「宮本常一“忘れられた日本人” (1)もうひとつの民俗学」2024-06-07

2024年6月7日 當山日出夫

100分de名著 宮本常一“忘れられた日本人” (1)もうひとつの民俗学

『忘れられた日本人』の岩波文庫版を読んだのは、学生のときだったと憶えている。(やはり、印象に残っているのは「土佐源氏」であるのだが。)

慶應の文学部の国文で勉強したから(もう半世紀ほど前のことになる)、柳田国男や折口信夫は、当然のように読んだ。柳田国男の「著作集」、折口信夫の「全集」も学部の学生の時に買ってそろえた。今でも持っている。そのころ、宮本常一の「著作集」が書店にあったのは見ているのだが、それを買いそろえて読もうということはなかった。

勉強したのが、国語学のなかでも訓点語、文字、表記というような分野のことになったので、直接、民俗学の論文を読んだりということはなかったのだが、しかし、歴史を考えるときに民俗学の視点が重要であるという気持ちは持ち続けてきた。

佐野眞一の『旅する巨人』が文庫本で出たときには、買って読んだ。

番組の第一回であるが、興味深いのは、オシラサマについての、柳田国男と宮本常一の記述の違いである。柳田国男については、『遠野物語』が引用してあった。私は、実は、『遠野物語』を全部とおしてきちんと読んだことがない。何度かこころみたことはあるのだが、途中でやめてしまう。理由は、怖いからである。日本の近代に書かれた文章のなかで、心底から恐怖を感じる文章は『遠野物語』であると強く思っている。それもあって、吉本隆明の『共同幻想論』も読み通してはいないのである。まあ、この年になって思うことしては、『遠野物語』は読んでおきたいという気持ちがあるのだが。

宮本常一からは離れるが、汽車に乗ったら窓から外の風景を見よ……これは、私が、中学校のときに、担任の先生から教わったことである。人文地理学を勉強した社会科の先生だった。車窓から見える田圃の区画がどうなっているか、畦には何が植えてあるか観察することの意味、そのようなことを話したくれたことを憶えている。

宮本常一の民俗学を、今のことばでいいかえるとするならば、生活誌という用語が一番近いかもしれないと思う。

私は、昭和三〇年(一九五五)の生まれである。生まれたのは山陰の寒村である。育ちとしては、京都の宇治市になるが。そのせいもあるのだろうが、日本が高度経済成長に大きく変わっていく姿と、それにとりのこされつつも新しい生活様式に変わっていく農村の姿を、かろうじて体験的に記憶している世代ということになる。

ちなみに、生まれた家には、ガスも水道もなかった。台所にはかまどがあり、囲炉裏があり、井戸水だった。牛とニワトリを飼っていた屋根は藁葺きだった。無論、電話もない。まあ、電気はきていたのだが。

日本で普通に暮らしてきた多くの人びと……それをあるいは常民ということもできるかもしれないが……の生活の実態とその生活感覚の歴史、これこそ今かえりみるべきものであるにちがいない。

柳田国男の『明治大正史 世相編』も読みなおしておきたい本の一つである。『日本残酷物語』も平凡社ライブラリー版が出たときに買ってある。これも読みなおしてみたい。

2024年6月4日記

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