ザ・バックヤード「吉野ヶ里遺跡」2024-06-15

2024年6月15日 當山日出夫

ザ・バックヤード 吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡が発見されたころのことはなんとなく記憶にある。考古学に無関心であったということではないのだが、特に気にとめることもなくすぎてきてしまっている。

九州にこれほどの規模の村落(と言っていいのだろうか)が存在し続けてきたということを、歴史のなかでどう位置づけるのかということになるのだろう。別に邪馬台国論争にはさして興味はないのだが……その論争のあり方には関心があるけれど、どっちでもいいと思っている……しかし、九州に大規模な村落として人が住み続けてきたということは、これはこれと興味深い。

弥生時代の人たちがどんな暮らしをしていたかは、考古遺物とその科学的な分析からかなり分かるようになってきている。近年では、遺伝子の解析で、弥生時代の人びとがどこから来たのか、議論のあるところである。これは、日本語研究と直接むすびつくということはないが、日本語の起源を考えるときに、まったく無関心でいいということでもない。

面白かったのは、土器の作り方。実際に土器を作ってみて、その製法について考察するというのは、意味のあることだろうと思う。朝鮮半島で出土するのと同じような土器があるというのは、ある意味で当たり前のことかもしれない。弥生時代であっても、別に鎖国していたわけではない。国境などなかったのだから、自由に人は往来していただろう。そのとき、文化の伝搬もあったろうが、同時にいさかいもあったかと想像してみることになる。

2024年6月14日記

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