「バブル ふたりのカリスマ経営者」2024-10-23

2024年10月23日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト バブル ふたりのカリスマ経営者

バブルのころの思い出といえば、いろいろとある。西武の堤清二がやったことは、たしかに日本の消費者の意識を変えることだったかと、思い出す。池袋の西武にはよく行った。美術館、それから、その下のフロアが書店だった。これは、書店としては、いまだに伝説的存在であったといっていいだろう。その当時は、なんとも思わずに行っていたのだが、今になってふり返ると、書店がメッセージを発することができるという可能性を示していたことになる。

池袋の昔の光景は、水木しげるの漫画に出てくる。昔は、PARCOのところに丸物があった。ちなみに、京都の丸物の跡地、今ではヨドバシカメラである。

ダイエーは、私の今の住まいの最寄り駅の近くにあったが、今はもうない。その跡地には、大きなマンションが建っている。

バブル経済については、いろいろと言うことができるだろう。なぜそうなったのか、なぜその後の日本が低迷することになったのか、さまざまに語ることができる。

ただ、その時代を生きてきた一人として思い返してみるならば、バブル景気からその崩壊を経て、人びとの意識が変わってきているとは感じるところがある。ダイエーが打ち出した、安いことはいいことである、という路線はその後のデフレ経済の基盤として残り続けたというべきかもしれない。また、その一方で、セゾンのうちだした、「おいしい生活」の感覚、金銭的な贅沢ではなく充足感を求める、ということも、今に続いていると感じる。(まあ、いずれにせよ、ある程度のお金があってのことではある。貧困という状態では、ダイエーの路線も意味がない。)

今につづくライフスタイル、より安価なもので、より満ち足りた生活をおくる、この感覚は、現在の生活の基本になっているといっていいだろう。生活が苦しいのは困るが、だからといって、猛烈に働いて稼いで贅沢がしたいというわけでもない。このような生活感覚が行きわたってしまうと、かつてのような、高度経済成長期のような世の中の気分にはならないだろう。つまり、日本は社会のあり方として、ある程度のところを達成してしまっている。格差とか貧困とかの問題はあるというものの、今後は、このようなライフスタイル、生活の感覚をどのように維持していくか、改革はいいとしても今より生活を悪くしないでほしい、という方向にならざるをえないと、私は思うのである。

2024年10月22日記

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