『光る君へ』「宿縁の命」2024-07-15

2024年7月15日 當山日出夫

『光る君へ』「宿縁の命」

う~ん、これまで大弐三位の父親は、藤原宣孝だと思ってきたのだが、はたして実際はどうだったのか。

まあ、平安時代の貴族のことである。現代の我々のような、厳格な一夫一婦制のもとでの、夫婦関係、親子関係を考えるべきではない、ということになるのだろう。そういえば、『源氏物語』でも、光源氏は結構いろんな女性に手を出している。いわゆる「いろごのみ」である。この場合、光源氏のいいところは、相手にしたどの女性についても、その後の面倒をきちんと見ていることである。この意味では、宣孝は光源氏に重なるところがある。

このドラマをこれまで見てきて、なるほどなあと思っているのが、詮子である。詮子と一条天皇のシーンは迫力があった。このような女性がいて、一条天皇がいて、ということになる。そして、これからの展開としては、彰子がその後の朝廷に君臨することになる、ということでいいのかなと思う。まだ、今の段階で彰子はその片鱗も見せていないが。

彰子の入内のシーンで牛車が映っていたが、これまでドラマのなかで牛車はほとんど登場してきていない。花山院が矢を射かけられる場面では出てきていた。牛車というのは、平安時代の貴族の生活を考えるとなくてはならないものだと思っているのだが、これはドラマ制作の予算の関係だろうか、ほとんど出てこない。賀茂の祭りのときの、牛車の争い……『源氏物語』に描かれる……など期待したところだが、難しいのかもしれない。

それにしても、まひろの家についてかねてから思っているのだが、あんなに水のすぐ上に建物を建てていて、大丈夫なのだろうか。前回の鴨川の洪水のときには、被害にあった。それもあるが、普段からあんなに湿気たところでは、建物がもたないと感じざるをえないのだけれど。

それから、彰子のところで、「閨房」と何度も言いすぎのように思うが、どうなのだろうか。

猫が久しぶりに登場してきていた。親(母親)の影響だろうか。入内するとき、猫は連れていけたのか。

出産のとき、定子の場合とまひろの場合とで、読経などの格差があるのは、そうかなと納得するところがあった。まあ、どちらも無事に産まれてよかったが。

出てくるだろうかと思って見ているのが、「六の宮の姫君」。芥川龍之介が小説に書いたので有名だが、もとの話しは、『今昔物語集』にある。頼った男に捨てられ哀れな最期をむかえることになる女性の話が、このドラマのなかに登場してきていてもいいように思う。

藤原実資は何事においても先例主義である。一方、安倍晴明は先例がなければ作ってしまえばいいという。このふたりが登場すると、このドラマは面白い。

2024年7月14日記