「祖父はユダヤ人を救った〜ガザ攻撃と“命のビザ”〜」2024-10-08

2024年10月8日 當山日出夫

NHKスペシャル 祖父はユダヤ人を救った〜ガザ攻撃と“命のビザ”〜

今のイスラエルのガザ攻撃を非難するとしても、だから、かつてユダヤ人にビザを発給した杉原千畝のしたことを悪くいうのは、どう考えても筋が違うと思う。だが、現実にそのように思う人がいるというのが、残念ながら日本の姿でもある。(この論法の延長としては、ヒトラーがユダヤ人を滅ぼそうとしたことは正しかった、ということになる。まさに歴史教育の敗北といってよい。)

杉原千畝に救われた人びとが、世界中にいて、今でもその功績をたたえているということは、もっと知られていいことである。

私が杉原千畝という名前を知ったのはいつのころからだったろうか。番組のなかでは宮澤喜一首相のことばが出てきていたが、たしかに、昔、若いころには、知らなかった。その後、「シンドラーのリスト」が話題になって、その流れのなかで、リトアニア領事だった杉原千畝のことが思い出された、ということだったと思う。

一般的なヒューマニズムの観点からは、ホロコーストは否定されるべきだし、杉原千畝の働きも評価されるべきである。だが、今ひとつわからない、分かりにくいのが、反ユダヤ主義という考え方。これは、日本にいるせいなのかと思うが、生活の実感としてきわめて分かりにくい感情である。

ナチスは共産主義とユダヤ人を嫌った。反共産主義というのは、理解はできる。(といって、正当化することではないが)。だが、反ユダヤ主義というのは、感覚的に分かりにくい。

たぶん、このあたりが、イスラエルとパレスチナをめぐる問題を、分かりにくくしている原因かと感じている。無論、人道的観点からは、戦争は止めなければならないことは確かなのであるが、その後の和平の構築において、どうすればいいのかとなると、はっきりとした答えがみつからない。異教徒との共存とはどんなものなのか、という感じがどうしてもつきまとうのは、いたしかたないことなのかもしれないと思うのである。

2024年10月4日記

「中国 認められない母たち」2024-10-08

2024年10月8日 當山日出夫

AsiaInsight 中国 認められない母たち

二〇二三年の放送の再放送。

中国の都市部を中心に、近代的な個人の権利意識が強くなってきている、という流れのなかにある現象なのだろう。未婚の女性が、子どもを産む、産まないという自由。卵子を凍結保存する自由。番組のなかで、自分の体を自分の自由に使う権利……ということを言っていたが、このような意識が中国の人びとのなかに産まれてきていることは、確かなことである。これは、特に女性に限ったことではないはずである。

自分の体を自分の自由意志で自由にする権利……これが、はたして本当に幸福な未来になっていくのかどうかは、私としては、いくぶん懐疑的なところを感じないではない。しかし、世の中の趨勢として、こういう考え方が浸透してきていることになる。(私は、そもそも、人間の自由意志とは何であるのか、ということから根本的に考える必要があると思っている。しかし、それを強権的に抑圧してよいということではない。)

中国で一人っ子政策が終わってから、かなりになる。だが、社会の考え方はそう簡単には変わらない。あるいは、もし、一人っ子政策を行っていなかったとしても、中国の人口減少ということは、避けられないことだったともいえる。これは、近代社会において、女性の教育水準があがり、社会に出て活躍するようになると、必然的に起こることである。『人口で語る世界史』(ポール・モーランド、度会圭子訳)は面白い本である。

中国でも上海などの都市部では、シングルマザーが増えてきていることになる。だが、社会的、法的な制度は、また未整備という状態ということになるだろうか。また、人びとの意識としても、容認しないという考え方もある。

番組では言っていなかったが、地方の農村部に行けば、事情はどうなのだろうか、ということも気になる。

中国の多くの人びとの生活の意識の変化ということが、これからの中国社会、それから、周辺の国々にどう影響していくことになるのか、大きな転換点にさしかかりつつあることはたしかだろう。軍拡と経済のことがニュースになるが、こういう人びとの生活意識の変化を地道に追いかけていくことは意味のあることだと思う。

また、生命倫理や未来世代に対する責任ということは、現在の個人の自由意志の尊重という考え方だけでは律しきれないところがあると私は思う。

2024年10月6日記