「トーマス・マン“魔の山” (4)生への奉仕へ」 ― 2024-06-04
2024年6月4日 當山日出夫
100分de名著 トーマス・マン“魔の山” (4)生への奉仕へ
再放送を録画しておいて見た。月曜日の放送も録画してあったのだが、北朝鮮の衛星打ち上げのことがあって、終わりの方が切れてしまった。あらためて録画設定をしなおして、見ることにした。
文学作品について語ることの難しさは、それが結論を提示しているものではないことが多いということにある。いわゆる思想書のような場合には、主張が明快であることが多い。しかし、文学は、何を言いたいのかよくわからないというものがある。
『魔の山』も、何が言いたいのかよく分からない小説の一つ、と言っていいのかもしれない。だが、このような作品については、複雑なものは複雑なままでうけとめるしかない、これが素直でただしい読み方、ということになるのだろう。
『魔の山』はレクイエムだという。第一次世界大戦が、西欧の人びとに何をもたらしたのか、日本からみると分かりにくいところがある。その分かりにくさを、そのまま受けとめて読んでおくのがいいといことなのだろう。
「100分de名著」の『魔の山』では、文学を読むとはどういうことなのか、最終的にはいろいろと考えるところがあった。
2024年6月3日記
100分de名著 トーマス・マン“魔の山” (4)生への奉仕へ
再放送を録画しておいて見た。月曜日の放送も録画してあったのだが、北朝鮮の衛星打ち上げのことがあって、終わりの方が切れてしまった。あらためて録画設定をしなおして、見ることにした。
文学作品について語ることの難しさは、それが結論を提示しているものではないことが多いということにある。いわゆる思想書のような場合には、主張が明快であることが多い。しかし、文学は、何を言いたいのかよくわからないというものがある。
『魔の山』も、何が言いたいのかよく分からない小説の一つ、と言っていいのかもしれない。だが、このような作品については、複雑なものは複雑なままでうけとめるしかない、これが素直でただしい読み方、ということになるのだろう。
『魔の山』はレクイエムだという。第一次世界大戦が、西欧の人びとに何をもたらしたのか、日本からみると分かりにくいところがある。その分かりにくさを、そのまま受けとめて読んでおくのがいいといことなのだろう。
「100分de名著」の『魔の山』では、文学を読むとはどういうことなのか、最終的にはいろいろと考えるところがあった。
2024年6月3日記
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