『坂の上の雲』「(7)日清開戦(前編)」2024-10-24

2024年10月24日 當山日出夫

『坂の上の雲』「(7)日清開戦(前編)」

東郷平八郎の判断は正しかったのだろうか。まあ、日清戦争は結果的には日本が勝ったので、その視点から見るならば、東郷の判断を支持するということになるのだが。

このあたりのことは、軍事史と国際法の観点からの考証をふまえて描いてあるのだろうと思う。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』では、当時のイギリスのことがあまり出てきていなかったように憶えている。アヘン戦争があり、イギリスなどの列強が清に対して、侵略(と、今の価値観ではなる)をしていたころのことである。清の方でも、李鴻章、袁世凱などは、イギリスの委をかりて、日本を見下していた、というふうに描いてある。この当時の感覚としては、やはり清は大国であり、その背後にイギリスがついているということであるならば、清を相手に戦争を始めるというのは、かなりの冒険であったことは確かだろう。

日清戦争は、イギリスから見ればどのような戦争であったのだろうか。日本が勝つとは思っていなかったので、後の三国干渉ということになったのだろうとは思うが。

日本の政治家の判断として出てくるのは、伊藤博文だけというのは、今になって考えてみると、ちょっとさびしいような気もする。日本国内における、世論は無論のこととして、政権内部のいろんな意見の対立を描いておくべところだったかもしれない。(だが、そうなると、相当にドラマの内容が膨らむので、無理だったということなのだろうが。)

日清戦争で従軍記者が派遣される。戦争において、新聞が儲けるというのは、おそらくは、西南戦争ぐらいからあったことだろうし、太平洋戦争まで続くことになる。その後、ベトナム戦争の報道(これは、テレビの時代になってからであるが)などを経て、今のウクライナやイスラエルでの戦闘のリアルタイムでの中継のようなことになっている。やはり、その時代の最新のメディアが、戦争の報道において使用されるということである。もうあまり憶えている人はいないかもしれないが、かつての湾岸戦争のときの、ピーター・アーネットのことは、私は記憶している。

東郷平八郎と山本権兵衛が話をしているシーンは、薩摩方言であった。それでいいようなものかと思うが、近代的な軍隊の指揮官レベルで、出身地の方言で話しているというのは、どうなのだろうか。近代的な軍隊というものは、まず言語のことからはじめなければならないというのが、私の思うところである。

原作もそうだし、このドラマもそうであるが、戦争を描いた作品でありながら、ほとんど兵隊のことが出てこない。指揮官や参謀の視点で描いている。秋山好古、真之の兄弟を中心にしている以上、そうなるのは仕方ないことかと思うが、この時代になれば、一兵卒の視点からの記録などが多く残っているはずなので、さて、兵士の視点から見たらどのような戦争であったのか、ということは気になる。

この回から乃木希典が登場してきている。司馬遼太郎が『坂の上の雲』を書いて、乃木希典に対する評価が大きく変わったというのが、一般的な歴史かなと思っている。名将から愚将になってしまった。が、最近では、さらに研究がすすんで、乃木希典や日露戦争についても、さらに考えることになっているようである。

2024年10月23日記

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