『光る君へ』「決意」2024-06-24

2024年6月24日 當山日出夫

『光る君へ』「決意」

見ていて思ったことなど、思いつくままに書いておく。

まひろは『白氏文集』を読んでいた。前にも書いたが、この時代、『白氏文集』はその書名は『文集』であった。金沢文庫本白氏文集を見るとわかる。まひろが読んでいたのは、訓点がほどこされていなかったテキストである。それをまひろは訓読していた。また、書物の形態も巻子本ではなかった。このあたりのことは、平安時代の中頃のこととして、どうだったろうかと思うのだが。

平安時代の貴族が『白氏文集』から何を読みとっていたか、いろいろと研究の蓄積があり議論のあるところである。その一つとして「諷喩」がある。時の政治への批判を主題にすることである。父親の為時も、「諷喩」ということは知っていたにちがいないが、越前の国司として、特に政治のあり方を改めることはできなかったようだ。

平安京の都を造営するとき、かなり無理をして作ったところがある。特に鴨川についてである。鴨川が現在のような姿になったのは、昭和の戦前に洪水があって、大規模な治水工事をほどこした結果である。それ以前は、まさしく河原が広がっていた。そこは、都人からすれば、異界でもあった。

これまで見てきて思うのだが、まひろなどは外出するとき、足は今でいうサンダルである。これで、越前まで旅をして、また、京の都の中を歩き回っていたのだろうか。おそらく残された絵画資料などから考証してそうなったのだろうと思うのだが、これで本当に大丈夫だったのだろうか、気になってしかたがない。といって、わらじばきというのも、どうかなと思う。

越前で雪がふっていても、まひろは靴下(というべきだろうか、「しとうず」という)をはいていなかった。さぞかし寒かったろうと思うけれど、実際はどうだったのだろうか。

『枕草子』は、どのような事情で成立し、そして、現在に伝わるような形態で編集されたのか……それも幾種類かある……このあたりは、解明されたとはいえないと思っているが、おそらくはドラマで描かれていたようなことが背景にあって、王朝貴族の間に広まったと考えても大きくは間違っていないだろう。

ドラマにおけることばの問題として気になるのは、越前における庶民クラスの人たちのことば。これまでの大河ドラマなどでは、戦国時代のものだと、武将クラスは標準的なことばを使って、一般庶民や百姓などに、その地方の方言を使わせるという脚本、演出であったことが多い。平安時代の庶民のことばがどんなだったか、資料がないから、貴族階層と同じことばづかいでもいいようなものかもしれない。だが、『源氏物語』など読むと、須磨・明石あたりでは、庶民クラスのことば貴族階層のことばと違っていることが書かれている。これは『源氏物語』におけることばの位相、役割語ということになる。

この回もオウムの声があった。

やはり安倍晴明と藤原実資が出てくると面白くなる。

来週は、髭黒大将の北の方の話しになるようだが。

2024年6月23日記