『光る君へ』「忘れえぬ人」2024-06-17

2024年6月17日 當山日出夫

『光る君へ』「忘れえぬ人」

この当時の日本と宋との間の交易については、歴史学において研究の進んでいる分野だろうから、おそらくはそれをふまえて作ってあるのだろう。宋の国は、日本を対等の国として貿易しようというのではなく、朝貢を求めている、というあたりが常識的なところかと思う。まあ、このような態度は、現在の中国にいたるまで同じであると言うことができるかと思うが。

番組では具体的に何を商品として取引しようとしているのか、ほとんど出てきていなかった。このあたり、もうちょっと具体的に描いてあるとドラマとしての説得力が増すと感じる。唐物としていったいどのようなものが日本に入ってきていたのか、また、それは一般庶民の生活とかかわるものであったのかどうか。(さらには民衆レベルでの東アジアの交易はどのようであったか、ということも問題になるかもしれない。)

一条天皇は、実際にはどれほどの権力があったのだろうか。

外交で問題が起こったとき、とりあえず時をかせぐというのは、今も昔も変わらないといえようか。

まひろに対して、宣孝は言っていた。自分の思う自分だけが自分ではない、と。このところは、おそらく将来まひろが紫式部として『源氏物語』を書くことになる伏線と受け取っていいのかもしれない。まひろは幼いころから嘘つきであった。作り話をするのが好きであった。その自分が、物語の創作ということに興味を持つようになるのは、どのような経緯があってのことなのか、それが『光る君へ』の一つのテーマであるにちがいない。

それにしても一条天皇は定子のことが忘れられない。二人の逢瀬のシーンは美しく描いてあった。「職御曹司」ということばは、昔、『枕草子』を読んでいて憶えた。

このドラマ、脇役であるが、安倍晴明と藤原実資が登場すると面白い。

2024年6月16日記

「越境する紅テント〜唐十郎の大冒険〜」2024-06-17

2024年6月17日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 越境する紅テント〜唐十郎の大冒険〜

録画してあったのをようやく見た。

唐十郎の名前は知っているし、紅テントのことも知ってはいる。ただ、わかいときから演劇にはほとんど関心のなかった私としては、その舞台を見たという経験はない。時々ニュースで話題になっていたのは憶えている。

番組を見ていて、「アングラ」ということばを久しぶりに目にした。カウンターカルチャーが、時代を風靡していたときがあった。ただ、若いころの私は、さほどカウンターカルチャーに傾倒することなくすごしてきたということがある。

その時代のなかにあった猥雑さ、これが一番重要なポイントかもしれない。今の時代、なにもかも綺麗に潔癖になりすぎてしまっているように感じる。それが、リベラルな価値観によるものであるとしても、あまりにも妥協を許さない潔癖主義に、私としては閉口するところがある。かつての日本、それはきたなく貧しかったかもしれないが、しかし猥雑さとしかいいようのない、活力のようなものがあった。もはや、老人としては、そのような時代の日本を懐かしく思い出すことになる。

上野の男娼の映像がNHKで映るのは珍しいかもしれない。たぶん、「映像の世紀」シリーズでも映ったことはないだろうと思う。上野が江戸時代から男娼のたむろする場所であったのは、よく知られていることだと思う。それも、現在ではどうなのだろうか。

新宿の歌舞伎町も、かつてはカウンターカルチャーの場だった。

唐十郎は韓国でも公演している。その当時は、朴正熙による軍事独裁政権の時代だった。そして、北朝鮮を礼讃する声もあった時代である。韓国では日本語の歌を歌うことも禁じられていた。このようなことも、もう多くの人びとにとって記憶の彼方のことになっているかもしれない。

2024年6月15日記