BS世界のドキュメンタリー「アラファトの実像」2024-03-02

2024年3月2日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー
「アラファトの実像 前編 片手に持った“オリーブの枝”」
「アラファトの実像 後編 2国家共存の挫折」

二〇二二年、フランス・オーストリアの制作。

録画しておいて、全編・後編と続けて見た。見て思うことは、これだけの番組は日本のメディアでは作れないだろうということである。使ってある映像資料は、特に珍しいということはないのだろうと思う。(あるいはかなりの貴重な映像もあるかとは思うのだが。)それよりも、ナレーションの説明が、パレスチナとイスラエルと両方を視野にいれて、多様な視点から見ていることである。イスラエルの歴史、パレスチナの歴史、そのときの国際状況、アラファトの人物像、総合的に見る視点がある。

二〇二二年の制作であるから、昨年終わりごろからのパレスチナのガザ地区での、イスラエルとの紛争(と言っていいのだろうか)が始まる前のことになる。その時点で、パレスチナ問題の核心にせまるものとなっていると思う。

パレスチナの土地からイスラエルを抹殺しようとする立場もあれば、逆に、完全にイスラエルのものにしようという立場もある。そのなかで、現実的な和平路線の落とし所をもとめようとする動きもある。

アラファトについては、PLOを代表する人物であるという程度の認識しか持っていなかったというのが、正直なところである。オスロ合意のときのことは、ニュースで見たのを憶えている。しかし、アラファトの死んだときのことは憶えていない。日本でそう大きなニュースとして扱われなかったかと思うのだが、どうだったろうか。

アラファトは謎に満ちた人物である。パレスチナを象徴する人物である。パレスチナを世界に認めさせるために、何でもする。ブラックな側面もある。しかし、パレスチナの和平を実現に近づけた功労者という側面もある。

パレスチナ問題で重要な鍵となるのが、エルサレムのあつかいであることがよく理解される。ユダヤ教、キリスト教、イスラムにとって聖地であることは、知識としては知っていることなのだが、そこに人びとがどのような情念を持っているかということは、なかなか分かりにくい。

フランスとオーストリアの制作ということもあるのだろうが、日本のことがまったく出てきていなかった。まあ、中東における日本の存在感とはそんなものだろうと思う。

また、ドキュメンタリーの作り方として、確かに映像的には非常にいいのだが、記録映像とそうではないものとの境界があいまいである。どこまでが本当の記録映像であるのか、見ていてちょっと気になった。

2024年2月24日記

「パクス・ヒュマーナ 〜平和という“奇跡”〜」2024-03-02

2024年3月2日 當山日出夫

パクス・ヒュマーナ 〜平和という“奇跡”〜

BS4Kで見た。

前半はイタリア。十字軍のときのこと。神聖ローマ帝国皇帝、フェデリコ二世の事跡である。十字軍については、学校で世界史の授業で習ったときのことをかろうじて憶えているにすぎない。イスラムのことについては、その後いくつかの本を読んだことがあるぐらいである。古代ギリシャの哲学は、ヨーロッパではその後ほろんでしまい、イスラム世界のなかで継承され研究され、そして、再度ヨーロッパにもたらされた、というぐらいの認識である。

十字軍は、いわゆる宗教戦争ということになる。(実際は、それ以外にもいろんな要素があるのかとも思うが。)キリスト教(カトリック)とイスラムの戦いということになる。和解することは難しいことのようだが、しかし、それが実現したときがあった。エルサレムについて、キリスト教とイスラムと両方で平和的に管理するということである。

このことを今の時点で番組として放送することの意味はたしかにあるだろう。宗教の対立からおこる戦争は、はたして終わらせることができるのか。

楽観はできないと私は思うのだが、しかし、決して不可能ではないという気にはなる。宗教は対立を生み出す。だが、宗教的寛容さということも重要である。

後半は、アフリカのウガンダのこと。ウガンダでのツチとフチの対立、抗争ということは、その当時のニュースで見たことを憶えている。しかし、実際にどのような原因で始まり、どのような経過をたどったのか、そして、ウガンダは今どのような国になっているのか、知るところではなかった。

番組を見て、なるほどそういう事情であったのかと思うところがある。

もともと、ツチとフツは同じ民族であった。言語、宗教を同じくする。それが、ベルギーの植民地政策として、分断され統治に利用された。このとき、ツチとフツを分けたものは、身体的特徴など微細なものにすぎなかった。しかし、この人為的に作った違いは身分証に記載され、常時携帯が義務づけられた。植民地支配からの独立後、この両者の対立が激化して、ジェノサイドということにまでなった。このとき、国際社会はなにもしなかった。

ルワンダのことから学ぶべきことは多くあると思うのだが、人為的に人びとの違いを作り出し分断することは、実際に可能であり、また、それが憎悪へとつながることにもなる、ということは重要なことである。このとき、身体的特徴ということが利用されたのは、わかりやすさということになる。この論理は、今でも世界に残る各種の差別であったり、人種間の優劣についての偏見であったりというかたちで、残り続けているといってもいいかと思う。

ルワンダが再統合でき、発展へとつながったのは、もともと同じ民族であったということがあるのかとも思うが、どうなのだろうか。強いていうならばルワンダ国民としてのナショナリズムと言ってもいいかと思う。(ただ、世の中には、ナショナリズムと言うだけで悪いものとして嫌悪感を示すひとがいることは確かなことではあるが。)ルワンダの人びとの国家への意識がどんなものであるかは、考えるべきことではないだろうか。

2024年2月23日記