『ブギウギ』「マミーのマミーや」2024-03-10

2024年3月10日 當山日出夫

『ブギウギ』第23週「マミーのマミーや」

朝ドラの予算では、アメリカロケはかなわなかったようだ。アメリカの舞台で歌うシーンを見てみたかった気もするのだが。

アメリカに行く前の公演のステージの場面がよかった。このドラマでは久しぶりの「東京ブギウギ」かと思う。

アメリカに行くときスズ子は愛子を連れていくかどうか悩む。今ならともかく、戦後まもなくのころである。GHQの許可が必要である。さて、遠い異国のアメリカに幼い子どもを連れて行くのは、普通ならむしろ躊躇するとこかもしれない。四ヶ月のことである、日本においておいて、しかるべき人に面倒をみてもらう方が安心だろうと思うが、どうだろうか。しかし、スズ子は愛子を連れて行こうかどうしようか、悩むことになる。

アメリカでの小夜ちゃんとの再会があるかと思っていたが、これはなかった。

香川ではロケができた。父親の梅吉が死ぬことになる。これで、スズ子は母親を亡くし、弟を亡くし、そして、父親にも死なれたことになる。また、愛助も死んでしまった。

梅吉の最期のときの歌がよかった。

梅吉が愛子の写真を撮るシーンがあったが、しかし、この時代のフィルムの感度では、室内の明るさでは無理である。(現代ならデジタルカメラで、かなり感度を上げて撮ることも可能ではあるが。)

葬式には、生みの母であるキヌが来ていた。久しぶりに会うことになる。また会おうと言って別れることになったのだが、果たして再度会うことはかなうだろうか。スズ子の言った、「マミーのマミーや」のことばは、キヌにどう響いただろうか。

さて、次週は愛子をめぐっていろいろと事件がおこるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2024年3月9日記

「ジャパニーズ・ドリーム 〜ネパール人留学生たちの日本〜」2024-03-10

2024年3月10日 當山日出夫

BSスペシャル ジャパニーズ・ドリーム 〜ネパール人留学生たちの日本〜

正直に言って、日本にこれほど多くのネパール人の留学生などがいることについて知らなかった。そして、その人びとの暮らしのことについても。

ネパールでは日本留学が流行しているという。強いて言えば、日本語学校がビジネスの範囲をネパールに広げたから、ということになる。ネパールは貧しい国と言っていいだろう。その人びとにとって、日本に留学し働くことは、「夢」である。

しかし、日本での現実は厳しい。番組ではこのようなことに言及はなかったが、日本語がまだ上手ではない人は、人と接触することのない職場で働くことになる。そうすると、ますます日本語の上達の機会が少なくなる。これは、悪循環である。

かつて日本から多くの移民が海外に渡って行った歴史がある。アメリカに渡った人も多い。黄禍論ということばもあった時代である。中南米に渡った、また、満州にも多くの日本人が行った。そのような歴史を持つ日本として、今、海外からの「留学生」「労働者」に対してどうあるべきか、きちんとした議論がなされているとは言いがたい。とめどない少子化社会においては、いわゆる外国人労働者は避けて通ることができないのは、自明のことである。だが、実際に日本で生活する外国出自の人びとに対する視線は厳しい。

また、戦前から戦後にかけて日本にやってきた主に朝鮮半島に出自を持つ人びとのこともある。

私は、日本の社会の基本的ルールを守る限りという条件をつけることにはなるが、外国出自の人びととの共生の道をさぐるべき時代であると考える。しかし、実際には、極端な排外主義と、それへの反対意見(極端なリベラリズム)が対立する不毛な状態が続いているように思えてならない。

番組を見ていて印象的なシーンがいくつかある。日本にきて働いていた男性、今の仕事は、ネパールから来た留学生に仕事を斡旋し管理する業務である。確かに、言語が通じるということを考えるならば、日本に来たばかりで日本語がまだ上手ではない人びとに対しては、このような方法ということが合理的かもしれない。だが、このような手法は、かつての植民地支配のあり方を彷彿とさせることは確かである。

ネパール人で自殺する人が多いという。これは、統計的にはどのように扱われるのだろうか。ニュースなどで報じられる自殺者数のなかにふくまれているのだろうか。日本における外国人の自殺件数というのは、一つのカテゴリーとして把握しておく必要があることだと思う。

日本で大学を出ても就職先がなく、カナダにわたった女性。残念な気もするが、しかし、日本よりカナダの方がよっぽど良いと思わざるをえないところもある。

日本にいるネパール人のスピーチコンテストあるということは始めて知った。

物流業界で荷物の仕分けを深夜に行っているという。日本で物流がなりたっているのは、このような労働に従事する人々があってのことである。

去年、NHKで放送していた番組で新大久保の外国人を扱った番組があったのを思い出す。なかで、ネパール語の新聞を発行している人のことが出てきていた。そのときは、そんなこともあるのかというぐらいの気持ちで見ていたのだが、日本に数多くのネパール人が暮らしていることを思うと、その必要性が理解できる。しかし、それも、今では、WEBとスマホにとってかわられる時代である。日本で暮らす子どもに、ネパールとつないで英語の授業を受けさせる。技術的に可能であることは分かるが、そうまでするということは、よほど日本の社会の未来に期待を持てないということなのである。

これからもネパールの人びとは日本を目指してくる。ネパールに限らず、まずは、きちんとした日本語教育と基本的人権に配慮した労働環境ということになる。日本に来ている外国の人びとについて、出稼ぎ目的の偽装留学生と批判する意見もあることは承知しているつもりでいる。が、これも見方を変えれば、そのような労働力がなければ日本の社会は維持できないようになっているともいえよう。一方、日本にいる外国人が何か問題をおこしたとき、それを話題として取りあげるだけで、ヘイト・スピーチとして批判されることがある。これでは、議論は前に進まないと思う。

それにしても、日本語学校で勉強して日本にやってくる費用が百数十万円を超えるという。日本での感覚からするとぼったくりと思えるが、実際にどれくらいのコストがかかっているのだろうか。

子どももやってくる。その子どもが小学校に入学するとき、ランドセルを買わせるという制度は、どうにかならないものかと思う。貧しい外国人だからではない。今の時代、小学校に入学したらランドセルという日本の社会の習慣が、そもそも問題だと思うが、どうだろうか。

2024年3月2日記

サンシュユ2024-03-10

2024年3月10日 當山日出夫

今日(2024年3月10日)のサンシュユである。

サンシュユ

サンシュユ

サンシュユ


サンシュユ

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD