「“新約聖書 福音書” (2)魂の糧としてのコトバ」2024-08-17

2024年8月17日 當山日出夫

100分de名著 “新約聖書 福音書” (2)魂の糧としてのコトバ

コトバということばは、番組でも少し紹介があったが、井筒俊彦の使い始めたことばである。毎年、夏休みになると、集中的に井筒俊彦の著作の主なものを読み返すということをしていたのだが、この二~三年は、ちょっと遠ざかっている。

私が慶應義塾大学文学部の学生だったころ、もう半世紀ほど昔のことになるが、そのころは、まだ井筒俊彦のことを語る先生がいた時代でもある。鈴木孝夫先生であり、池田彌三郎先生である。イランで革命が起こって、日本に帰ってきてから、『思想』を主な舞台として次々と著作を発表していった。その多くは読んできた。無論、新しい「全集」(慶應義塾大学出版会)は買ってある。

ところで、この番組を見て思ったこととしては、若松英輔がコトバという概念で説明したくなるのは理解できるつもりだが、しかし、ちょっとその範囲を広げすぎではないだろうか。井筒俊彦の言ったコトバは、言語アラヤ識にかかわる、人間の精神の非常に深いところで、人間が世界を認識する、そのもっとも原初的なこころのはたらきについて言ったことだと理解している。それを、そのまま神におきかえて理解していいだろうか。

井筒俊彦の「東洋哲学」の範囲に、古代のキリスト教を含めて考えてもいいのかもしれない。イスラムの神について考えるならば、同じ神として、キリスト教でいう神をふくめることも、可能ではある。

コトバは、具体的には言葉として発せられることになる。言葉によるコミュニケーションにおいて、コトバを感じとるということは、そう簡単なことではない。このあたりの説明は、すこし簡易にすぎたかなと感じるところがある。

2024年8月16日記