「封じられた“第四の被曝” -なぜ夫は死んだのか-」 ― 2024-10-01
2024年10月1日 當山日出夫
NHKスペシャル 封じられた“第四の被曝” -なぜ夫は死んだのか-
おそらく被曝による死であったと考えていいのだろう。この結論に対して、特に異論をさしはさもうとは思わない。
よくできた番組だったと思うのだが、番組の全体を見て、いくつか疑問に思うところはある。
では、なぜ、そのような放射線をあびることになったのか。アメリカによる水爆実験が原因であるとして、その時点で船で計測した線量とは矛盾することになる。船での測定が正しかったとして、それならば、なぜそのような被曝ということになったのか、その理由について語っていない。船での計測が間違っていたのだろうか。そこは、推測するしかないことになる。
言うまでもないが、東西冷戦の時代である。核開発をしていたのは、アメリカだけではなかった。だが、この番組のなかでは、当時の国際情勢ということについて、具体的にはまったく言及することがなかった。ソ連がやっているのだから、アメリカもやっていいとは言わないが、一方的にアメリカだけが悪いという視点は、いただけない。まあ、このような議論は、その後、一九八〇年代になってからも、吉本隆明の「反核異論」をめぐる論争として続くことになる。
その当時においても、急性白血病が被曝によるものと診断したことになるのだと思うが(それをどう認めるかどうかは別にして)、その根拠となった症例とかデータは、どうやって調べたものなのだろうか。これは、放射線が人体に与える影響についてのデータがなければ、診断できないことのはずである。ここについての、その当時までの科学史、医学史の観点からの説明が欠けていた。
以上のようなことを思ってみる。
放射線については、許容量をきちんと科学的根拠に基づいて定めて、それを意識しながら生活していかなければならないのが、今の生活であることはたしかである。医療用まで否定することはできないし、この点では、もはや後戻りできないところにいることは確かである。
2024年9月17日記
NHKスペシャル 封じられた“第四の被曝” -なぜ夫は死んだのか-
おそらく被曝による死であったと考えていいのだろう。この結論に対して、特に異論をさしはさもうとは思わない。
よくできた番組だったと思うのだが、番組の全体を見て、いくつか疑問に思うところはある。
では、なぜ、そのような放射線をあびることになったのか。アメリカによる水爆実験が原因であるとして、その時点で船で計測した線量とは矛盾することになる。船での測定が正しかったとして、それならば、なぜそのような被曝ということになったのか、その理由について語っていない。船での計測が間違っていたのだろうか。そこは、推測するしかないことになる。
言うまでもないが、東西冷戦の時代である。核開発をしていたのは、アメリカだけではなかった。だが、この番組のなかでは、当時の国際情勢ということについて、具体的にはまったく言及することがなかった。ソ連がやっているのだから、アメリカもやっていいとは言わないが、一方的にアメリカだけが悪いという視点は、いただけない。まあ、このような議論は、その後、一九八〇年代になってからも、吉本隆明の「反核異論」をめぐる論争として続くことになる。
その当時においても、急性白血病が被曝によるものと診断したことになるのだと思うが(それをどう認めるかどうかは別にして)、その根拠となった症例とかデータは、どうやって調べたものなのだろうか。これは、放射線が人体に与える影響についてのデータがなければ、診断できないことのはずである。ここについての、その当時までの科学史、医学史の観点からの説明が欠けていた。
以上のようなことを思ってみる。
放射線については、許容量をきちんと科学的根拠に基づいて定めて、それを意識しながら生活していかなければならないのが、今の生活であることはたしかである。医療用まで否定することはできないし、この点では、もはや後戻りできないところにいることは確かである。
2024年9月17日記
「イトマン事件 バブルに踊った男たち」 ― 2024-10-01
2024年10月1日 當山日出夫
アナザーストーリーズ イトマン事件 バブルに踊った男たち
イトマン事件というのがあったなあ、となんとなく思い出す。バブルのころを象徴する事件ということになる。許永中という名前をひさしぶりに見た。
基本的に経済のことには、ほとんど関心がない生活を送ってきている。バブルの時期は、まあ、あの時代はあんなだったなあ、と思い出すことになる。このころ、会社の業績がいいといっても、本業でもうけるというのではなく、株取引などで利益を出している、というような時代だった。
もう、この時代のことを感覚として記憶している人間も少なくなったかもしれない。おそらく、少なくとも六〇才以上の人でないと、記憶にないかと思う。
番組の最後で、イトマンの弁護士だった男性が言っていた……世界中で財だけが価値のあるようになっているが、これは問題である。(日本の)バブルのときのことを憶えておく必要がある……こんな意味のことだった。世界で、経済的格差の拡大、富の偏在が言われるようになっている。二一世紀の世界は、まともな時代といえるのだろうか。
古めかしい言い方にはなるが、額に汗して、手を使って働く、それによって生活していく、こういう素朴な労働観が崩壊したとき、世の中全体としてどうなるだろうか。日本においてもそうであると思うが、中国や韓国などではどうなのだろうか。これまでの経済成長をささえてきた人たちが、労働が報われないと感じ、社会のなかで忘れ去られる、置き去りにされている、と感じるようになると、社会の基盤そのものが危ないかもしれない。
このような意味では、今一度、バブルのときの感覚がどんなであったか思い起こしてみる価値はあると思う。
どうでもいいことかもしれないが、イトマンの名前は今では、イトマンスイミングスクールとして残っていることになる。これは、うちの近くにもある。
2024年9月24日記
アナザーストーリーズ イトマン事件 バブルに踊った男たち
イトマン事件というのがあったなあ、となんとなく思い出す。バブルのころを象徴する事件ということになる。許永中という名前をひさしぶりに見た。
基本的に経済のことには、ほとんど関心がない生活を送ってきている。バブルの時期は、まあ、あの時代はあんなだったなあ、と思い出すことになる。このころ、会社の業績がいいといっても、本業でもうけるというのではなく、株取引などで利益を出している、というような時代だった。
もう、この時代のことを感覚として記憶している人間も少なくなったかもしれない。おそらく、少なくとも六〇才以上の人でないと、記憶にないかと思う。
番組の最後で、イトマンの弁護士だった男性が言っていた……世界中で財だけが価値のあるようになっているが、これは問題である。(日本の)バブルのときのことを憶えておく必要がある……こんな意味のことだった。世界で、経済的格差の拡大、富の偏在が言われるようになっている。二一世紀の世界は、まともな時代といえるのだろうか。
古めかしい言い方にはなるが、額に汗して、手を使って働く、それによって生活していく、こういう素朴な労働観が崩壊したとき、世の中全体としてどうなるだろうか。日本においてもそうであると思うが、中国や韓国などではどうなのだろうか。これまでの経済成長をささえてきた人たちが、労働が報われないと感じ、社会のなかで忘れ去られる、置き去りにされている、と感じるようになると、社会の基盤そのものが危ないかもしれない。
このような意味では、今一度、バブルのときの感覚がどんなであったか思い起こしてみる価値はあると思う。
どうでもいいことかもしれないが、イトマンの名前は今では、イトマンスイミングスクールとして残っていることになる。これは、うちの近くにもある。
2024年9月24日記
「長野 伊那谷の産直市場」 ― 2024-10-02
2024年10月2日 當山日出夫
ドキュメント72時間 長野 伊那谷の産直市場
こういう生活もいいなあ、と感じさせる。
そのように作ってあるからなのであって、実際の生活は、時として厳しいこともあるだろう。自然に恵まれているとはいっても、自然環境は厳しいかもしれない。冬は寒いだろう。
また、地方の農山村ならではの、人間関係が嫌いという人もいるにちがいない。
というようなことを頭の片隅で思ってはみるのだが、しかし、農業を基本として生きる人間の生活の原点のようなものを感じることはたしかである。(この回は、おそらく、今年のベストテンにははいるかなと思う。)
このような生活に希望を感じて、移り住んでみたい、生活してみたい、という人が増えてくれればいいのかと思う。(現実には、過疎高齢化の地域になるだろうと思ってはみるけれど。)
売っていたもののなかに、熊の肉の缶詰とかあったが、これは食べてみたい気がする。孔雀の羽とかは、いったい何に使うのだろうか。
おばあさんが、トマトと桃(だったかな)を買って帰って、まず仏壇にそなえて、それから冷やして食べると言っていた。まず仏壇にそなえて、ということは、もう日本で失われつつある風習かと感じる。
青春18切符がまだあることは知っていたが、これを高校生が使って夏休みに旅しているというのは、こういうのもいいなあと思う。
2024年9月30日記
ドキュメント72時間 長野 伊那谷の産直市場
こういう生活もいいなあ、と感じさせる。
そのように作ってあるからなのであって、実際の生活は、時として厳しいこともあるだろう。自然に恵まれているとはいっても、自然環境は厳しいかもしれない。冬は寒いだろう。
また、地方の農山村ならではの、人間関係が嫌いという人もいるにちがいない。
というようなことを頭の片隅で思ってはみるのだが、しかし、農業を基本として生きる人間の生活の原点のようなものを感じることはたしかである。(この回は、おそらく、今年のベストテンにははいるかなと思う。)
このような生活に希望を感じて、移り住んでみたい、生活してみたい、という人が増えてくれればいいのかと思う。(現実には、過疎高齢化の地域になるだろうと思ってはみるけれど。)
売っていたもののなかに、熊の肉の缶詰とかあったが、これは食べてみたい気がする。孔雀の羽とかは、いったい何に使うのだろうか。
おばあさんが、トマトと桃(だったかな)を買って帰って、まず仏壇にそなえて、それから冷やして食べると言っていた。まず仏壇にそなえて、ということは、もう日本で失われつつある風習かと感じる。
青春18切符がまだあることは知っていたが、これを高校生が使って夏休みに旅しているというのは、こういうのもいいなあと思う。
2024年9月30日記
「どうなるアジア ~安全保障の”今”とアメリカ」 ― 2024-10-02
2024年10月2日 當山日出夫
GLOBAL AGENDA 「どうなるアジア ~安全保障の”今”とアメリカ」
番組表でたまたま見つけたので録画しておいて見た。NHKの国際放送、元は英語版の日本語版である。NHKのHPを探してみたが、この番組についてのものは無いようだった。
この番組の内容を、そのまま普通に総合テレビなどでは放送できないだろうなあ、と思うところがある。国政政治、軍事の専門家が、冷静に現在の東アジアの安全保障のいろんな問題について、率直に語っている。まあ、かなりアメリカよりであり、中国と北朝鮮を敵視しているということはある。中国よりの立場をとる人たちにとっては、このような番組は受け入れがたいものかもしえない。だが、これは、事実として現在の国際情勢を見れば、喫緊の課題として、中国と北朝鮮が脅威であることは明白であるので(と、私は思っているが)、この認識のもとに、ではどうすべきかを考えることは、意味がある。
沖縄の米軍基地のことについても、負担しているのはアメリカであり、その目的のために若い兵士の命を差し出すことになる……このような意見は、表だって日本のマスコミでは出てこないだろう。いわれるのは、アメリカ軍は日本を守るためにいるのではない、という主張が強い。
また、日本と同じようにアメリカ軍が駐留している韓国においても、トラブルはおきているが、そこは韓国政府がうまく対処している、ということであった。本当はどうかという気もするが。しかし、在韓米軍と韓国の人びとのとの関係については、日本ではあまり報じられないことも確かである。
韓国における核武装論ということも、議論としてはきちんと論じなければならないことである。核武装してこそ、一人前の国として認められる、というのは、確かに国際政治においては、一つのあり方である。(もちろん日本においても議論は必要であると思う。その実現の可能性はきわめて否定的だと思うが、議論そのものはあっていいと思う。議論したうえで、否定すべきものは否定しなければならない。)
少なくとも、東アジア……日本、韓国、フィリピンにおけるアメリカ軍の存在を抜きにして、中国と台湾の問題も、朝鮮半島の問題も考えることはできない、というのは事実として認めなければならないだろう。そのうえで、その軍事力の規模や運用方針、また、経費の負担の割合、ということが課題になる。必要なことは、このような問題について、外交問題としてトラブルになって、中国や北朝鮮につけいる隙を与えないことではないかと、思う。
軍事力はあくまでも抑止力としてある、外交による対話のチャンネルを多く作っていくことが必要である、最終的には、このような結論になる。このことに、異論はない。
2024年9月27日記
GLOBAL AGENDA 「どうなるアジア ~安全保障の”今”とアメリカ」
番組表でたまたま見つけたので録画しておいて見た。NHKの国際放送、元は英語版の日本語版である。NHKのHPを探してみたが、この番組についてのものは無いようだった。
この番組の内容を、そのまま普通に総合テレビなどでは放送できないだろうなあ、と思うところがある。国政政治、軍事の専門家が、冷静に現在の東アジアの安全保障のいろんな問題について、率直に語っている。まあ、かなりアメリカよりであり、中国と北朝鮮を敵視しているということはある。中国よりの立場をとる人たちにとっては、このような番組は受け入れがたいものかもしえない。だが、これは、事実として現在の国際情勢を見れば、喫緊の課題として、中国と北朝鮮が脅威であることは明白であるので(と、私は思っているが)、この認識のもとに、ではどうすべきかを考えることは、意味がある。
沖縄の米軍基地のことについても、負担しているのはアメリカであり、その目的のために若い兵士の命を差し出すことになる……このような意見は、表だって日本のマスコミでは出てこないだろう。いわれるのは、アメリカ軍は日本を守るためにいるのではない、という主張が強い。
また、日本と同じようにアメリカ軍が駐留している韓国においても、トラブルはおきているが、そこは韓国政府がうまく対処している、ということであった。本当はどうかという気もするが。しかし、在韓米軍と韓国の人びとのとの関係については、日本ではあまり報じられないことも確かである。
韓国における核武装論ということも、議論としてはきちんと論じなければならないことである。核武装してこそ、一人前の国として認められる、というのは、確かに国際政治においては、一つのあり方である。(もちろん日本においても議論は必要であると思う。その実現の可能性はきわめて否定的だと思うが、議論そのものはあっていいと思う。議論したうえで、否定すべきものは否定しなければならない。)
少なくとも、東アジア……日本、韓国、フィリピンにおけるアメリカ軍の存在を抜きにして、中国と台湾の問題も、朝鮮半島の問題も考えることはできない、というのは事実として認めなければならないだろう。そのうえで、その軍事力の規模や運用方針、また、経費の負担の割合、ということが課題になる。必要なことは、このような問題について、外交問題としてトラブルになって、中国や北朝鮮につけいる隙を与えないことではないかと、思う。
軍事力はあくまでも抑止力としてある、外交による対話のチャンネルを多く作っていくことが必要である、最終的には、このような結論になる。このことに、異論はない。
2024年9月27日記
「調査報道 新世紀 File6 中国・流出文書を追う」 ― 2024-10-03
2024年10月3日 當山日出夫
NHKスペシャル 調査報道 新世紀 File6 中国・流出文書を追う
「i-SOON」文書のことは、日本でほとんどニュースにならなかったように思うが、どうだっただろうか。
中国で国家ぐるみで、サイバー攻撃をしかけてきているというようなことは、今では当たり前のこととして認識されていると思う。無論、そのターゲットには日本も含まれることになるが、どの程度の規模で行われているのか、被害があったとして、どんな情報が取られてしまったのか……まあ、ここまで踏み込めば、重要な国家機密になるから、そう簡単に語れることではないにちがいない。
中国に、新興のサイバーセキュリティ会社(というか、ハッキングの会社と言った方がいいかもしれないが)がたくさんあって、そこに政府が大きく関与しているというのは、今さら聞いてもさほど驚くことでもない。
SNSにおける、偽情報の拡散にかかわっているとしても、まあ、そんなもんだろうと思うぐらいである。中国では、国内においてSNSは、厳しく当局の監視下にある。ということを多くの人びとが知って使っているので、不適切な情報は削除されて、流れてくる情報は正しいものだ、と妙なバイアスのかかった見方をしてしまう危険性がある。これも、裏からみれば、中国政府にとって都合のいい情報は、それがたとえデマであったも放置してある、ということにちがいないが。
興味深かったのは、台湾の例。インドからの労働者を受け入れると犯罪が多発するから反対、という行動を台湾の若い女性たちがおこしたのは、中国が、台湾とインドとのつながりを分断しようという策略であった……さもありなんとは思う。それだけ、中国は、台湾が世界のなかでどうふるまうかを、神経をとがらせているということなのであろう。
ハイブリッド戦争が、認知戦をふくむものとするならば、いわゆる台湾有事はもうはじまっている。そのさなかにあるといっていだろう。ただ、現実にミサイルが飛んでいないだけのことである。
なお、中国のネット監視が海外にまでおよんでいることは、NHKの以下の記事でも詳しく書かれている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241002/k10014588431000.html
2024年9月30日記
NHKスペシャル 調査報道 新世紀 File6 中国・流出文書を追う
「i-SOON」文書のことは、日本でほとんどニュースにならなかったように思うが、どうだっただろうか。
中国で国家ぐるみで、サイバー攻撃をしかけてきているというようなことは、今では当たり前のこととして認識されていると思う。無論、そのターゲットには日本も含まれることになるが、どの程度の規模で行われているのか、被害があったとして、どんな情報が取られてしまったのか……まあ、ここまで踏み込めば、重要な国家機密になるから、そう簡単に語れることではないにちがいない。
中国に、新興のサイバーセキュリティ会社(というか、ハッキングの会社と言った方がいいかもしれないが)がたくさんあって、そこに政府が大きく関与しているというのは、今さら聞いてもさほど驚くことでもない。
SNSにおける、偽情報の拡散にかかわっているとしても、まあ、そんなもんだろうと思うぐらいである。中国では、国内においてSNSは、厳しく当局の監視下にある。ということを多くの人びとが知って使っているので、不適切な情報は削除されて、流れてくる情報は正しいものだ、と妙なバイアスのかかった見方をしてしまう危険性がある。これも、裏からみれば、中国政府にとって都合のいい情報は、それがたとえデマであったも放置してある、ということにちがいないが。
興味深かったのは、台湾の例。インドからの労働者を受け入れると犯罪が多発するから反対、という行動を台湾の若い女性たちがおこしたのは、中国が、台湾とインドとのつながりを分断しようという策略であった……さもありなんとは思う。それだけ、中国は、台湾が世界のなかでどうふるまうかを、神経をとがらせているということなのであろう。
ハイブリッド戦争が、認知戦をふくむものとするならば、いわゆる台湾有事はもうはじまっている。そのさなかにあるといっていだろう。ただ、現実にミサイルが飛んでいないだけのことである。
なお、中国のネット監視が海外にまでおよんでいることは、NHKの以下の記事でも詳しく書かれている。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241002/k10014588431000.html
2024年9月30日記
「ネット犯罪から若者を守れ! 〜韓国 警察の苦闘〜」 ― 2024-10-03
2024年10月3日 當山日出夫
BSスペシャル ネット犯罪から若者を守れ! 〜韓国 警察の苦闘〜
ここしばらく見ていての感想であるが、NHKはBSスペシャルで、非常に興味深い番組を作る。
韓国についての報道は、普通のニュースなどでは、どうしても偏りがあると感じるところがある。左翼的メディアは、そのマイナス面を報じようとしないし、逆に、右翼的なメディアは、悪いところを強調しようとする。普通に日本から見て等身大の隣国として、そこに生活する人びとの内情こそが、報道されるべきだと思うが、なかなか難しいようだ。まあ、似たような偏りは、中国とか台湾、あるいは、アメリカなどについても、なんらかの形で感じるところではあるが。
韓国における犯罪の事情というのは、とても興味深い。
サイバー犯罪、オンラインギャンブル、麻薬、ということは、日本と比べてどうだろうか。
韓国でも若者に麻薬が広まっていることは、普通の日本のニュースでは報じられることはほとんどないようなのだが、事態はかなり深刻なようだ。オンラインギャンブルも、日本でも問題になっていることではあるが、韓国においても、かなり重大な問題になっていることが分かる。
このような犯罪にテレグラムが使われることは、これも日本と同じである。このテレグラムのデータを、消去された後で、さかのぼって見ることができる……このことは、この番組で知ったことである。まあ、これは、アカウントを特定したうえで、その利用履歴をすいあげて残すということなのである。このような、テレグラムのデータの追跡や解析については、日本の捜査機関ではどうなのだろう。番組では、これを開発したのは、ベンチャー企業ということだったが、こういう技術は、日本の警察や企業でも導入することは可能だろう。
ところで、若者が犯罪に巻きこまれているとして、そこで動く資金はどうなっているのだろうか。韓国の若者が、そんなにお金を持っているとは思えない。巨額の儲けを出しているというのは、そこにお金をつぎ込む人がいるからである。韓国では、どういう人が、オンラインギャンブルにお金を使っているのだろうか。
ここでは韓国のことであったが、これは日本のことであってもおかしくない。若者をネット犯罪からまもる取り組みの必要性を感じる。実際は、どうなっているのだろうか。
2024年10月1日記
BSスペシャル ネット犯罪から若者を守れ! 〜韓国 警察の苦闘〜
ここしばらく見ていての感想であるが、NHKはBSスペシャルで、非常に興味深い番組を作る。
韓国についての報道は、普通のニュースなどでは、どうしても偏りがあると感じるところがある。左翼的メディアは、そのマイナス面を報じようとしないし、逆に、右翼的なメディアは、悪いところを強調しようとする。普通に日本から見て等身大の隣国として、そこに生活する人びとの内情こそが、報道されるべきだと思うが、なかなか難しいようだ。まあ、似たような偏りは、中国とか台湾、あるいは、アメリカなどについても、なんらかの形で感じるところではあるが。
韓国における犯罪の事情というのは、とても興味深い。
サイバー犯罪、オンラインギャンブル、麻薬、ということは、日本と比べてどうだろうか。
韓国でも若者に麻薬が広まっていることは、普通の日本のニュースでは報じられることはほとんどないようなのだが、事態はかなり深刻なようだ。オンラインギャンブルも、日本でも問題になっていることではあるが、韓国においても、かなり重大な問題になっていることが分かる。
このような犯罪にテレグラムが使われることは、これも日本と同じである。このテレグラムのデータを、消去された後で、さかのぼって見ることができる……このことは、この番組で知ったことである。まあ、これは、アカウントを特定したうえで、その利用履歴をすいあげて残すということなのである。このような、テレグラムのデータの追跡や解析については、日本の捜査機関ではどうなのだろう。番組では、これを開発したのは、ベンチャー企業ということだったが、こういう技術は、日本の警察や企業でも導入することは可能だろう。
ところで、若者が犯罪に巻きこまれているとして、そこで動く資金はどうなっているのだろうか。韓国の若者が、そんなにお金を持っているとは思えない。巨額の儲けを出しているというのは、そこにお金をつぎ込む人がいるからである。韓国では、どういう人が、オンラインギャンブルにお金を使っているのだろうか。
ここでは韓国のことであったが、これは日本のことであってもおかしくない。若者をネット犯罪からまもる取り組みの必要性を感じる。実際は、どうなっているのだろうか。
2024年10月1日記
「それぞれの、園長さん。」 ― 2024-10-04
2024年10月4日 當山日出夫
ウチのどうぶつえん それぞれの、園長さん。
現在、動物園とか水族館の役割は、大きく変わってきている。
一つには、種の保存につとめること。できるなら繁殖をこころみ、また、他の動物園と協力して、遺伝的多様性を保つことも求められる。
二つには、動物を、本来の自然環境に近い状態で飼育し展示すること。来園したお客さんに、どのような自然環境でその動物がが生きているのかを実感してもらえるようにすること。
このような方向に向かってきている。
背景には、近年になってから、地球環境への関心のたかまりということもあるにちがいない。旧来の動物園から、変わろうとしている。
この回では、三人の動物園の園長さんをとりあげていたが、どの人もしかるべき方針のもとに仕事をしている。なかでも、最後に出てきた、故・佐藤哲也さんの功績は大きなものがあるのだろう。たぶん、動物園の業界のなかでは知られていても、このような取り組みを始めて実践した人がいたことは、たたえられ、また、その精神を継承していくべきことだろう。
ところで、番組のなかで「シートン動物記」の名前が出てきていた。私の年代なら(昭和三〇年生まれ)子どものときに読んだ本である。今から思えば、それは、児童向けにさらに縮約されたバージョンだったかと思うのだが。これは、今では、もう読まれないものになってしまっている。このあたりの事情については、光文社古典新訳文庫の『野生の呼び声』の解説を読んで知ったことでもある。動物を擬人化して、人間の感情で見るということは、もはや時代の流れではないことになるかと思う。動物の出てくる本ということでは、光文社古典新訳文庫『黒馬物語』は買ってあるのだが、まだ読んでいない。これも、子どものときに読んだ本の一つである。
2024年10月1日記
ウチのどうぶつえん それぞれの、園長さん。
現在、動物園とか水族館の役割は、大きく変わってきている。
一つには、種の保存につとめること。できるなら繁殖をこころみ、また、他の動物園と協力して、遺伝的多様性を保つことも求められる。
二つには、動物を、本来の自然環境に近い状態で飼育し展示すること。来園したお客さんに、どのような自然環境でその動物がが生きているのかを実感してもらえるようにすること。
このような方向に向かってきている。
背景には、近年になってから、地球環境への関心のたかまりということもあるにちがいない。旧来の動物園から、変わろうとしている。
この回では、三人の動物園の園長さんをとりあげていたが、どの人もしかるべき方針のもとに仕事をしている。なかでも、最後に出てきた、故・佐藤哲也さんの功績は大きなものがあるのだろう。たぶん、動物園の業界のなかでは知られていても、このような取り組みを始めて実践した人がいたことは、たたえられ、また、その精神を継承していくべきことだろう。
ところで、番組のなかで「シートン動物記」の名前が出てきていた。私の年代なら(昭和三〇年生まれ)子どものときに読んだ本である。今から思えば、それは、児童向けにさらに縮約されたバージョンだったかと思うのだが。これは、今では、もう読まれないものになってしまっている。このあたりの事情については、光文社古典新訳文庫の『野生の呼び声』の解説を読んで知ったことでもある。動物を擬人化して、人間の感情で見るということは、もはや時代の流れではないことになるかと思う。動物の出てくる本ということでは、光文社古典新訳文庫『黒馬物語』は買ってあるのだが、まだ読んでいない。これも、子どものときに読んだ本の一つである。
2024年10月1日記
「香港を諦めない 雨傘運動から10年」 ― 2024-10-04
2024年10月4日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「香港を諦めない 雨傘運動から10年」
HONG KONG IS NOT CHINA 香港の民主化運動の映像を見るとき、この文言を目にする。香港は、香港に住む人たちのものである。
このごろ、日本でもあまり香港のことは、ニュースにならなくなっているように感じる。ある意味では、国家安全維持法によって、表面的には香港が安定しているように見える、ということなのかもしれない。その実は、徹底的な中国共産党による弾圧、ということなのであろうが。
中国政府は、あきらかに国際的にウソをついたことになる。香港の返還のとき、その自治は約束されてはずである。それを強行にくつがえそうとしているのは、それだけ、香港における民主化運動が怖いということなのかもしれない。
そうはいっても、タテマエ上は、中国からは距離をとったところに香港はある。そこで暮らしている人たちは、いったい何を思っているのだろうか。また、今の中国にとって、香港はどんな存在なのだろうか。
冷めた見方をすることになるのかもしれないが、中国政府としてみれば、香港を弾圧することはあっても、かつての天安門事件のような騒ぎにしたくはない、そのギリギリの手前のところでとどまっているようにも思える。軍隊を動員してデモを鎮圧するということまではしない。少なくとも、表だって死者が出るようなことはしていない。もし、天安門事件の再来のようなことになれば、それをきっかけに国際社会のなかで中国の地位は失墜するはずである。そうなったら、自暴自棄的に何をしでかすかわからない。だが、これもこれからの情勢でどうなるか分からないという不安もある。
2024年10月2日記
BS世界のドキュメンタリー 「香港を諦めない 雨傘運動から10年」
HONG KONG IS NOT CHINA 香港の民主化運動の映像を見るとき、この文言を目にする。香港は、香港に住む人たちのものである。
このごろ、日本でもあまり香港のことは、ニュースにならなくなっているように感じる。ある意味では、国家安全維持法によって、表面的には香港が安定しているように見える、ということなのかもしれない。その実は、徹底的な中国共産党による弾圧、ということなのであろうが。
中国政府は、あきらかに国際的にウソをついたことになる。香港の返還のとき、その自治は約束されてはずである。それを強行にくつがえそうとしているのは、それだけ、香港における民主化運動が怖いということなのかもしれない。
そうはいっても、タテマエ上は、中国からは距離をとったところに香港はある。そこで暮らしている人たちは、いったい何を思っているのだろうか。また、今の中国にとって、香港はどんな存在なのだろうか。
冷めた見方をすることになるのかもしれないが、中国政府としてみれば、香港を弾圧することはあっても、かつての天安門事件のような騒ぎにしたくはない、そのギリギリの手前のところでとどまっているようにも思える。軍隊を動員してデモを鎮圧するということまではしない。少なくとも、表だって死者が出るようなことはしていない。もし、天安門事件の再来のようなことになれば、それをきっかけに国際社会のなかで中国の地位は失墜するはずである。そうなったら、自暴自棄的に何をしでかすかわからない。だが、これもこれからの情勢でどうなるか分からないという不安もある。
2024年10月2日記
『坂の上の雲』「(4)青雲(後編)」 ― 2024-10-05
2024年10月5日 當山日出夫
『坂の上の雲』 (4)青雲(後編)
録画をようやく見たので、見ながら思ったことを書いておく。
いうまでもないことであるが、このドラマでは軍人、軍隊というものを肯定的に描いている。司馬遼太郎は、昭和戦前の軍部に対してはきわめて批判的であった。特に統帥権を理由に横暴をきわめたと、厳しく非難している。だが、司馬遼太郎は絶対的な理想的平和主義者ではなかった。『坂の上の雲』はもちろん『飛ぶが如く』においても、軍事を否定していない。いや、そこに意味を見出した人間たちのことを描いている。
日本の近代の軍隊を肯定的に描いている、という意味では、このドラマは意味のあることかもしれない。
いつごろからだろうか、軍隊、軍人、というものを否定的にしか見ないようになったのは。私の子どものころに読んだ漫画雑誌、「少年マガジン」などであるが、これには、戦艦大和のことも、ゼロ戦のことも、載っていた。戦記漫画としては、『紫電改のタカ』(ちばてつや)が連載された時代である。『サブマリン707』(小沢さとる)も、架空のものとはいえ戦記漫画といっていいだろう。テレビドラマでも、映画でも、戦争をあつかったものが……その多くは肯定的に描いているのだが……多くあった。
昔の朝ドラの『おはなはん』の結婚相手は、陸軍の軍人さんだった。
いつごろから、戦争を否定的にしか見てはいけないような雰囲気になってきたのだろうか。だからといって、戦争を肯定する気持ちはまったくないのだが、昭和の戦後の歴史、文化史の流れとしては、興味深いことではある。今日の普通の反戦平和思想が戦後になっていきなり生まれたということではなく、これにいたる歴史がある。
このドラマで登場している、屋根のある橋。できれば、ここには一度行ってみたいと、昔のドラマの放送のときから思っている。松山郊外と設定されている田園風景とそこで働く人の姿が美しい。(実際には、封建的な地主制度のもとでの苦労ということはあったにちがいないが。)
正岡の家の母親の原田美枝子が、いい感じである。ちょっと古風で、そして、どことなく品のある、年配の女性の雰囲気をよく出している。原田美枝子については、たぶんそのデビュー作だったろうか、映画で見たのを憶えている。東京で学生のときだった。映画のなかでは女子高生の役だった。私の若いころ、女子高生の役をしていて、今は、おばあさんの役が似合う女優というと、他には、松阪慶子がいる。NHKのドラマの『若い人』で、北海道の女学校の生徒(江波恵子)の役であった。
好古は、松山藩の若殿様……もう、藩は無い時代になっているのだが、松山藩の士分であった好古にとっては、若殿様ということになる……のお供をして、フランスに行って騎兵を学ぶことになる。このドラマでは、あまり明治の藩閥ということを描かない。だが、この時代、松山藩の出身というだけで、時代の流れとしては傍流であったかもしれない。だからこそ、好古と真之の活躍が目立つ、ということになる。
以前に見たときには気づかなかったが、好古がフランスで馬の世話をしている場面で、「MATSOUKAZE」と背景に文字が見えたが、これは馬の名前(フランス語式ローマ字)でいいのだろうか。
茶碗を一つしか持たないという好古の生活のスタイルは、今では何といえばいいのだろうか。清貧というのとはちょっと違うようだだ。ミニマリストでもないかなと思う。廉直とでもいえばいいだろうか。薪を割るシーンがあったが、これは実際にはかなり難しい。役者の阿部寛の腕といっていいだろうか。
松山に帰ってきた真之が父親と大街道で出会って、おたがいにそしらぬふりをしてすれ違った、繁華街のまんなかで久しぶりの親子の対面など恥ずかしい……このエピソードは、原作の司馬遼太郎の『坂の上の雲』にも出てきた。松山の大街道の商店街は、何回か行ったことがあるが、明治の昔はどんなだったろうかと思いながら歩いたものである。
律は、一身独立といっていた。たしかに、このドラマにおいて、律という女性の生き方は、正岡子規のために捧げられるようなものであるが、しかし、一方で自立心の強い女性として描かれている。
広瀬武夫が登場してきている。原作には、登場しない。あるいは、名前ぐらいはどこかで出てきていただろうか。旅順港閉塞作戦のことは、原作の『坂の上の雲』にも出てきたかと思う。だが、このドラマでは、広瀬武夫を非常に重要な人物として描いている。『ロシヤにおける広瀬武夫』(島田謹二)は今でも持っている。書庫のどこかにしまってあるはずである。『アメリカにおける秋山真之』も持っている。
かつて、東京に広瀬武夫の銅像があったことは、歴史の智識としては知っている。軍歌『広瀬中佐』も、私の年代の人間なら耳にしたことがあるだろう。広瀬武夫を軍神としてあがめる時代でない。しかし、その事跡は歴史のなかに残っているといっていいだろうか。
2024年10月4日記
『坂の上の雲』 (4)青雲(後編)
録画をようやく見たので、見ながら思ったことを書いておく。
いうまでもないことであるが、このドラマでは軍人、軍隊というものを肯定的に描いている。司馬遼太郎は、昭和戦前の軍部に対してはきわめて批判的であった。特に統帥権を理由に横暴をきわめたと、厳しく非難している。だが、司馬遼太郎は絶対的な理想的平和主義者ではなかった。『坂の上の雲』はもちろん『飛ぶが如く』においても、軍事を否定していない。いや、そこに意味を見出した人間たちのことを描いている。
日本の近代の軍隊を肯定的に描いている、という意味では、このドラマは意味のあることかもしれない。
いつごろからだろうか、軍隊、軍人、というものを否定的にしか見ないようになったのは。私の子どものころに読んだ漫画雑誌、「少年マガジン」などであるが、これには、戦艦大和のことも、ゼロ戦のことも、載っていた。戦記漫画としては、『紫電改のタカ』(ちばてつや)が連載された時代である。『サブマリン707』(小沢さとる)も、架空のものとはいえ戦記漫画といっていいだろう。テレビドラマでも、映画でも、戦争をあつかったものが……その多くは肯定的に描いているのだが……多くあった。
昔の朝ドラの『おはなはん』の結婚相手は、陸軍の軍人さんだった。
いつごろから、戦争を否定的にしか見てはいけないような雰囲気になってきたのだろうか。だからといって、戦争を肯定する気持ちはまったくないのだが、昭和の戦後の歴史、文化史の流れとしては、興味深いことではある。今日の普通の反戦平和思想が戦後になっていきなり生まれたということではなく、これにいたる歴史がある。
このドラマで登場している、屋根のある橋。できれば、ここには一度行ってみたいと、昔のドラマの放送のときから思っている。松山郊外と設定されている田園風景とそこで働く人の姿が美しい。(実際には、封建的な地主制度のもとでの苦労ということはあったにちがいないが。)
正岡の家の母親の原田美枝子が、いい感じである。ちょっと古風で、そして、どことなく品のある、年配の女性の雰囲気をよく出している。原田美枝子については、たぶんそのデビュー作だったろうか、映画で見たのを憶えている。東京で学生のときだった。映画のなかでは女子高生の役だった。私の若いころ、女子高生の役をしていて、今は、おばあさんの役が似合う女優というと、他には、松阪慶子がいる。NHKのドラマの『若い人』で、北海道の女学校の生徒(江波恵子)の役であった。
好古は、松山藩の若殿様……もう、藩は無い時代になっているのだが、松山藩の士分であった好古にとっては、若殿様ということになる……のお供をして、フランスに行って騎兵を学ぶことになる。このドラマでは、あまり明治の藩閥ということを描かない。だが、この時代、松山藩の出身というだけで、時代の流れとしては傍流であったかもしれない。だからこそ、好古と真之の活躍が目立つ、ということになる。
以前に見たときには気づかなかったが、好古がフランスで馬の世話をしている場面で、「MATSOUKAZE」と背景に文字が見えたが、これは馬の名前(フランス語式ローマ字)でいいのだろうか。
茶碗を一つしか持たないという好古の生活のスタイルは、今では何といえばいいのだろうか。清貧というのとはちょっと違うようだだ。ミニマリストでもないかなと思う。廉直とでもいえばいいだろうか。薪を割るシーンがあったが、これは実際にはかなり難しい。役者の阿部寛の腕といっていいだろうか。
松山に帰ってきた真之が父親と大街道で出会って、おたがいにそしらぬふりをしてすれ違った、繁華街のまんなかで久しぶりの親子の対面など恥ずかしい……このエピソードは、原作の司馬遼太郎の『坂の上の雲』にも出てきた。松山の大街道の商店街は、何回か行ったことがあるが、明治の昔はどんなだったろうかと思いながら歩いたものである。
律は、一身独立といっていた。たしかに、このドラマにおいて、律という女性の生き方は、正岡子規のために捧げられるようなものであるが、しかし、一方で自立心の強い女性として描かれている。
広瀬武夫が登場してきている。原作には、登場しない。あるいは、名前ぐらいはどこかで出てきていただろうか。旅順港閉塞作戦のことは、原作の『坂の上の雲』にも出てきたかと思う。だが、このドラマでは、広瀬武夫を非常に重要な人物として描いている。『ロシヤにおける広瀬武夫』(島田謹二)は今でも持っている。書庫のどこかにしまってあるはずである。『アメリカにおける秋山真之』も持っている。
かつて、東京に広瀬武夫の銅像があったことは、歴史の智識としては知っている。軍歌『広瀬中佐』も、私の年代の人間なら耳にしたことがあるだろう。広瀬武夫を軍神としてあがめる時代でない。しかし、その事跡は歴史のなかに残っているといっていいだろうか。
2024年10月4日記
「I DON’T LIKE MONDAYS 月曜日の物語」 ― 2024-10-05
2024年10月5日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト I DON’T LIKE MONDAYS 月曜日の物語
この番組は録画で見る。早寝早起きの習慣なので、放送の時間まで起きていることはない。早くて火曜日の朝に早起きして録画を見る。同じように、「100分de名著」も録画で見る。
思いつくままに書いてみる。
村上春樹の名前が何度か出てきていた。『アンダーグラウンド』の著者として、そして、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の訳者として。私は、両方とも読んでいる。村上春樹の小説やエッセイの類は、本で読める限りは全部読んだだろうか。それから翻訳も読もうと思っていくつか読んだ(これは、いろいろ事情があって、中断しているのだが)。
『アンダーグラウンド』は、地下鉄サリン事件のことを、市民の視線でとらえた、すぐれた作品である。ジャンルとしてはどういえばいいのだろうか、ノンフィクションといっていいのだろうか。そして、同時に、戦後の日本、特に、東京で仕事をして暮らすことになった、いろんな人びとの生活誌としても読むことができる。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、普通に日本語訳で読むと、痛快な若者の小説なのだが、アメリカ社会における評価は、また違っているようだ。しばらく前、NHKのどの番組だったか、サリンジャーとこの作品について取りあげているのを見て、この作品が、アメリカ社会の奥深くに根ざした問題に触れているものであることを、なんとなく理解できたかと思う。アメリカでは、今でも、この作品は禁書あつかいを完全に解かれたわけではないという。いや、この作品を禁書とするアメリカ社会というのは、いったいどんなものなのだろうかということを、日本にいて想像してみることになる、というべきだろうか。
ジョン・レノンが暗殺されたとき、大学院の学生だったのは憶えている。そのころはテレビを持っていなかったので、たぶんラジオ……おそらくFM東京だろう……のニュースで知ったのだろうと思うが、はっきり憶えているわけではない。
地下鉄サリン事件のとき、何をしていただろうか。東京で何かおおきな事件がおこったことを、テレビのニュースで知った、という程度の記憶しかない。ただ、その後のオウム真理教への捜査については、ニュースを見て知ったことになる。
株式市場が月曜日に大きな動きがある、ということは、なんとなくそんなものなのかなという気はする程度である。ただ、これも、ネットワークが世界中に張りめぐらされて、二四時間、世界のどこかで動いている、という時代を迎えて、どれだけ意味があることなのか、という気もする。しかし、先日の日本での株価の暴落ということが月曜日に起こったことは、ミクロ的な人間の心理がどこかで大きく影響していることになるのだろう。
アメリカでの銃の乱射事件の犯人の女性。日本で同じような事件がおこったらどうだろうか。まず、未成年であるから、少年法の対象である。そして、法的な責任能力が問われる事件になりそうである。
もう仕事はリタイアした身分と思っているので、月曜日だからどうこうということはない。以前なら、月曜日は、あの学校に行って受業か、と思ったものであるが、それは今はもうない。まあ、毎朝見ている朝ドラの新しい週が始まるかな、という程度である。それから、日曜日に見た大河ドラマのことを書いた文章をブログにアップロードする。
2024年10月2日記
映像の世紀バタフライエフェクト I DON’T LIKE MONDAYS 月曜日の物語
この番組は録画で見る。早寝早起きの習慣なので、放送の時間まで起きていることはない。早くて火曜日の朝に早起きして録画を見る。同じように、「100分de名著」も録画で見る。
思いつくままに書いてみる。
村上春樹の名前が何度か出てきていた。『アンダーグラウンド』の著者として、そして、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の訳者として。私は、両方とも読んでいる。村上春樹の小説やエッセイの類は、本で読める限りは全部読んだだろうか。それから翻訳も読もうと思っていくつか読んだ(これは、いろいろ事情があって、中断しているのだが)。
『アンダーグラウンド』は、地下鉄サリン事件のことを、市民の視線でとらえた、すぐれた作品である。ジャンルとしてはどういえばいいのだろうか、ノンフィクションといっていいのだろうか。そして、同時に、戦後の日本、特に、東京で仕事をして暮らすことになった、いろんな人びとの生活誌としても読むことができる。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、普通に日本語訳で読むと、痛快な若者の小説なのだが、アメリカ社会における評価は、また違っているようだ。しばらく前、NHKのどの番組だったか、サリンジャーとこの作品について取りあげているのを見て、この作品が、アメリカ社会の奥深くに根ざした問題に触れているものであることを、なんとなく理解できたかと思う。アメリカでは、今でも、この作品は禁書あつかいを完全に解かれたわけではないという。いや、この作品を禁書とするアメリカ社会というのは、いったいどんなものなのだろうかということを、日本にいて想像してみることになる、というべきだろうか。
ジョン・レノンが暗殺されたとき、大学院の学生だったのは憶えている。そのころはテレビを持っていなかったので、たぶんラジオ……おそらくFM東京だろう……のニュースで知ったのだろうと思うが、はっきり憶えているわけではない。
地下鉄サリン事件のとき、何をしていただろうか。東京で何かおおきな事件がおこったことを、テレビのニュースで知った、という程度の記憶しかない。ただ、その後のオウム真理教への捜査については、ニュースを見て知ったことになる。
株式市場が月曜日に大きな動きがある、ということは、なんとなくそんなものなのかなという気はする程度である。ただ、これも、ネットワークが世界中に張りめぐらされて、二四時間、世界のどこかで動いている、という時代を迎えて、どれだけ意味があることなのか、という気もする。しかし、先日の日本での株価の暴落ということが月曜日に起こったことは、ミクロ的な人間の心理がどこかで大きく影響していることになるのだろう。
アメリカでの銃の乱射事件の犯人の女性。日本で同じような事件がおこったらどうだろうか。まず、未成年であるから、少年法の対象である。そして、法的な責任能力が問われる事件になりそうである。
もう仕事はリタイアした身分と思っているので、月曜日だからどうこうということはない。以前なら、月曜日は、あの学校に行って受業か、と思ったものであるが、それは今はもうない。まあ、毎朝見ている朝ドラの新しい週が始まるかな、という程度である。それから、日曜日に見た大河ドラマのことを書いた文章をブログにアップロードする。
2024年10月2日記
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