『おむすび』「うちとお姉ちゃん」 ― 2024-10-27
2024年10月27日 當山日出夫
『おむすび』「うちとお姉ちゃん」
この週の最後は、結のパラパラだった。ギャルの恰好をした結が仲間たち(といっていいだろう)パラパラを踊るようになるまでの、心境の変化をじっくりと描いてきたのが、これまでの流れだったことになる。はじめは結は、ギャルは大嫌いだと言っていたが、それが次第にお互いの事情……なぜギャルたちがそのようにしているのか、また、結がなぜギャルを嫌っているのか……が理解できてきて、最終的に、ハギャレンとして踊ることになった。
人間の気持ちは変わるものである。このことを描くのには、やはり時間がかかる。最初からじっくりと時間をかけて、結の家庭の事情やおいたちなどが、少しづつ明らかになり、気持ちも徐々に変化することになる。このような気持ちの変化を説得力をもって描くことができるというのは、ドラマの作り方としては、今ではかなり冒険かもしれない。現代では、手っ取り早く何がいいたいのかが分かることが求められる時代でもある。
姉の歩が帰ってきた。これも、いったいどういう事情があったのかは、まだ分からない。そもそも何故、歩がギャルになったのかも、今までのところでは明らかになっていない。次週以降、神戸でのことから、明らかになっていくことだろう。
父親の聖人は、永吉に反発して糸島を出て神戸に行った。理容師の資格をとって、自分の店を神戸にもつ。そこで、母親の愛子と出会い、結婚して、歩と結の姉妹が生まれたことになる。その神戸の地で、理容店として、地元の人たちとも仲よくなって、一家は暮らしていた。
ここまでが、この週で分かった過去のことになる。これから、地震のことがあって、どのような経験をすることになるかは、次週以降のことになるのだろう。
ところで、歩が帰ってきて、地元のギャルの元のボスと決着を付けるために勝負をするのだが、それが、ラーメンの大食い競争だった。まあ、これはいいとしても、博多のおしゃれな感じのするバーで、ラーメンがメニューにあるのだろうか。まあ、香川だと、どこでも讃岐うどんが食べられるようなものかもしれないが、どうなのだろうか。
糸島フェスティバルは、テレビでも中継されたようだが、地元のケーブルテレビかなと思えるが、どうだろうか。これで、結とギャルのことが、福岡周辺に知れ渡ってしまったことになる、ということかなと思う。
最後の海辺のシーン。四ツ木は、結に対して、米田結、と呼びかけていた。人をフルネームで呼ぶことは、普通はあまりないのだが、この二人の関係はどうなっていくだろうか。四ツ木に対して、結は、カッパと言っていた。短いやりとりであるが、お互いの信頼感と微妙な距離の感じられるところだった。
ちょっとだけ苦言を述べれば、結の心の声は、余計である。なくても画面だけで、十分にその気持ちは伝わってくるものになっている。
次週は、いよいよ神戸の地震のときのことになるようだ。このときのことは、私も記憶していることになる。どのように描くことになるのかと思っている。
2024年10月26日記
『おむすび』「うちとお姉ちゃん」
この週の最後は、結のパラパラだった。ギャルの恰好をした結が仲間たち(といっていいだろう)パラパラを踊るようになるまでの、心境の変化をじっくりと描いてきたのが、これまでの流れだったことになる。はじめは結は、ギャルは大嫌いだと言っていたが、それが次第にお互いの事情……なぜギャルたちがそのようにしているのか、また、結がなぜギャルを嫌っているのか……が理解できてきて、最終的に、ハギャレンとして踊ることになった。
人間の気持ちは変わるものである。このことを描くのには、やはり時間がかかる。最初からじっくりと時間をかけて、結の家庭の事情やおいたちなどが、少しづつ明らかになり、気持ちも徐々に変化することになる。このような気持ちの変化を説得力をもって描くことができるというのは、ドラマの作り方としては、今ではかなり冒険かもしれない。現代では、手っ取り早く何がいいたいのかが分かることが求められる時代でもある。
姉の歩が帰ってきた。これも、いったいどういう事情があったのかは、まだ分からない。そもそも何故、歩がギャルになったのかも、今までのところでは明らかになっていない。次週以降、神戸でのことから、明らかになっていくことだろう。
父親の聖人は、永吉に反発して糸島を出て神戸に行った。理容師の資格をとって、自分の店を神戸にもつ。そこで、母親の愛子と出会い、結婚して、歩と結の姉妹が生まれたことになる。その神戸の地で、理容店として、地元の人たちとも仲よくなって、一家は暮らしていた。
ここまでが、この週で分かった過去のことになる。これから、地震のことがあって、どのような経験をすることになるかは、次週以降のことになるのだろう。
ところで、歩が帰ってきて、地元のギャルの元のボスと決着を付けるために勝負をするのだが、それが、ラーメンの大食い競争だった。まあ、これはいいとしても、博多のおしゃれな感じのするバーで、ラーメンがメニューにあるのだろうか。まあ、香川だと、どこでも讃岐うどんが食べられるようなものかもしれないが、どうなのだろうか。
糸島フェスティバルは、テレビでも中継されたようだが、地元のケーブルテレビかなと思えるが、どうだろうか。これで、結とギャルのことが、福岡周辺に知れ渡ってしまったことになる、ということかなと思う。
最後の海辺のシーン。四ツ木は、結に対して、米田結、と呼びかけていた。人をフルネームで呼ぶことは、普通はあまりないのだが、この二人の関係はどうなっていくだろうか。四ツ木に対して、結は、カッパと言っていた。短いやりとりであるが、お互いの信頼感と微妙な距離の感じられるところだった。
ちょっとだけ苦言を述べれば、結の心の声は、余計である。なくても画面だけで、十分にその気持ちは伝わってくるものになっている。
次週は、いよいよ神戸の地震のときのことになるようだ。このときのことは、私も記憶していることになる。どのように描くことになるのかと思っている。
2024年10月26日記
『カーネーション』「私を見て」 ― 2024-10-27
2024年10月27日 當山日出夫
『カーネーション』「私を見て」
糸子は、心斎橋百貨店に自ら行って、そこの支配人と直談判して、女性店員の制服を作ることになる。ここは、度胸で勝負ということになる。デザイン画を見せてすぐにOKをもらえなかった糸子は、実際に実物の制服を作って自分で着て、これでどうですか、と見せに行く。このあたりは、アイデアの勝負ということになるだろうか。たしかにデザイン画で判断するより、実物を着用して見せた方が、はるかに説得力がある。
ただ、洋服をデザインするということと、それを縫製するということとは、ちょっと違うとは思うのだけれども、この時代……昭和のはじめで洋服の黎明期……デザインと縫製は、あまり区別されることはなかったのかもしれない。(その後の糸子の生き方を考えてみると、女性の洋服をデザインすることと、縫製とが、一緒になった店をやっていくことになる。既製品の洋服が普及する前の、オーダーメイドとしては、これが普通かもしれない。)
新しい制服を着用した百貨店の女性店員たちの表情がよかった。着るものは人の気持ちを変えるものである。それにしても、糸子は、どこからこんなモダンなデザインのセンスを得たのだろうか。このあたりが、持って生まれた天分ということなのかもしれない。
百貨店の仕事を引き受けたことをきっかけに、小原の家でもいろいろとあった。父親の善作は、糸子が神戸のおじいちゃんのところに行くことを、こころよく思っていない。店の商品を全部売り払ってミシンを買ってくる。大胆といえば大胆である。これで、小原の店が洋服屋になったかといえば、そうではなく、依然として呉服店の看板をかかげたままであるし、小原のイエの主は善作である。横暴でもある。この善作をとりまく、家族、特に母親の千代と祖母のハルが実にいい。
百貨店の仕事で得たお金を、祖母のハルがまず仏壇にそなえていた。さりげない場面であるが、このようなところから、小原の家の人びとの生活感覚が伝わってくる。
妹の静子がパッチ一〇〇枚の注文をとってくる。無茶な仕事ではあったのだが、糸子は、一人でなんとかやりとげる。このとき、善作は手伝ってやればいいのにと思うのだがそうしない。意地もあるのだろうが、商売人としてできること、できないことの見極めをもって客に接しなければならないということだったかとも思う。それを教えたいのだが、不器用なのである。この不器用な父親の姿が印象に残る。
静子がとってきて、糸子が仕事をしたパッチ一〇〇枚の収入は、善作がふところにいれた。このあたりは、まだこのイエの仕事の主は善作である、ということなのだろう。糸子たちがもらったのは、勘助のお菓子屋さんに行くぐらいのお小遣いであった。
しかし、この時代、パッチの需要がそんなにあったのだろうか。糸子はパッチ屋に勤めていた。それなりに需要があったということでいいのかなと思う。
もっとみんなが洋服を着るようになったら仕事が増えるのに、と糸子の家族たちは言っていたのだが、そのときみんなは着物すがただった。無論、父親の善作も着物すがたである。四月になって女学校が終わって会社に勤めに出ることになった静子は着物であった。ちなみに、糸子も女学校のときは着物で通学していた。
このドラマは、糸子たち自身の姿(着るもの)と、家の建物の変化、岸和田の商店街を歩く人びとの姿、これらが、非常にうまくからみあって進行する。非常に念入りに作ってあるドラマだと感じるところである。
2024年10月26日記
『カーネーション』「私を見て」
糸子は、心斎橋百貨店に自ら行って、そこの支配人と直談判して、女性店員の制服を作ることになる。ここは、度胸で勝負ということになる。デザイン画を見せてすぐにOKをもらえなかった糸子は、実際に実物の制服を作って自分で着て、これでどうですか、と見せに行く。このあたりは、アイデアの勝負ということになるだろうか。たしかにデザイン画で判断するより、実物を着用して見せた方が、はるかに説得力がある。
ただ、洋服をデザインするということと、それを縫製するということとは、ちょっと違うとは思うのだけれども、この時代……昭和のはじめで洋服の黎明期……デザインと縫製は、あまり区別されることはなかったのかもしれない。(その後の糸子の生き方を考えてみると、女性の洋服をデザインすることと、縫製とが、一緒になった店をやっていくことになる。既製品の洋服が普及する前の、オーダーメイドとしては、これが普通かもしれない。)
新しい制服を着用した百貨店の女性店員たちの表情がよかった。着るものは人の気持ちを変えるものである。それにしても、糸子は、どこからこんなモダンなデザインのセンスを得たのだろうか。このあたりが、持って生まれた天分ということなのかもしれない。
百貨店の仕事を引き受けたことをきっかけに、小原の家でもいろいろとあった。父親の善作は、糸子が神戸のおじいちゃんのところに行くことを、こころよく思っていない。店の商品を全部売り払ってミシンを買ってくる。大胆といえば大胆である。これで、小原の店が洋服屋になったかといえば、そうではなく、依然として呉服店の看板をかかげたままであるし、小原のイエの主は善作である。横暴でもある。この善作をとりまく、家族、特に母親の千代と祖母のハルが実にいい。
百貨店の仕事で得たお金を、祖母のハルがまず仏壇にそなえていた。さりげない場面であるが、このようなところから、小原の家の人びとの生活感覚が伝わってくる。
妹の静子がパッチ一〇〇枚の注文をとってくる。無茶な仕事ではあったのだが、糸子は、一人でなんとかやりとげる。このとき、善作は手伝ってやればいいのにと思うのだがそうしない。意地もあるのだろうが、商売人としてできること、できないことの見極めをもって客に接しなければならないということだったかとも思う。それを教えたいのだが、不器用なのである。この不器用な父親の姿が印象に残る。
静子がとってきて、糸子が仕事をしたパッチ一〇〇枚の収入は、善作がふところにいれた。このあたりは、まだこのイエの仕事の主は善作である、ということなのだろう。糸子たちがもらったのは、勘助のお菓子屋さんに行くぐらいのお小遣いであった。
しかし、この時代、パッチの需要がそんなにあったのだろうか。糸子はパッチ屋に勤めていた。それなりに需要があったということでいいのかなと思う。
もっとみんなが洋服を着るようになったら仕事が増えるのに、と糸子の家族たちは言っていたのだが、そのときみんなは着物すがただった。無論、父親の善作も着物すがたである。四月になって女学校が終わって会社に勤めに出ることになった静子は着物であった。ちなみに、糸子も女学校のときは着物で通学していた。
このドラマは、糸子たち自身の姿(着るもの)と、家の建物の変化、岸和田の商店街を歩く人びとの姿、これらが、非常にうまくからみあって進行する。非常に念入りに作ってあるドラマだと感じるところである。
2024年10月26日記
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