である。

十字軍は、いわゆる宗教戦争ということになる。(実際は、それ以外にもいろんな要素があるのかとも思うが。)キリスト教(カトリック)とイスラムの戦いということになる。和解することは難しいことのようだが、しかし、それが実現したときがあった。エルサレムについて、キリスト教とイスラムと両方で平和的に管理するということである。

このことを今の時点で番組として放送することの意味はたしかにあるだろう。宗教の対立からおこる戦争は、はたして終わらせることができるのか。

楽観はできないと私は思うのだが、しかし、決して不可能ではないという気にはなる。宗教は対立を生み出す。だが、宗教的寛容さということも重要である。

後半は、アフリカのウガンダのこと。ウガンダでのツチとフチの対立、抗争ということは、その当時のニュースで見たことを憶えている。しかし、実際にどのような原因で始まり、どのような経過をたどったのか、そして、ウガンダは今どのような国になっているのか、知るところではなかった。

番組を見て、なるほどそういう事情であったのかと思うところがある。

もともと、ツチとフツは同じ民族であった。言語、宗教を同じくする。それが、ベルギーの植民地政策として、分断され統治に利用された。このとき、ツチとフツを分けたものは、身体的特徴など微細なものにすぎなかった。しかし、この人為的に作った違いは身分証に記載され、常時携帯が義務づけられた。植民地支配からの独立後、この両者の対立が激化して、ジェノサイドということにまでなった。このとき、国際社会はなにもしなかった。

ルワンダのことから学ぶべきことは多くあると思うのだが、人為的に人びとの違いを作り出し分断することは、実際に可能であり、また、それが憎悪へとつながることにもなる、ということは重要なことである。このとき、身体的特徴ということが利用されたのは、わかりやすさということになる。この論理は、今でも世界に残る各種の差別であったり、人種間の優劣についての偏見であったりというかたちで、残り続けているといってもいいかと思う。

ルワンダが再統合でき、発展へとつながったのは、もともと同じ民族であったということがあるのかとも思うが、どうなのだろうか。強いていうならばルワンダ国民としてのナショナリズムと言ってもいいかと思う。(ただ、世の中には、ナショナリズムと言うだけで悪いものとして嫌悪感を示すひとがいることは確かなことではあるが。)ルワンダの人びとの国家への意識がどんなものであるかは、考えるべきことではないだろうか。

2024年2月23日記

『ブギウギ』「あ〜しんど♪」2024-03-03

2024年3月3日 當山日出夫

『ブギウギ』第22週「あ〜しんど♪」

今の時代に「買物ブギ」をオリジナルのままで歌って放送するということは、やはり無理なのだろうと思う。この歌は、最後のオチの部分まで聴かないとその良さが減ってしまうと思うのは、たぶん私だけではあるまい。まあ、そのオリジナルのバージョンを聴いた記憶があるというと、かなりの年齢ということにはなるが。

新しいマネージャーがやってきた。山下の妹の息子だという。だが、芸能の世界については素人のようである。無事にマネージャーの役割がつとまるだろうかと心配するところもあったが、そこはスズ子の方が一枚上手だったようだ。

家政婦さんが、これからのスズ子の生活を支えてくれることになるようだ。スズ子のことは無論のこと、愛子のことも、それから新しいマネージャーのタケシとも、うまくやっている。この家政婦さんがいるなら、スズ子の生活も安泰だと感じさせる。

このドラマの魅力は舞台のシーンと、エンターテイメントに生きるスズ子の生き方ということになる。

次週は、スズ子の生まれ故郷のことが出てくるらしい。楽しみに見ることにしよう。

2024年3月2日記

ETV特集「戦禍に言葉を編む」2024-03-03

2024年3月3日 當山日出夫

ETV特集 戦禍に言葉を編む

ウクライナのことをあつかった番組ということなのだが、しかし、これは普遍性がある。今、戦争があるのはウクライナだけではない。イスラエルとパレスチナのこともある。他にも、いくつかの国、地域で、戦闘が続いている。あまり報道されなくなったが、ミャンマーのこともある。さらには、自然災害で被害を被った人びとのことを思うことにもつながる。

ことばというものに関心がある人間にとって、いろいろと考えるところのある番組になっていたと感じる。

戦闘の場面とかは出てこないのだが、戦禍にある国の人びとの気持ちを、素直に(と言っていいだろうかためらうところはあるのだが)ことばで表している。なかで印象的だったのが「沈黙」。黙ってしまっている子供たちのことである。

番組を見ながらふと思いうかんだのが、能登半島の地震で被災した子供たちが歌っている「花は咲く」。NHKがこの歌を放送しなくなってからしばらくたつのだが、人びとの気持ちの中には生きのこっている。

『戦争語彙集』は買って読んでおくことにした。

2024年2月29日記

『光る君へ』「遠くの国」2024-03-04

2024年3月4日 當山日出夫

『光る君へ』第9回「遠くの国」

ドラマだから何があってもいいようなものであるが、しかし、平安貴族が死体に直接手を触れて、それを埋葬するというようなことは、かなり無理な設定だと思わざるをえない。だからこそ第1回で、人を殺して返り血をあびたままで邸宅に帰るというようなこともありうるとなるのだろうが。(そういうことは、武者の仕事であったはずである。)

こういうことは、死のケガレにどう対応するかという日常の生活感覚の問題であるので、どうかなと思うのである。

兼家は、病気が治った、というべきか、仮病というべきか、ともあれ、自分が病気で倒れたのを好機として、一族の野望を果たそうとする。まずは、帝の退位である。花山天皇の退位のときのことは、『大鏡』に出てくる事件なのであるが、さて、これをどうドラマで描くことになるだろうか。

それから、安倍晴明だが、本当に呪力があるのか、あるいは、策士なのか、このあたり微妙である。が、ドラマとしては、安倍晴明が活躍するのが面白い。兼家もなかなかの曲者であるが、安倍晴明もなかなかのものである。

藤原実資は、また日記を書けと言われていた。

次回から散楽は出てこないようだ。これはちょっと淋しい。

終わりの紀行のところで、散楽の後の形態として、能楽と人情浄瑠璃が紹介されていた。そのとき、写真は、能楽は佐渡のものであったし、人形浄瑠璃は淡路のものであった。今の文楽の写真を使わなかったあたりは意図的なのであろう。

次回、花山天皇退位事件になるらしい。楽しみに見ることにしよう。

2024年3月3日記

探検ファクトリー「国立印刷局」2024-03-04

2024年3月4日 當山日出夫

探検ファクトリー 国立印刷局

この番組は見ることにしているのだが、この回は面白かった。国立印刷局である。新しい紙幣の印刷技術について、いろいろと興味深い説明があった。

最も興味深いのは、工芸官の技術の継承。この人たちは、何十年かに一度の紙幣の改変のためだけに技術を習得し、それを継承していると言ってもいいのだろう。

ところで、「ザ・バックヤード」の次回の放送が、同じ国立印刷局である。ここがそう簡単にNHKの取材を受け入れるとは思えないので、たぶん、同じときに二つの番組を収録して、それぞれに編集してということになるのだろうか。

まあ、ともあれ、次回の「ザ・バックヤード」は録画予約してある。見てからまた考えてみることにしよう。

2024年3月2日記

ウチのどうぶつえん「マナティー子育て日記」2024-03-04

2024年3月4日 當山日出夫

ウチのどうぶつえん マナティー子育て日記

沖縄には行ったことがないので、この水族館のことは知らなかった。マナティーの繁殖のことは、しばらく前に、この番組で沖縄特集をやったときに見たと記憶している。

マナティーの食事の様子がほほえましい。是非、これは実際に見てみたいという気持ちになる。カボチャが大好物ということだが、しかし、自然界にはマナティーがカボチャを食べるといことはないと思われるので、見方によっては、水族館にいるマナティーの幸福かもしれない。(まあ、自然で暮らしているのが一番だとは思うが。)

その繁殖のための工夫が興味深い。オスとメスの一対のペアではうまくいかず、三頭にしてみたらうまくできた。いろんな努力があっての繁殖だということが分かる。生まれてきた赤ちゃんは、母乳と人工授乳の半々で育てている。これも、日頃からの綿密な観察と記録があるからこそ出来ることであろう。

2024年3月3日記

ドキュメント72時間「札幌 雪道を走る灯油配達車」2024-03-05

2024年3月5日 當山日出夫

ドキュメント72時間 札幌 雪道を走る灯油配達車

札幌には行ったことはあるが、冬ではなかった。北国の冬の暮らしというもを私は基本的に知らない。(ただ、私の生まれは山陰地方なので、その昔の農山村の暮らしということは、かすかに記憶にある。生まれた家には囲炉裏があった。)

北海道では、灯油をあのようにして配達しているのか、というのがまず思ったことである。団地の上の階までホースを伸ばすの大変である。(マンションとか、エレベータを使うようなところでは無理である。その場合はどうするのだろう。灯油ではなく電気ということになるのだろうか。)

奥さんと子どもを亡くし、釣りが趣味だという男性。九〇を超えて一人で生きている女性。野球の独立リーグの選手。いろいろと面白かった。

なかで私が興味を持ったのは、ウズベキスタンから来た男性。灯油の配達員をしているが、日本には働きに来ている。故郷で家を建てるのが夢だという。日本で働くことに法的に問題はないのだろうが(だからこそテレビに映ることになる)、灯油の配達の仕事ではたして家を建てられるだろうか。日本に夢をいだいて来ている外国からの人は多くいる。それぞれに事情があってのことだろうが、日本での生活、故国での生活がよりよいものであることを願うのみである。

2024年3月2日記