「ネアンデルタール人vs.ホモ・サピエンス」2024-06-20

2024年6月20日 當山日出夫

地球ドラマチック ネアンデルタール人vs.ホモ・サピエンス

たまたま番組表を見ていて目にとまったので録画しておいたのだが、面白かった。二〇二三年、フランスの制作。

現在の人類、ホモ・サピエンス以外の人類がかつて存在していたことは知られていることだと思うし、ホモ・サピエンスが、今から数万年前にアフリカを出て地球上にひろがっていったことも、これも知られていることである。日本列島における人間の歴史も、このような視点から考えなければならない。

ホモ・サピエンス以外の人類の代表がネアンデルタール人である。ヨーロッパに住んでいたが、絶滅した。その理由については、いろいろと言われている。

まず、現在のホモ・サピエンスの遺伝子のなかに、ネアンデルタール人との交配の形跡が見られるということ。このことは、ニュースで見たかと記憶するのだだ、その意味するところについては、あまり考えたことはなかった。

ネアンデルタール人は、劣っていたわけではない。かなり高度な社会性をもち、狩猟を行っていたらしい。それは、のこされた槍や巨大なゾウの骨の傷あとなどから推測できることになる。

その当時のヨーロッパ地域の気候環境に適応していたのは、ホモ・サピエンスではなく、ネアンデルタール人の方だった。体格は小さかったが、これは寒冷な気候に適応したものだった。遺伝子の解析によると肌の色は白かった。一方、アフリカで暮らしていたホモ・サピエンスの肌は黒かった。

なぜ、ネアンデルタール人は滅んだのか。この番組で語っていたのは、そもそも数が少なかったことに起因する、遺伝的多様性の問題、ということになるようだ。近親交配が多くなったということである。これは、ほんのわずかでも差異が生じれば、数千年のうちに、その種は絶滅することになる。これもまた仮説の一つということになるのだろうが。

それに対して、ホモ・サピエンスは、社会性を持っていた。言いかえると連帯することができた。また数が多かった。遺伝的多様性を維持できた。そのため、アフリカを出てから地球上に広がることができた。

ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの違いは、ほんのわずかである。だが、すこしばかりの運命によって、たまたまホモ・サピエンスが繁栄するということになった。

フランスの制作ということなのだろうが、ちょっとヨーロッパ中心主義(あるいは、そのことについて批判的)な視点を感じるところもある。これと同じような番組を日本で作ったらどうなるだろうか。ホモサピエンスは日本列島にどのようにしてやってきたのか、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、その後、という歴史と関連付けることになるかと思う。

ともあれ、ホモ・サピエンスの最大の特徴、すぐれた点は、連体し共感するところにあると結論づけているのには、納得できる。人間は見知らぬ人と連帯感を持ちうる。特に、言語や宗教などをともにする場合は、なおさらである。

番組では言っていなかったことだが……今、世界で起こっていることの大きな問題の一つは、連帯感からくる対立である。国家と国家との争い、戦争と言ってもいいだろう。そして、もうひとつは、少子化問題である。少子化は、遺伝的多様性を失わせる。これは、さしせまった問題ではないかもしれないが、未来においては大きな課題となりうることかもしれない。少子化問題は、ホモ・サピエンスの課題としては、遺伝的多様性の消失という危機を招くことになる。あるいは、地球上に数が増えすぎたホモ・サピエンスは、数が減少するぐらいがいいのかもしれないが。

2024年6月14日記

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