「マサヨばあちゃんの天地 早池峰のふもとに生きて」 ― 2024-06-22
2024年6月22日 當山日出夫
時をかけるテレビ マサヨばあちゃんの天地 早池峰のふもとに生きて
一九九一年の放送。日本では、ちょうど湾岸戦争のことで国内世論が紛糾していた時期である。(ちなみに、このころから、私の場合新聞の社説を読むようになった。普通の新聞記事以上に社説は面白い。別にそこに書いてあることに賛同するというのではないけれど。)
今から三〇年以上前にはこんな暮らしがあったのだな、という感慨である。「100分de名著」で、宮本常一の『忘れられた日本人』をあつかっているのだが、このマサヨばあちゃんも、あるい意味では「忘れられた日本人」と言ってもいいのかもしれない。
もう今からでは、このような生活に戻ることはできないだろう。番組に描かれたマサヨばあちゃんの生活は、たくましくあり美しくもある。また、素朴でもある。だが、決してみじめではない。苦労することは多くあるだろうが。
多くの日本の人びとが、このような暮らし方をしてきた、という意味では記録に残すべき価値はある。しかし、二一世紀になって四半世紀、今の多くの人びとの生活のスタイル、生活水準、教育、医療、福祉……このようなことを考えると、もとに戻ることはできない、しかし、それで幸せなのだろうか、という気になる。
このような暮らしが普通であった、ということから、今の我々は何を学び取ることができるだろうか。これは非常に大きな課題であると思う。
余計なことかもしれないが、ここでの暮らしは稲作をしていない。農民=稲作、というわけではないのである。
2024年6月18日記
時をかけるテレビ マサヨばあちゃんの天地 早池峰のふもとに生きて
一九九一年の放送。日本では、ちょうど湾岸戦争のことで国内世論が紛糾していた時期である。(ちなみに、このころから、私の場合新聞の社説を読むようになった。普通の新聞記事以上に社説は面白い。別にそこに書いてあることに賛同するというのではないけれど。)
今から三〇年以上前にはこんな暮らしがあったのだな、という感慨である。「100分de名著」で、宮本常一の『忘れられた日本人』をあつかっているのだが、このマサヨばあちゃんも、あるい意味では「忘れられた日本人」と言ってもいいのかもしれない。
もう今からでは、このような生活に戻ることはできないだろう。番組に描かれたマサヨばあちゃんの生活は、たくましくあり美しくもある。また、素朴でもある。だが、決してみじめではない。苦労することは多くあるだろうが。
多くの日本の人びとが、このような暮らし方をしてきた、という意味では記録に残すべき価値はある。しかし、二一世紀になって四半世紀、今の多くの人びとの生活のスタイル、生活水準、教育、医療、福祉……このようなことを考えると、もとに戻ることはできない、しかし、それで幸せなのだろうか、という気になる。
このような暮らしが普通であった、ということから、今の我々は何を学び取ることができるだろうか。これは非常に大きな課題であると思う。
余計なことかもしれないが、ここでの暮らしは稲作をしていない。農民=稲作、というわけではないのである。
2024年6月18日記
「試される“アメリカの民主主義”」 ― 2024-06-22
2024年6月22日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー
「試される“アメリカの民主主義” 前編:議会乱入事件 被告になった大統領」
「試される“アメリカの民主主義” 後編:議会乱入当日 大統領は何を」
二〇二四年、アメリカの制作。
録画しておいて、続けて見た。
アメリカのトランプ前大統領については、いろいろ考えるべきことがある。まず、なぜ、今のアメリカでトランプ支持が熱狂的に高まっているのか、このことについては、さまざまに解説されてきている。
番組は、二〇二一年のアメリカでの議会乱入事件について、トランプがどのようにかかわったのか、何をしたのか、あるいは、何をしなかったのか、ということを、議会の特別委員会での公聴会を軸に描いている。番組としては、トランプに批判的な立場から作ったものではあるが、なるほど、トランプとはこのような人物なのかと改めて思ったところがある。
ただ、見ていて思ったことしては、トランプのこととは別にアメリカの人びとの意識ということが印象に残った。
「法の支配」ということばをこのごろよく目にする。日本のニュースなどで、開かれたインド太平洋における法の支配、というような使われ方をする。
この番組で、何度か「法の支配」ということばが出てきていた。これは、言いかえれば憲法を遵守するということである。なるほどアメリカ人の意識する法の支配とはこういう感覚のことなのか、と思った。
言うまでもなくアメリカは、移民が建国した国である。独立するにあたって、憲法をさだめ、憲法のもとにあつまった人びとがアメリカという国を作ってきた。その精神的な伝統は、今につながっている。法の支配、それから、国家に対する忠誠心というものが、公聴会で語る人びとには、強く感じられた。
これは、おそらく今の日本にはないものである。日本の政治家は無論のこととして、一般の国民においても、法の支配と国家への忠誠心は希薄といっていい。なかには、護憲派という人もいるが、しかし、それは反体制、政府批判のためにその主張をしえいるのであって、法の支配という価値観を強く内面化しているものとは言いがたい。
また、公聴会で宣誓して証言するするということの重みを感じるシーンもあった。これは、日本の国会での証人喚問や参考人質疑などとは、まったく次元の違った緊張感を感じさせる。日本では国会での証人喚問で嘘をついても、さして倫理的に負い目を感じるということはないであろう。むしろ、省庁や企業や党のために、ウソをついてでも頑張ったという感じかもしれない。こういう政治にかかわる場面での意識の違い……国家のためにウソをついてはいけない……これは、民主主義とは、このような感覚を基本にしてなりたっているものかと、強く感じるところがある。
民主主義をなりたたせるための、人びとの政治や国家というものへの意識のあり方ということが、非常に印象にのこる番組であった。そのように編集して作ったということもあるのだろうが、しかし、このような価値観が人びとに広く共有されていなければ、作ることもできない。
2024年6月21日記
BS世界のドキュメンタリー
「試される“アメリカの民主主義” 前編:議会乱入事件 被告になった大統領」
「試される“アメリカの民主主義” 後編:議会乱入当日 大統領は何を」
二〇二四年、アメリカの制作。
録画しておいて、続けて見た。
アメリカのトランプ前大統領については、いろいろ考えるべきことがある。まず、なぜ、今のアメリカでトランプ支持が熱狂的に高まっているのか、このことについては、さまざまに解説されてきている。
番組は、二〇二一年のアメリカでの議会乱入事件について、トランプがどのようにかかわったのか、何をしたのか、あるいは、何をしなかったのか、ということを、議会の特別委員会での公聴会を軸に描いている。番組としては、トランプに批判的な立場から作ったものではあるが、なるほど、トランプとはこのような人物なのかと改めて思ったところがある。
ただ、見ていて思ったことしては、トランプのこととは別にアメリカの人びとの意識ということが印象に残った。
「法の支配」ということばをこのごろよく目にする。日本のニュースなどで、開かれたインド太平洋における法の支配、というような使われ方をする。
この番組で、何度か「法の支配」ということばが出てきていた。これは、言いかえれば憲法を遵守するということである。なるほどアメリカ人の意識する法の支配とはこういう感覚のことなのか、と思った。
言うまでもなくアメリカは、移民が建国した国である。独立するにあたって、憲法をさだめ、憲法のもとにあつまった人びとがアメリカという国を作ってきた。その精神的な伝統は、今につながっている。法の支配、それから、国家に対する忠誠心というものが、公聴会で語る人びとには、強く感じられた。
これは、おそらく今の日本にはないものである。日本の政治家は無論のこととして、一般の国民においても、法の支配と国家への忠誠心は希薄といっていい。なかには、護憲派という人もいるが、しかし、それは反体制、政府批判のためにその主張をしえいるのであって、法の支配という価値観を強く内面化しているものとは言いがたい。
また、公聴会で宣誓して証言するするということの重みを感じるシーンもあった。これは、日本の国会での証人喚問や参考人質疑などとは、まったく次元の違った緊張感を感じさせる。日本では国会での証人喚問で嘘をついても、さして倫理的に負い目を感じるということはないであろう。むしろ、省庁や企業や党のために、ウソをついてでも頑張ったという感じかもしれない。こういう政治にかかわる場面での意識の違い……国家のためにウソをついてはいけない……これは、民主主義とは、このような感覚を基本にしてなりたっているものかと、強く感じるところがある。
民主主義をなりたたせるための、人びとの政治や国家というものへの意識のあり方ということが、非常に印象にのこる番組であった。そのように編集して作ったということもあるのだろうが、しかし、このような価値観が人びとに広く共有されていなければ、作ることもできない。
2024年6月21日記
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