『光る君へ』「雪の舞うころ」 ― 2024-06-10
2024年6月10日 當山日出夫
『光る君へ』「雪の舞うころ」
まずひっかかるのは、まひろが、左大臣を帝の次にえらい人、と言っていたことである。おそらく、昔なら、不敬罪になりかねないと思うのだが。帝(天皇)という地位は絶対的なものであって、臣下である左大臣とは次元が違う。それを、同じモノサシのうえにおいて上下を比較するなど、もってのほかである……ということになる。
一〇世紀末の日本と宋との交易関係がどうであったか、このあたりは時代考証のことになるが、少なくともこの時代、中国の王朝と日本が対等な資格で貿易をするということはありえなかっただろう。あったとすれば、商人どうしの勝手な交易か、さもなくば、国がかかわるとなると朝貢という形式になるはずだと思っているが、どうだろうか。宋にとって、日本は東夷である。そのような関係を壊していったのが、日本の中世の倭寇であったり、大航海時代のスペイン、ポルトガルの動きということだと思っている。
この時代に、今日のような日本人とか宋人などという概念が明確にあったとは思えないが、これはドラマの中でのことである。
紫式部は、ウニを食べていたのだろうか。前回は、羊を食べていたが。
ドラマのなかでは金が出てきていた。銭は使っていなかった。このあたりは時代考証の結果ということなのだろう。
藤原行成が書いた『古今和歌集』がもし現存していたら、国宝どころのさわぎではない。まあ、行成が『古今和歌集』を筆写していたことは、ありうることである。
『枕草子』の成立も考えるべきところがある。現在、普通によまれている三巻本の章立ての順、つまり、「春はあけぼの」から順番に書いていった、ということではないのだろう。では、現在の章立てに編纂したのは、誰が何時ごろということになる。
この時代の婚姻関係を、現代語の「妻」「夫」というようなことばで言ってしまうのは、やはり抵抗を感じる。かといって、別のことばがあるわけではないのだが。
定子が女の子を産んだが、姫皇子(ひめみこ)と言っていた。決して「内親王」ではない。このようなことを思うのは、今から二〇年以上前のことになるが、天皇陛下の長女である愛子さまが御誕生になったとき、宮内庁がいきなり「内親王様」という表現をしたことを憶えているからである。きちんとした手続きを経なければ、「内親王」と称してはいけないはずなのである。
2024年6月9日記
『光る君へ』「雪の舞うころ」
まずひっかかるのは、まひろが、左大臣を帝の次にえらい人、と言っていたことである。おそらく、昔なら、不敬罪になりかねないと思うのだが。帝(天皇)という地位は絶対的なものであって、臣下である左大臣とは次元が違う。それを、同じモノサシのうえにおいて上下を比較するなど、もってのほかである……ということになる。
一〇世紀末の日本と宋との交易関係がどうであったか、このあたりは時代考証のことになるが、少なくともこの時代、中国の王朝と日本が対等な資格で貿易をするということはありえなかっただろう。あったとすれば、商人どうしの勝手な交易か、さもなくば、国がかかわるとなると朝貢という形式になるはずだと思っているが、どうだろうか。宋にとって、日本は東夷である。そのような関係を壊していったのが、日本の中世の倭寇であったり、大航海時代のスペイン、ポルトガルの動きということだと思っている。
この時代に、今日のような日本人とか宋人などという概念が明確にあったとは思えないが、これはドラマの中でのことである。
紫式部は、ウニを食べていたのだろうか。前回は、羊を食べていたが。
ドラマのなかでは金が出てきていた。銭は使っていなかった。このあたりは時代考証の結果ということなのだろう。
藤原行成が書いた『古今和歌集』がもし現存していたら、国宝どころのさわぎではない。まあ、行成が『古今和歌集』を筆写していたことは、ありうることである。
『枕草子』の成立も考えるべきところがある。現在、普通によまれている三巻本の章立ての順、つまり、「春はあけぼの」から順番に書いていった、ということではないのだろう。では、現在の章立てに編纂したのは、誰が何時ごろということになる。
この時代の婚姻関係を、現代語の「妻」「夫」というようなことばで言ってしまうのは、やはり抵抗を感じる。かといって、別のことばがあるわけではないのだが。
定子が女の子を産んだが、姫皇子(ひめみこ)と言っていた。決して「内親王」ではない。このようなことを思うのは、今から二〇年以上前のことになるが、天皇陛下の長女である愛子さまが御誕生になったとき、宮内庁がいきなり「内親王様」という表現をしたことを憶えているからである。きちんとした手続きを経なければ、「内親王」と称してはいけないはずなのである。
2024年6月9日記
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