「宮本常一“忘れられた日本人” (4)「世間師」の思想」2024-06-27

2024年6月27日 當山日出夫

100分de名著 宮本常一“忘れられた日本人” (4)「世間師」の思想

一般にイメージされることとしての、百姓=農民=定住、という枠では考えることのできないのが、実際の人びとの生活であった、ということになる。さらにいえば、農民がすべて米作をしていたわけではない。

これも歴史人口学の観点から見るならば、人間の移動と家族形態ということになるのだろう。また、折口信夫のことばでいえば「まれびと」ということにもつながるのかもしれない。さらには、網野善彦の研究とも関連する。

ともあれ、村から村へと移動する人びとがいたことは確かなことであり。日本列島に住んできた人びとは、決して定住者ばかりではなかったことになる。これも、人間の歴史ということとしては、男性、女性の移動が必要であったということにもなる。遺伝的な多様性を確保するためである。狭い村の中で婚姻を繰り返すことはできない。

では、実際にどのように移動していたのか、ということになると、これは不明な点が多いということなのかとも思う。

この「100分de名著」のなかでは言及することはなかったが、西日本と東日本の家族形態の違いとか、現在の感覚からすれば非常に自由であったというべき性的な規範意識とか、『忘れられた日本人』を読むと興味深いところが多々ある。

日本に住む人びとの生活様式が大きく変わったのは、戦後の高度経済成長期である。私は、かろうじてそれ以前の暮らしの感覚を記憶している。その前に大きく変わったのは、おそらく明治維新の近代化によってであろう。それ以前、江戸時代より昔の人びとがどんな生活をしていたのか、社会的経済的には無論のこと、文化的な面、生活感覚については、分かっていないことが多くある。

一方で、昔の生活は封建的家父長制社会であった、と一方的に断罪するような言説がいまだに多く見られる。特に、リベラルというべき立場からの歴史観がそうであると言ってもいいかもしれない。そのような歴史観がどのようにして形成されてきたのか、ということもまた興味深いことではある。

宮本常一の残したものは、どのような政治的立場、歴史観にたって考えるにせよ、これから再度、再々度、ふり返ってみる必要があると強く思う。

2024年6月25日記