フロンティア「世界は錯覚で出来ている」 ― 2024-11-05
2024年11月5日 當山日出夫
フロンティア 世界は錯覚で出来ている
以前、色彩学関係の本をかなり読んだことがある。色覚異常、一般に色盲といわれる現象であるが、その人にとって、辞書や辞典で使われる文字の色分けが、どう認識できるか、ということを考えたことがある。これは、いくつか論文にして発表もした。私としては、これも日本語学の研究の一部である。(結果としては、英語辞書などで重要な単語の見出しを赤色に印刷することはあまり意味がない、ということになる。それから、教室で黒板に板書するとき、赤い色のチョークは使わないのがよい。)
このとき、人間の眼から入った情報がどのように人間は認識することになるのか、考えることにもなる。たとえば、色彩だけを見るということはない。色彩を認識するとき、かならず形も同時に認識している。また、人間の眼は外の世界の一部しか見ることができないが、しかし視覚情報としては全体が見えているように感じる、など。
その延長としては、錯視という現象があることになる。番組は錯覚という用語を使っていたが、心理学の分野では錯視というはずである。錯視も、ひろい意味での錯覚の一部ということになるだろう。
人間にとって、脳のなかで構成される世界、それが視覚であれ聴覚であれ触覚であれ、構築されたもの、いわばバーチャルなものであるというのは、現代においては学問的に普通に理解できることかと考える。
いいかえるならば、脳に人間の根拠を求める考え方ということになる。人間の人間たるゆえんをどこに求めるかとなったとき、現代では、脳に求めるか、あるいは、DNAに求めるか、というところにいたりつくだろう。
では、脳が自己なのか。自己ととは何であるのか、新しい研究領域の発明と、技術の発達で、従来とは異なる発想で考えなければならなくなっていることは確かである。意識というものの中核に位置するのは脳であるだろうが、その脳はDNAの産物でもある。
哲学的な、そして同時に現実的な問題として、人間はどこまで自由意志を持ちうるのかということもある。バーチャル技術によって、自分の意識を改変することが可能であることが、証明されつつあることになる。また、既存の研究として、行動科学や心理学などの分野においても、人間の自由意志とは何かということが問われている。さらには、そもそも人間とは文化的社会的環境のなかで育ち自己を形成していくものであり、それらから完全に自由な人間ははたして有りうるのか、という古くからの問題もある。
人間の能力をバーチャルに拡張する、それを現実に使うことが想定されるのが、昔のSF漫画風にいうならばサイボーグ戦士である。そこまでいかないにしても、戦場において兵士を戦わせるための訓練として、この番組で紹介されていた発想や技術の応用の延長ということは、もうすでに現実のものになっていると認識しておいた方がいいだろう。人間の意識や心をバーチャルな世界でコントロールすることになる。(さらにその延長としては、戦場で心を傷ついた人間をどう癒やすのか、という方向での使い方もある。)
無論、これは、倫理的にどこまで許されるのかという問題をはらむことになり、これについては、今からきちんとした基礎的な考察や研究を積み重ねていく必要がある。科学や技術と人間の倫理、これは常に総合的にかえりみられなくてはならない。
興味深かったのは、バーチャルの技術を使って自分の能力を高めたいか、という質問に対して、学生がノーと言ったことである。おそらく、東京大学の学生を対象としたアンケートだと思うが、東京大学の学生なら、自分の努力で東京大学に入学したのだと思いたい、そう思っている、ということになる。(現実には、教育格差ということばでいわれているように、そのような環境で生まれ育ったという要因があるにはちがいないのであるが。)
人間の意識と身体性という議論、人間は世界をどう認知しているのかということ、人間はほんとうに自由なのかという問い、心とは何かという問題、など、これらの錯綜した、古くからあり、また、非常に現代的でもある議論のなかにわれわれはいるということは確かなことである。
人間の脳がバーチャルに作り出す世界、とはいうものの、それが人によってバラバラということではなく、ある一定の枠のなかにおさまっているのは、何故なのだろうか。人びとに共通しておこるからこそ錯覚、錯視なのである。では、人間がおたがいに共同で構築する文化というものをどう考えることになるのか、考えるべきことはさらに広がっていくにちがいない。
2024年11月1日記
フロンティア 世界は錯覚で出来ている
以前、色彩学関係の本をかなり読んだことがある。色覚異常、一般に色盲といわれる現象であるが、その人にとって、辞書や辞典で使われる文字の色分けが、どう認識できるか、ということを考えたことがある。これは、いくつか論文にして発表もした。私としては、これも日本語学の研究の一部である。(結果としては、英語辞書などで重要な単語の見出しを赤色に印刷することはあまり意味がない、ということになる。それから、教室で黒板に板書するとき、赤い色のチョークは使わないのがよい。)
このとき、人間の眼から入った情報がどのように人間は認識することになるのか、考えることにもなる。たとえば、色彩だけを見るということはない。色彩を認識するとき、かならず形も同時に認識している。また、人間の眼は外の世界の一部しか見ることができないが、しかし視覚情報としては全体が見えているように感じる、など。
その延長としては、錯視という現象があることになる。番組は錯覚という用語を使っていたが、心理学の分野では錯視というはずである。錯視も、ひろい意味での錯覚の一部ということになるだろう。
人間にとって、脳のなかで構成される世界、それが視覚であれ聴覚であれ触覚であれ、構築されたもの、いわばバーチャルなものであるというのは、現代においては学問的に普通に理解できることかと考える。
いいかえるならば、脳に人間の根拠を求める考え方ということになる。人間の人間たるゆえんをどこに求めるかとなったとき、現代では、脳に求めるか、あるいは、DNAに求めるか、というところにいたりつくだろう。
では、脳が自己なのか。自己ととは何であるのか、新しい研究領域の発明と、技術の発達で、従来とは異なる発想で考えなければならなくなっていることは確かである。意識というものの中核に位置するのは脳であるだろうが、その脳はDNAの産物でもある。
哲学的な、そして同時に現実的な問題として、人間はどこまで自由意志を持ちうるのかということもある。バーチャル技術によって、自分の意識を改変することが可能であることが、証明されつつあることになる。また、既存の研究として、行動科学や心理学などの分野においても、人間の自由意志とは何かということが問われている。さらには、そもそも人間とは文化的社会的環境のなかで育ち自己を形成していくものであり、それらから完全に自由な人間ははたして有りうるのか、という古くからの問題もある。
人間の能力をバーチャルに拡張する、それを現実に使うことが想定されるのが、昔のSF漫画風にいうならばサイボーグ戦士である。そこまでいかないにしても、戦場において兵士を戦わせるための訓練として、この番組で紹介されていた発想や技術の応用の延長ということは、もうすでに現実のものになっていると認識しておいた方がいいだろう。人間の意識や心をバーチャルな世界でコントロールすることになる。(さらにその延長としては、戦場で心を傷ついた人間をどう癒やすのか、という方向での使い方もある。)
無論、これは、倫理的にどこまで許されるのかという問題をはらむことになり、これについては、今からきちんとした基礎的な考察や研究を積み重ねていく必要がある。科学や技術と人間の倫理、これは常に総合的にかえりみられなくてはならない。
興味深かったのは、バーチャルの技術を使って自分の能力を高めたいか、という質問に対して、学生がノーと言ったことである。おそらく、東京大学の学生を対象としたアンケートだと思うが、東京大学の学生なら、自分の努力で東京大学に入学したのだと思いたい、そう思っている、ということになる。(現実には、教育格差ということばでいわれているように、そのような環境で生まれ育ったという要因があるにはちがいないのであるが。)
人間の意識と身体性という議論、人間は世界をどう認知しているのかということ、人間はほんとうに自由なのかという問い、心とは何かという問題、など、これらの錯綜した、古くからあり、また、非常に現代的でもある議論のなかにわれわれはいるということは確かなことである。
人間の脳がバーチャルに作り出す世界、とはいうものの、それが人によってバラバラということではなく、ある一定の枠のなかにおさまっているのは、何故なのだろうか。人びとに共通しておこるからこそ錯覚、錯視なのである。では、人間がおたがいに共同で構築する文化というものをどう考えることになるのか、考えるべきことはさらに広がっていくにちがいない。
2024年11月1日記
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