「北前船に賭けた男たち 〜工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛〜」 ― 2024-10-22
2024年10月22日 當山日出夫
英雄たちの選択 北前船に賭けた男たち 〜工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛〜
高田屋嘉兵衛はあまりにも有名である。だが、この番組ではロシアのことは基本的に出てきていなかった。これは、触れるまでもないということであったのだろう。高田屋嘉兵衛、それから、当時の幕府が、蝦夷地を直轄領として開拓しようとしていたことの方が重要であろう。
この番組の視点として、北海道/蝦夷地のみならず、北方領土のクナシリやエトロフも、日本の領土として江戸時代から意識されていたという立場をとっている。また、アイヌの人びとのことは、ちょっと出てきただけであった。これはこれで、一つの立場であり、歴史の見方だろうと思う。
工楽松右衛門のことは、知らなかった。このような人物がいたことは、この番組で知った。
磯田道史が、ハレの日の消費、ということを言っていた。普段は質素倹約であるが、お正月などのときには、一気に散財する、ということらしい。これは、江戸時代の金銭の流れを見ていけば分かることなのだろうと思う。ただ、このとき、初詣と言っていたのは、どうだろうか。お正月にみんなでそろって初詣に行くという習わしは、近代になってからのものではないのだろうか。そのために鉄道が整備されたという経緯もある。例えば、成田山新勝寺などその典型だろう。伊勢神宮でも、鉄道で簡単に行けるようになったのは、近代になってからである。無論、江戸時代に明治神宮などあるはずもない。
工楽松右衛門が、船の帆を改良したとあった。これはそのとおりなのだろう。ちょっと気になったのは、その素材である。木綿か麻だろうと思われるが、いったいなんで作ったものなのだろうか。
この帆の作り方は、オープンであった。今のように特許などの概念のない時代である。しかし、秘密にしておくよりも、オープンソースにした方が、結果的にはみんながもうかる。おそらく、今の時代の流れなのだろう。
蝦夷地の開拓にはいろんな目的があったのだろうが、その一つはニシンである。北海道のニシン漁というと、近代になってからのものをイメージしがちかもしれないが、江戸時代から、ニシンを使った〆粕が作られ、金肥として使用された。これが、木綿などの生産を増大させた……というあたりのことは、昔の歴史の教科書に出てきたことだと憶えているのだが、今ではどのように考えられているのだろうか。磯田道史は、その結果、大阪などの農村が豊かになり、識字率も向上して、近代化への原動力になったと語っていたが、おそらくこのような流れで考えても不自然ではないだろう。
北前船の近代ということは面白かった。北前船がもっとも栄えたのは、明治になってから。北海道と本州を行き来するとき、地方によるものの価格差で利益を得る。しかし、その流通インフラが整備されてしまうと、その価格差がなくなり利益が薄くなってしまう。もうからなくなる。(たぶん、これは、現代の日本、あるいは、世界の経済や流通ということについてもいえることなのだろう。)
北前船で栄えた土地として、能登半島のことが出てきていた。能登半島の風景というと、千枚田を思い浮かべることが多いのだが、能登半島の豊かさは、海の交易からもたらされたものである、という指摘は重要だろう。(輪島塗などは、どのようにして流通したのだろうか。)
物資の流通ということでむすばれた人びとの意識を醸成するといってもいいのかもしれない。これが国民国家の基盤になる、という観点も考えるべきだろうか。少なくとも、蝦夷地(北海道、北方領土)から琉球までをふくめた、大きな交易圏のまとまりについては、考える必要があるだろう。それと、東アジアの広い範囲での交易との関係も重要になるだろう。
日本は海洋国家であることも、再認識すべきことになる。番組のなかでは、現在の中国のことも、ロシアのことも、言及はなかった。しかし、海洋国家としての日本の将来を考えるならば、中国とロシアのことは考慮しなければならないことになる。
近世から近代の各種のインフラ整備に、地方の名望家が仕事をしたということが言われていたが、このことは、もっと歴史として研究すべきことのように、私には思われる。歴史の教科書には出てこないような、篤志家というべき人びとのことについて、思いをいたすべきだろう。
2024年10月21日記
英雄たちの選択 北前船に賭けた男たち 〜工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛〜
高田屋嘉兵衛はあまりにも有名である。だが、この番組ではロシアのことは基本的に出てきていなかった。これは、触れるまでもないということであったのだろう。高田屋嘉兵衛、それから、当時の幕府が、蝦夷地を直轄領として開拓しようとしていたことの方が重要であろう。
この番組の視点として、北海道/蝦夷地のみならず、北方領土のクナシリやエトロフも、日本の領土として江戸時代から意識されていたという立場をとっている。また、アイヌの人びとのことは、ちょっと出てきただけであった。これはこれで、一つの立場であり、歴史の見方だろうと思う。
工楽松右衛門のことは、知らなかった。このような人物がいたことは、この番組で知った。
磯田道史が、ハレの日の消費、ということを言っていた。普段は質素倹約であるが、お正月などのときには、一気に散財する、ということらしい。これは、江戸時代の金銭の流れを見ていけば分かることなのだろうと思う。ただ、このとき、初詣と言っていたのは、どうだろうか。お正月にみんなでそろって初詣に行くという習わしは、近代になってからのものではないのだろうか。そのために鉄道が整備されたという経緯もある。例えば、成田山新勝寺などその典型だろう。伊勢神宮でも、鉄道で簡単に行けるようになったのは、近代になってからである。無論、江戸時代に明治神宮などあるはずもない。
工楽松右衛門が、船の帆を改良したとあった。これはそのとおりなのだろう。ちょっと気になったのは、その素材である。木綿か麻だろうと思われるが、いったいなんで作ったものなのだろうか。
この帆の作り方は、オープンであった。今のように特許などの概念のない時代である。しかし、秘密にしておくよりも、オープンソースにした方が、結果的にはみんながもうかる。おそらく、今の時代の流れなのだろう。
蝦夷地の開拓にはいろんな目的があったのだろうが、その一つはニシンである。北海道のニシン漁というと、近代になってからのものをイメージしがちかもしれないが、江戸時代から、ニシンを使った〆粕が作られ、金肥として使用された。これが、木綿などの生産を増大させた……というあたりのことは、昔の歴史の教科書に出てきたことだと憶えているのだが、今ではどのように考えられているのだろうか。磯田道史は、その結果、大阪などの農村が豊かになり、識字率も向上して、近代化への原動力になったと語っていたが、おそらくこのような流れで考えても不自然ではないだろう。
北前船の近代ということは面白かった。北前船がもっとも栄えたのは、明治になってから。北海道と本州を行き来するとき、地方によるものの価格差で利益を得る。しかし、その流通インフラが整備されてしまうと、その価格差がなくなり利益が薄くなってしまう。もうからなくなる。(たぶん、これは、現代の日本、あるいは、世界の経済や流通ということについてもいえることなのだろう。)
北前船で栄えた土地として、能登半島のことが出てきていた。能登半島の風景というと、千枚田を思い浮かべることが多いのだが、能登半島の豊かさは、海の交易からもたらされたものである、という指摘は重要だろう。(輪島塗などは、どのようにして流通したのだろうか。)
物資の流通ということでむすばれた人びとの意識を醸成するといってもいいのかもしれない。これが国民国家の基盤になる、という観点も考えるべきだろうか。少なくとも、蝦夷地(北海道、北方領土)から琉球までをふくめた、大きな交易圏のまとまりについては、考える必要があるだろう。それと、東アジアの広い範囲での交易との関係も重要になるだろう。
日本は海洋国家であることも、再認識すべきことになる。番組のなかでは、現在の中国のことも、ロシアのことも、言及はなかった。しかし、海洋国家としての日本の将来を考えるならば、中国とロシアのことは考慮しなければならないことになる。
近世から近代の各種のインフラ整備に、地方の名望家が仕事をしたということが言われていたが、このことは、もっと歴史として研究すべきことのように、私には思われる。歴史の教科書には出てこないような、篤志家というべき人びとのことについて、思いをいたすべきだろう。
2024年10月21日記
ザ・バックヤード「理化学研究所 放射光科学研究センター」 ― 2024-10-22
2024年10月22日 當山日出夫
ザ・バックヤード 理化学研究所 放射光科学研究センター
これは面白かった。
SPring-8とSACLAについては、かろうじて名前を知っているぐらいであった。この施設の概要、どういう装置があって、どんなふうにして何をしているのか、その成果としてどんなことが具体的にあるのか……科学コミュニケーション番組として、うまく作ってあったと感じる。
電子を光速にまで加速する仕組みは、なんとなく分かった気にはなるのだが、それが曲がるとなぜ光を発するのか、ということの説明はなかった。これは、素人に分かりやすく説明するのが難しいところなのだろうか。
とにかく、出てくる数字が大きすぎるというか、ゼロの数が多すぎて、今ひとつ具体的にイメージしづらいところがあったのは、いたしかたのないことだろうと思う。
SPring-8は、流しそうめんのごときものであるというのは、卓抜な比喩であったと思う。
それから、中に自転車が映っていた。これぐらい大きな施設になると、中の移動には自転車が一番合理的だろう。
2024年10月18日記
ザ・バックヤード 理化学研究所 放射光科学研究センター
これは面白かった。
SPring-8とSACLAについては、かろうじて名前を知っているぐらいであった。この施設の概要、どういう装置があって、どんなふうにして何をしているのか、その成果としてどんなことが具体的にあるのか……科学コミュニケーション番組として、うまく作ってあったと感じる。
電子を光速にまで加速する仕組みは、なんとなく分かった気にはなるのだが、それが曲がるとなぜ光を発するのか、ということの説明はなかった。これは、素人に分かりやすく説明するのが難しいところなのだろうか。
とにかく、出てくる数字が大きすぎるというか、ゼロの数が多すぎて、今ひとつ具体的にイメージしづらいところがあったのは、いたしかたのないことだろうと思う。
SPring-8は、流しそうめんのごときものであるというのは、卓抜な比喩であったと思う。
それから、中に自転車が映っていた。これぐらい大きな施設になると、中の移動には自転車が一番合理的だろう。
2024年10月18日記
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