「ルート66 アメリカの夢と絶望を運んだ道」2024-06-15

2024年6月15日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト ルート66 アメリカの夢と絶望を運んだ道

「ルート66」ということばには覚えがある。アメリカの道の名称としてではなく、おそらくテレビドラマの方だと思う。日本でも放送している。しかし、これを見たという記憶はない。憶えているとすれば、私より上の世代になるかもしれない。

そう特に目新しい内容の映像があったということではないのだが、面白かった。アメリカの二〇世紀の歴史を、ルート66という道路から見ていくという企画はいい。このような発想は、アメリカにはあるのだろうか、あるいは、NHKの独自の視点ということなのだろうか、このあたりが気になるところではある。

『怒りの葡萄』は、若いときに読んだ。近年になってから、新しい訳本で読みなおしてみた作品である。アメリカの二〇世紀のはじめごろの農民の生活が、克明に描かれている。農地を捨てた一家はカリフォルニアを目指すが、そこには落胆しかなかった。だが、それでも小説のラストは、未来への希望で終わっていた。

『イージーライダー』は、実は見ていない。名前は無論知っている。若いころに、流行った映画であるが、そのころ、カウンターカルチャーとはなんとなく距離をおいて生きていた。そのように生きる若者がいることは知っていたし、まったく共感するものがないではなかったが、自分の生き方としてそうありたいとは思わなかった。これは、微妙な世代の違いによるものだろう。

先週放送の「安保闘争」についても、同じように思うのだが、おそらく生まれた年代、大学に進学したかどうか、それはどこの大学だったか……ということで、各人が感じるところは、それぞれに違ってくるにちがいない。

ルート66沿線沿いの人びと、古くからのアメリカを支えてきたと自負する人びとになると思うが、その人びとが、トランプの熱狂的な支持者となっていることは、そうなのだろうと思う。単なるポピュリズムではなく、何故人びとが熱狂的に支持するのか、歴史の中で考えることが重要になるにちがいない。

ボニーとクライド、ウディ・ガスリー、ラスベガスから原爆実験を見ていたということ、戦時中の日系人の強制収容、このようなことも、ルート66という道路でまとめて見ると、まさにこの道が、アメリカの二〇世紀の歴史とふかくかかわっていたことを感じる。

2024年6月11日記

ザ・バックヤード「吉野ヶ里遺跡」2024-06-15

2024年6月15日 當山日出夫

ザ・バックヤード 吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡が発見されたころのことはなんとなく記憶にある。考古学に無関心であったということではないのだが、特に気にとめることもなくすぎてきてしまっている。

九州にこれほどの規模の村落(と言っていいのだろうか)が存在し続けてきたということを、歴史のなかでどう位置づけるのかということになるのだろう。別に邪馬台国論争にはさして興味はないのだが……その論争のあり方には関心があるけれど、どっちでもいいと思っている……しかし、九州に大規模な村落として人が住み続けてきたということは、これはこれと興味深い。

弥生時代の人たちがどんな暮らしをしていたかは、考古遺物とその科学的な分析からかなり分かるようになってきている。近年では、遺伝子の解析で、弥生時代の人びとがどこから来たのか、議論のあるところである。これは、日本語研究と直接むすびつくということはないが、日本語の起源を考えるときに、まったく無関心でいいということでもない。

面白かったのは、土器の作り方。実際に土器を作ってみて、その製法について考察するというのは、意味のあることだろうと思う。朝鮮半島で出土するのと同じような土器があるというのは、ある意味で当たり前のことかもしれない。弥生時代であっても、別に鎖国していたわけではない。国境などなかったのだから、自由に人は往来していただろう。そのとき、文化の伝搬もあったろうが、同時にいさかいもあったかと想像してみることになる。

2024年6月14日記